大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~
「広げたときにも、お着物のお色に映えるよう工夫いたしました」

 夫人は満足そうに頷き、もう一度手巾を広げた。

「観劇後のお茶では、こうして膝に広げればよいわけね。素敵なのは半襟だけじゃないって、よくわかっていただけるわ」

 頭の中で光景を思い描いているのか、夫人はうっとりと呟いた。

「これならあの薔薇にも圧し負けるものですか。きっと皆さま、こちらばかり御覧になりましてよ」

 澄乃は曖昧に微笑んだ。

 勝ち負けのことは、正直よくわからない。

 ただ、赤い椿が青磁色の着物から浮いて見えないこと、夫人の顔と着物の双方を引き立てていること、半襟と手巾がそれぞれの用途に適した構図であること──。

 そのすべてが狙いどおりになっているという、確かな手応えを感じていた。

 夫人が求めたのは、和の品格と、人目を惹く華やかさの両立だ。

 刺繍を褒められるより、それを身につけた夫人が美しく、気品に満ちて見えることが重要なのだ。

「やはり澄乃さんに頼んで正解でしたわ」

 手巾を手許に添え、角度を変えて姿見を確かめながら夫人は満足げに頷いた。

「これで明日の装いは完璧だわ! 澄乃さん、本当にありがとう。──ああ、そうそう、忘れないうちにお代をお支払いしないと」

 澄乃は軽く頭を下げ、手提げから封筒を取り出した。

「こちらが材料費の内訳でございます。図案料とお急ぎの手間賃は、お約束どおり二十円になります」

 白塩瀬と手巾地、それぞれに使用した絹糸の代金を記した紙に、買い入れた店の受取書も添えた。

 夫人はざっと目を通すと、傍らに控える女中へ材料費の明細を渡した。

「こちらの額に二十円を足して包んできてちょうだい」

 かしこまって受け取った女中は、すぐに金封を持って戻ってきた。受け取った篠田夫人が金封を持ち直して澄乃に差し出す。頭を下げて金封を受け取ると、澄乃の胸にいつもとは違う感慨が広がった。

 これは施しではない。依頼を完遂した仕事の、正当な対価なのだ。

 朔也の言葉が、耳の奥でよみがえる。

『安売りしすぎだと、言っているのです』

 あのとき突きつけられた厳しさの意味が、今ならわかる。

 自分で値を決め、その値に見合う仕事をして、代金を受け取る。

 刺繍は仕事だと、これまでも口にしてきた。けれど、自分で値を定め、内訳を示し、その対価を受け取ることで、ようやく実体が伴った気がする。

 澄乃は金封を袱紗に包んで手提げにしまうと、別の封筒を取り出した。

「こちらをどうぞ、お納めくださいませ」
< 70 / 79 >

この作品をシェア

pagetop