陽炎に揺れる夢
おまけ
私たちは三年に進級し、文系と理系でクラスが分かれてしまった。
朝比奈君はモデル事務所に所属し、週に何度かレッスンに通っている。
三枝さんともすっかり打ち解け、私が付き添う必要はもうなくなっていた。
毎日降り続いた雨もようやく終わり、蝉の大合唱が夏の空に響き渡るある日。
「どうしても付き添ってほしい」と頼まれ、久しぶりにオリオン・プロモーションへ向かった。
どうやら、撮影はまだやる勇気が出ないらしく、今日まで先延ばしにしてきたようだった。
「ごめん、遠野さん。撮影はまだ自信なくて…」
朝比奈君は申し訳なさそうに呟いた。
「大丈夫。夏休みで暇してたし、それに、本物の撮影なんて見れないもんね」
「練習だよ」
「それでも大丈夫だよ。それより、私が役に立てることなんてあるの?」
そう聞くと、横から声がした。
「ありますよ、遠野さんしかできない重要な役が」
三枝さんだった。
「三枝さん、お久しぶりです」
「久しぶりだね、ボータンさん」
私は慌てて人差し指を口に当て、首をふるふると横に振った。
「あっ、すみません、遠野さん。今日はお呼び立てしてしまって……」
私がボータンだということを知られたくないのを思い出した三枝さんは、済まなそうに肩を縮めた。
「あの、ちょっと朝比奈君に力を貸してくれませんか?」
「はい…。私ができることなら、何でもやりますが…」
私は朝比奈君を見上げる。彼も、今日のことは何も知らされていないようだった。
「今日は、撮影の練習をしたいと思います」
「遠野さんには、朝比奈君の近くで見守っていただければと思っています」
「いつもは遠野さんが、インスタ用の写真を撮っているんですよね。だから、遠野さんがいれば朝比奈君も自然にできるのではないかと…」
「それくらいなら、大丈夫です。私でお役に立てるのなら」
そう言うと、まるで言質を取ったかのように三枝さんは満足そうに頷き、
「良かった。それでは、遠野さんはこちらにお越しください」
と、別室に案内された。
その部屋には女性が一人。
「それでは遠野さん、こちらにお座りください」
椅子に座らされると、女性は笑顔で名乗った。
「私は、メイクアップアーティストの白石と言います。では、メイクをしていきますね」
「えっ? メイク…?」
戸惑う間もなく、前髪はしっかり上げられ、顔に色々なものをつけられていく。
あまりの速さに、私は驚きで声も出せず、ただ呆気にとられるばかりだった。
分厚い前髪で隠れていた眉毛は、きれいに切り揃えられた。
目元にはピンク系のアイシャドウが重ねられ、色味が少しずつ増していく。
次に髪に手をかけられると、長い髪は高い位置でまとめられ、ポニーテールが完成した。
上げられた前髪は丁寧に留め直され、おでこが丸ごと見える状態になっていた。
「うわー、遠野さん、とっても可愛いです! 普段から前髪は上げられたらいいのに……」
そう、勿体無いと言わんばかりの笑顔で、白石さんは言った。
一通りのメイクが終わると、
「スタイリストの方が、遠野さんの衣装を用意してくださっているので、こちらに着替えてくださいね」
そう言うと、白石さんは一度退室した。
「着替え……何で……?」
思わず呟いたけれど、言われるがまま用意された服に袖を通す。
それは、菫色のシフォン素材のワンピースだった。
「可愛い……」
思わず声が出る。
白い毛糸で編んだイヤリングとカチューシャを合わせたら、もっと似合いそうだな、と考えた。
着替えを終え、恐る恐るドアを開けると、廊下には何人かのスタッフが忙しそうに歩き回っていた。
そのうちの一人が私のほうを見て、にっこり笑いながら声をかけてきた。
「うわー、可愛い! 今日撮影される方ですか?」
「いえ、私は…あの…」
どうしたらいいのか戸惑っていると、
パタパタパタ…と足音が近づいてきた。
はぁ、はぁ、はぁ……
肩で息を弾ませながら、白石さんが戻ってきた。
「すみません、心配させちゃいましたね」
「それでは、行きましょう」
そう言うと、再び撮影スタジオへと案内された。
スタジオのフロアに足を踏み入れると、そこにいた全員の視線が、一斉に私に向けられた。
「あ、あ、あの…」
言葉が上手く出ない。
すると、三枝さんがにっこり笑いながら言った。
「うわー、遠野さん、すっごく可愛いですね!
遠野さんは光る原石だろうと思ってましたけど、やっぱり私の目に狂いはなかった!」
自信たっぷりの顔で私を見つめられ、思わず胸がドキドキしてしまった。
「さっ、遠野さん、こちらへ」
三枝さんに促されるまま歩いていくと、朝比奈君も先ほどとは違う服で立っていた。
(うわっ)
眼鏡とマスクを外した朝比奈君は、シンプルな紺色のスーツを、スタイルよく着こなしている。
「遠野…」
久しぶりに、二人は目を遮るもののない状態で、互いの顔を見つめ合った。
「それじゃぁ二人とも、そこに。」
ドラマ中で見たことがあるような機材が、一脚の椅子を囲むように並んでいる。
この撮影スタジオには、私たち二人と、三枝さん、カメラを手にしている男性、椅子の後ろで傘のようなものの位置を直している人、そして先ほどの白石さんの6人がいる。
「二人…⁈ 私も?」
全く状況が飲み込めず、私は三枝さんに視線を送った。
「遠野さん、ごめんね。説明していなかったよね」
「実は、朝比奈君に写真の時にメガネを外した理由を聞いてみたんだ」
「そしたら、君の前髪が風で上がって、それでも一生懸命な遠野さんの顔を見たときに勇気が出たって言っていたんだよ」
「だから、朝比奈君の初めての撮影の時、遠野さんもそばにいてくれたら、彼は自然に一歩を踏み出せると思ったんだ」
ありがとう、と三枝さんは言うと、
「さぁ、ケイ、行ってこい!」
そう言って、彼の背中を力強く押した。
朝比奈君は、まるでスイッチが入った人形のように足を動かし始め、だんだんとその速度と歩幅を上げていった。
朝比奈君はモデル事務所に所属し、週に何度かレッスンに通っている。
三枝さんともすっかり打ち解け、私が付き添う必要はもうなくなっていた。
毎日降り続いた雨もようやく終わり、蝉の大合唱が夏の空に響き渡るある日。
「どうしても付き添ってほしい」と頼まれ、久しぶりにオリオン・プロモーションへ向かった。
どうやら、撮影はまだやる勇気が出ないらしく、今日まで先延ばしにしてきたようだった。
「ごめん、遠野さん。撮影はまだ自信なくて…」
朝比奈君は申し訳なさそうに呟いた。
「大丈夫。夏休みで暇してたし、それに、本物の撮影なんて見れないもんね」
「練習だよ」
「それでも大丈夫だよ。それより、私が役に立てることなんてあるの?」
そう聞くと、横から声がした。
「ありますよ、遠野さんしかできない重要な役が」
三枝さんだった。
「三枝さん、お久しぶりです」
「久しぶりだね、ボータンさん」
私は慌てて人差し指を口に当て、首をふるふると横に振った。
「あっ、すみません、遠野さん。今日はお呼び立てしてしまって……」
私がボータンだということを知られたくないのを思い出した三枝さんは、済まなそうに肩を縮めた。
「あの、ちょっと朝比奈君に力を貸してくれませんか?」
「はい…。私ができることなら、何でもやりますが…」
私は朝比奈君を見上げる。彼も、今日のことは何も知らされていないようだった。
「今日は、撮影の練習をしたいと思います」
「遠野さんには、朝比奈君の近くで見守っていただければと思っています」
「いつもは遠野さんが、インスタ用の写真を撮っているんですよね。だから、遠野さんがいれば朝比奈君も自然にできるのではないかと…」
「それくらいなら、大丈夫です。私でお役に立てるのなら」
そう言うと、まるで言質を取ったかのように三枝さんは満足そうに頷き、
「良かった。それでは、遠野さんはこちらにお越しください」
と、別室に案内された。
その部屋には女性が一人。
「それでは遠野さん、こちらにお座りください」
椅子に座らされると、女性は笑顔で名乗った。
「私は、メイクアップアーティストの白石と言います。では、メイクをしていきますね」
「えっ? メイク…?」
戸惑う間もなく、前髪はしっかり上げられ、顔に色々なものをつけられていく。
あまりの速さに、私は驚きで声も出せず、ただ呆気にとられるばかりだった。
分厚い前髪で隠れていた眉毛は、きれいに切り揃えられた。
目元にはピンク系のアイシャドウが重ねられ、色味が少しずつ増していく。
次に髪に手をかけられると、長い髪は高い位置でまとめられ、ポニーテールが完成した。
上げられた前髪は丁寧に留め直され、おでこが丸ごと見える状態になっていた。
「うわー、遠野さん、とっても可愛いです! 普段から前髪は上げられたらいいのに……」
そう、勿体無いと言わんばかりの笑顔で、白石さんは言った。
一通りのメイクが終わると、
「スタイリストの方が、遠野さんの衣装を用意してくださっているので、こちらに着替えてくださいね」
そう言うと、白石さんは一度退室した。
「着替え……何で……?」
思わず呟いたけれど、言われるがまま用意された服に袖を通す。
それは、菫色のシフォン素材のワンピースだった。
「可愛い……」
思わず声が出る。
白い毛糸で編んだイヤリングとカチューシャを合わせたら、もっと似合いそうだな、と考えた。
着替えを終え、恐る恐るドアを開けると、廊下には何人かのスタッフが忙しそうに歩き回っていた。
そのうちの一人が私のほうを見て、にっこり笑いながら声をかけてきた。
「うわー、可愛い! 今日撮影される方ですか?」
「いえ、私は…あの…」
どうしたらいいのか戸惑っていると、
パタパタパタ…と足音が近づいてきた。
はぁ、はぁ、はぁ……
肩で息を弾ませながら、白石さんが戻ってきた。
「すみません、心配させちゃいましたね」
「それでは、行きましょう」
そう言うと、再び撮影スタジオへと案内された。
スタジオのフロアに足を踏み入れると、そこにいた全員の視線が、一斉に私に向けられた。
「あ、あ、あの…」
言葉が上手く出ない。
すると、三枝さんがにっこり笑いながら言った。
「うわー、遠野さん、すっごく可愛いですね!
遠野さんは光る原石だろうと思ってましたけど、やっぱり私の目に狂いはなかった!」
自信たっぷりの顔で私を見つめられ、思わず胸がドキドキしてしまった。
「さっ、遠野さん、こちらへ」
三枝さんに促されるまま歩いていくと、朝比奈君も先ほどとは違う服で立っていた。
(うわっ)
眼鏡とマスクを外した朝比奈君は、シンプルな紺色のスーツを、スタイルよく着こなしている。
「遠野…」
久しぶりに、二人は目を遮るもののない状態で、互いの顔を見つめ合った。
「それじゃぁ二人とも、そこに。」
ドラマ中で見たことがあるような機材が、一脚の椅子を囲むように並んでいる。
この撮影スタジオには、私たち二人と、三枝さん、カメラを手にしている男性、椅子の後ろで傘のようなものの位置を直している人、そして先ほどの白石さんの6人がいる。
「二人…⁈ 私も?」
全く状況が飲み込めず、私は三枝さんに視線を送った。
「遠野さん、ごめんね。説明していなかったよね」
「実は、朝比奈君に写真の時にメガネを外した理由を聞いてみたんだ」
「そしたら、君の前髪が風で上がって、それでも一生懸命な遠野さんの顔を見たときに勇気が出たって言っていたんだよ」
「だから、朝比奈君の初めての撮影の時、遠野さんもそばにいてくれたら、彼は自然に一歩を踏み出せると思ったんだ」
ありがとう、と三枝さんは言うと、
「さぁ、ケイ、行ってこい!」
そう言って、彼の背中を力強く押した。
朝比奈君は、まるでスイッチが入った人形のように足を動かし始め、だんだんとその速度と歩幅を上げていった。