『黒薔薇館の十三夜』

第一章 招待状

 夏休みも終わりに近づいた八月最後の土曜日。

 朝から降り続く雨が、山道を白く煙らせていた。

 高校二年生の朝倉美咲は、窓の外をぼんやり眺めながら、小さくため息をつく。

「本当にこんな場所に洋館なんてあるのかな……」

 美咲が乗るワゴン車は、舗装された道路を離れ、木々が生い茂る細い山道をゆっくり進んでいた。運転席には初老の男性。無口な運転手は行き先を尋ねても、「もうすぐです」としか答えない。

 膝の上には、一週間前に届いた黒い封筒。

 差出人の名前はなく、赤い蝋で封がされていた。

 中には一枚の招待状だけ。

黒薔薇館へようこそ。

八月三十日 午後三時。

この館で過ごす三日間は、あなたの人生を変えるでしょう。

決して招待状を失くさないでください。

 いたずらかと思った。

 だが、同じ招待状がクラスメイト六人にも届いていたことを知り、不思議な興味が湧いた。

 差出人は誰なのか。

 なぜ自分たちなのか。

 誰一人答えを知らないまま、七人はこの山へ向かっている。

 やがて車が止まった。

「着きました。」

 ドアを開けると、冷たい風が頬を撫でる。

 目の前には、巨大な洋館が静かに佇んでいた。

 黒いレンガ造りの三階建て。

 尖った屋根。

 蔦が絡みつく壁。

 雨に濡れたステンドグラスは薄暗く輝き、門柱には錆びたプレートが掛けられている。

──黒薔薇館。

 その文字だけが、妙にはっきり読めた。

「すご……。」

 思わず声が漏れる。

 映画に出てきそうなほど立派な館なのに、人の気配がまるでない。

 庭に咲く黒いバラだけが、風に揺れていた。

 その時だった。

「美咲!」

 聞き慣れた声が後ろから飛んでくる。

 振り返ると、幼なじみの神崎悠斗が手を振っていた。

「やっぱり来たんだ。」

「悠斗も?」

「こんな怪しい招待状、普通なら無視するけどさ。ちょっと気になって。」

 二人が話していると、一台、また一台と車が到着する。

 陸上部のエース・橘蓮。

 成績優秀で冷静な七瀬結衣。

 ムードメーカーの佐伯大翔。

 読書好きで物静かな白石紗奈。

 そして、クラス委員長の藤堂健人。

 七人全員が館の前に集まった。

「全員、同じ招待状だった?」

 健人が尋ねる。

「うん。」

「日時も?」

「同じ。」

 七人は互いの招待状を見比べる。

 紙質も文字も、何一つ違わない。

「気味悪いな……。」

 蓮が呟いた、その瞬間。

 ギィ……

 誰も触れていない門が、ひとりでに開いた。

 全員が息をのむ。

「風……?」

 大翔がそう言うが、門はまるで誰かが迎え入れるように、ゆっくりと開き切った。

 その奥から、一人の老人が姿を現す。

 黒い燕尾服。

 白い手袋。

 銀色の髪をきっちりと後ろへ流した、品のある執事だった。

「皆様、お待ちしておりました。」

 深々と頭を下げる。

「私は、この館の執事・霧島と申します。」

 誰も返事をしない。

 霧島は微笑みを崩さず続けた。

「館の主人は皆様を歓迎しております。」

「主人って誰なんですか?」

 美咲が尋ねる。

 一瞬だけ。

 霧島の笑顔が消えた。

「その答えは、三日後に。」

 静かな口調だった。

 だが、その一言にはなぜか逆らえない重みがあった。

「どうぞ、中へ。」

 重厚な玄関扉がゆっくりと開く。

 館の中は、想像以上に豪華だった。

 赤い絨毯。

 巨大なシャンデリア。

 大理石の階段。

 壁には無数の肖像画が飾られ、年代を感じさせる柱時計が静かに時を刻んでいる。

 しかし、その豪華さとは裏腹に、館全体がひどく静かだった。

 静かすぎる。

 まるで、誰かが息を潜めてこちらを見ているような感覚。

「さて。」

 霧島は七人を見渡した。

「皆様に、一つだけお願いがあります。」

 全員が顔を上げる。

「本日午後九時以降は、決して部屋から出ないでください。」

「え?」

「理由を聞いても?」

 健人が尋ねる。

 霧島は少しだけ目を伏せた。

「この館では、夜になると”お客様”がお歩きになります。」

 その場の空気が凍りつく。

「冗談……ですよね?」

 紗奈が震えた声で言う。

 霧島は答えなかった。

 代わりに玄関ホールの柱時計が、重く鳴り響く。

 ──ゴーン。

 ──ゴーン。

 午後三時。

 七人が黒薔薇館へ足を踏み入れた瞬間だった。

 その時、誰も気づいていなかった。

 二階の廊下の奥。

 誰もいないはずの窓辺で、黒いドレスを着た一人の少女が、静かにこちらを見つめていたことを。

 そして、彼女の唇がゆっくりと動く。

「……また、始まる。」

 その声を聞いた者は、誰もいなかった。
< 1 / 2 >

この作品をシェア

pagetop