銀狼騎士は転生悪役令嬢と番になる運命でした

初めての、泥だらけの幸福

【エリーゼ視点】
国境を越え、私たちはさらに南へと馬車を進めていた。
たどり着いたのは、エメラルドグリーンの湖と、どこまでも続く瑞々しい草原が広がる美しい平原。もうここには、あの窮屈な王国の追手も、冷酷な公爵家の影も届かない。
「レオン、止めて! 馬車を止めて!」
私は叫ぶように言い、馬車が完全に止まるのも待ちきれずに御者台から飛び降りた。
「おい、エリーゼ! 危ないっ――」
レオンの焦った声が響くが、今の私には止まれない。
前世の病室、あの窓から指をくわえて見ていた「外の世界」が、今、私の目の前に無限に広がっているのだ。
私は靴を脱ぎ捨て、裸足になって草を踏みしめた。
太陽の熱を吸った土の温かさ。ちくちくと足の裏を刺激する青草の生々しい感触。
一歩、二歩。それから、私は思いっきり地を蹴って走り出した。
「あはははは! すごい、本当に走れる! 息が苦しくないわ!」
風が髪を激しくなびかせ、ドレスの裾が草の露で汚れていく。
前世では、たった数歩歩くだけで息が切れ、心電図のモニターが悲鳴を上げていた。走るなんて、夢のまた夢だった。
けれど今は、どれだけ走っても、私の心臓は心地よい歓喜のビートを刻むだけだ。
「エリーゼ! 急に走り出すな、転んだらどうする!」
背後から、凄まじい風を巻き起こしてレオンが追いついてきた。完治した彼の脚は、人間のそれとは比べ物にならないほど速い。彼は私の身体を後ろからふわりと抱き留め、勢い余って二人は草むらの上をごろごろと転がった。
「きゃああっ!」
気がつけば、私はレオンの大きな身体に押しつぶされるようにして、草の上に大の字になって寝転んでいた。
私の髪には草の葉がつき、頬には泥が跳ねている。公爵令嬢としては完全に「破滅」の姿だ。けれど、私は可笑しくてたまらず、お腹を抱えて笑った。
「ふふふ、あははは! 見てレオン、私、泥だらけよ!」
「お前というやつは……。令嬢の面影がまるでないぞ」
レオンは呆れたように息を吐きながらも、その琥珀色の瞳には愛おしさが溢れていた。彼は私の髪についた草を、大きな指先で優しく取り除いてくれる。
「……でも、本当に楽しそうだな」
「ええ。前世のベッドの上ではね、こんな風に泥にまみれることも、太陽の下で息を切らすことも、全部『贅沢な妄想』だったの。今、私は世界で一番、贅沢なことをしてるわ」
私はレオンの首に腕を絡め、その頼もしい胸に顔を埋めた。
草の匂いと、レオンの男らしい体温。
これこそが、私が五感で欲していた「生きている実感」だった。
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