大正恋刺繍 ~押しかけ婿様の寡黙な溺愛~
「なぁに?」
「お代を確かに頂戴したという、受取書でございます」
夫人は封書と澄乃の顔を見比べ、少し可笑しそうに目を細めた。
「ずいぶんと改まったことをなさるわね。そのようなもの、これまでいただかなかったのに」
「仕事としてお引き受けするなら、きちんとしておくべきだと言われましたので……」
「あら、どなたに?」
「…………主人に」
夫人は一瞬、目を瞠り、受取書へ目を落としてフフッと笑った。
「あの方らしいこと」
それから改めて澄乃を眺め、少し楽しげに言い添えた。
「悪くありませんわ。澄乃さんも、いよいよ本職らしくなってきましたわね」
「恐れ入ります……」
澄乃は頭を下げながら、頬が熱くなるのを感じた。
『あなたの好きなものは、きっと良いものですから』
椿山御殿で聞いた朔也の声が、耳の奥によみがえる。
帰りの車で握り返した、黒い革手袋に包まれた大きな手。手袋越しに、確かな力が伝わってきた。
思い出した途端、指先が落ち着かなくなる。視線を泳がせると篠田夫人の半襟にふたたび目が留まった。
夫人の襟元で咲く赤い椿には、澄乃自身の『好き』が入っている。それを入れてもよいと言ってくれたのは朔也だ。
「ああ、明日が楽しみ!」
晴れやかな声に、澄乃はハッと我に返った。篠田夫人は上機嫌ににっこりした。
「皆様きっと絶賛されるわ。どなたがなんと仰ったか、ぜんぶお知らせしますからね」
たじろぎ気味に頭を下げ、澄乃は丁寧に暇乞いをした。
女中に送られて玄関を出ると、村瀬が車を寄せて後部座席の前に立っていた。
ドアーを開けてもらって乗り込むと、ほっと溜め息が洩れた。
車が静かに動き出す。
番町の坂を下りながら、澄乃は先ほどの姿見の光景を思い返した。
嬉しそうに自分の姿を眺める、青磁色の訪問着をまとった篠田夫人。その襟元で、冷たい雪をものともせずに咲く、真っ赤な藪椿──。
『好き』を入れて、よかった。
朔也が帰宅したら、すぐに話そう。
そう思うだけで澄乃の口元は自然とほころんでいた。
「お代を確かに頂戴したという、受取書でございます」
夫人は封書と澄乃の顔を見比べ、少し可笑しそうに目を細めた。
「ずいぶんと改まったことをなさるわね。そのようなもの、これまでいただかなかったのに」
「仕事としてお引き受けするなら、きちんとしておくべきだと言われましたので……」
「あら、どなたに?」
「…………主人に」
夫人は一瞬、目を瞠り、受取書へ目を落としてフフッと笑った。
「あの方らしいこと」
それから改めて澄乃を眺め、少し楽しげに言い添えた。
「悪くありませんわ。澄乃さんも、いよいよ本職らしくなってきましたわね」
「恐れ入ります……」
澄乃は頭を下げながら、頬が熱くなるのを感じた。
『あなたの好きなものは、きっと良いものですから』
椿山御殿で聞いた朔也の声が、耳の奥によみがえる。
帰りの車で握り返した、黒い革手袋に包まれた大きな手。手袋越しに、確かな力が伝わってきた。
思い出した途端、指先が落ち着かなくなる。視線を泳がせると篠田夫人の半襟にふたたび目が留まった。
夫人の襟元で咲く赤い椿には、澄乃自身の『好き』が入っている。それを入れてもよいと言ってくれたのは朔也だ。
「ああ、明日が楽しみ!」
晴れやかな声に、澄乃はハッと我に返った。篠田夫人は上機嫌ににっこりした。
「皆様きっと絶賛されるわ。どなたがなんと仰ったか、ぜんぶお知らせしますからね」
たじろぎ気味に頭を下げ、澄乃は丁寧に暇乞いをした。
女中に送られて玄関を出ると、村瀬が車を寄せて後部座席の前に立っていた。
ドアーを開けてもらって乗り込むと、ほっと溜め息が洩れた。
車が静かに動き出す。
番町の坂を下りながら、澄乃は先ほどの姿見の光景を思い返した。
嬉しそうに自分の姿を眺める、青磁色の訪問着をまとった篠田夫人。その襟元で、冷たい雪をものともせずに咲く、真っ赤な藪椿──。
『好き』を入れて、よかった。
朔也が帰宅したら、すぐに話そう。
そう思うだけで澄乃の口元は自然とほころんでいた。