孤独な先輩と空しか撮れない私の話。
初めての野外研修の日。
その日は、朝から空が泣き出しそうな切羽詰まった顔をしていた。
灰色の雲が低く立ち込めて、光がどこにもない。
湿った空気が肌にまとわりつく。
「雨だけど、植物園予定通り行くってさ」
連絡アプリに一条先輩から連絡が入っていた。
「了解」
カメラのレインカバーをリュックに入れて、バスに乗る。
窓には赤い蛍光の光が映った無数の水滴。
車道を走る黒い乗用車は輪郭がぼんやりと流れていく。
「次は富田駅」
アナウンスが聞こえて、赤い降車ボタンを押した。

一条先輩は相変わらず、カメラを傾けて笑っている。
「おはようございます」
バスの出口を降りてから、私は透明のビニール傘を開いた。
バチバチと雨粒が弾け、途方もない数の穴が付着していく。
雨の中の空気は静謐で、温かく、先輩の笑顔ですら光を纏っているように見える。
「凪ちゃん。雨の日の空撮ったことある?」
「一応」
去年の梅雨の時期に撮ったことはある。
灰色の寂しそうな雲が撮りたかったのだけど、滴でぼやけて、上手く撮れなかった。
「チケット高校生6人分、お願いします」
部長さんが窓口の係員にもともと集計してあったお金を渡した。
「ネモフィラ祭! 5月23日開催しました!」
滴がへばり付いた掲示板にチラシが貼られていた。
透き通る青空の下、ネモフィラの花畑が広がる写真。
「ね。これ、また来年行ってみようよ」
先輩がその滴に触れて、相好を崩す。
「確かに綺麗ですね」
空色の花弁が可憐に風に惑う写真。
撮ったら、確かに綺麗だろうな。
「行こう、行こう」
来年には、先輩だってこの高校を卒業しているだろうに、その場任せに適当な事を言う。

紫色の紫陽花の花弁に水滴の斑点が小さく浮かんでいた。
下を向いていた花から雫が滴り落ち、花すらも落ちていく。
タイルが敷き詰められた橙色の道に何重もの楕円が浮かび上がり、消えていく。
「それ、撮るの?」
傘を脇に挟み、レインカバーを取り付けていた愛用のカメラを構える。
だけど、ぼやけてしまって、ピントが合わない。
先輩は私のカメラのフレームをじっと見ている。
「滴にピントを合わせれば?」
小さく頷いて、私はフォーカスリングを慎重に回していく。
「世那。行かないの?」
部長さんの姿がいつの間にか小さくなっていた。
「ん~。ちょっと先行ってていいよ」
先輩は変わらず、フレームを眺めている。
「別に。行ってていいですよ」
先輩に目をやらずに、私はカメラの中にある紫陽花の花を見つめる。
「じゃあ、凪ちゃんを撮って待ってようかな」
先輩は黒いカメラの先を私に向ける。
「カシャ」
シャッター音が耳に響く。
私のカメラの先はぼんやりとしたままなのに、先輩のカメラの先は鮮明。
だけど、どこか悲しそうな眼をしている。
じっと遠くのどこかを見つめて、私の奥の誰かに笑い掛ける。
私が撮った写真はやはりぼんやりと暗かった。
だけど、自分の心を呑み込むように強く冷たく映った。

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