凍てついた令嬢は、異国の太陽に抱かれる
第四十八話:不慣れな甘えと、過保護な包囲網(エルサ・ゼオン・カイル視点)
【エルサ視点】「贅沢」という名の、未学習の領域
薔薇園の散策を終えてお部屋に戻ってからも、私の心臓はいまだに不条理なほどの高鳴りを続けていました。
ゼオン様は私をソファーへ優しく座らせると、自ら私の靴を脱がせ、少し歩いて赤くなった足首をその大きな手でそっと包み込んで揉みほぐしてくださっています。
「ぜ、ゼオン様……っ! 本当に、そのようなお給仕のようなことはお止めください。私はただ、少しお庭を歩いただけです。これでは、私がただの……手のかかる、無能な存在のようで……」
前世の記憶と、ベルトラン公爵家での経験が、私の大人の脳内で一斉に警報を鳴らします。
『何かをしてもらうことは、その分の労働を後から請求される前兆だ』
『手がかかる道具は、すぐに廃棄処分になる』
染み付いた恐怖の数式が、ゼオン様の無条件の優しさを前にして、私をパニックに陥らせようとします。
「エルサ。またその壊れた数式を回しているな」
ゼオン様は私の足首を掴んだまま、少し呆れたような、けれど底なしに甘い眼差しを真っ直ぐに向けてきました。
「俺がお前を労うのは、お前が可愛いからだ。お前がただそこにいて、俺に触らせてくれる。それだけで、俺にとっては計り知れない利益なんだよ。お前が『無能な存在』になる時間を、俺は一生をかけて作ると決めている」
「利益、ですか……? 私が、ただ座っているだけで、どのような経済的付加価値が……」
「これだ」
ゼオン様は私の言葉を遮るように、私の頬にそっと触れ、そのまま唇を深く重ねてきました。
「ん……ぅっ」
何度も、何度も、私の唇の柔らかさを確かめるように、熱く、優しく 貪(むさぼ)るようなキス。
脳内のすべての計算(データ)が瞬時にフリーズし、視界が熱さでトロンと潤んでいくのが分かります。愛し方も、甘え方も知らない真っ白な私の心に、ゼオン様のこの圧倒的な質量(たいおん)だけが、新しい定義として強制的に書き込まれていきます。
「……は、ぁ。ゼオン様、これでは、勉強になりません……」
「勉強などしなくていい。お前はただ、俺に甘やかされることだけを学習しろ」
私は真っ赤になった顔を隠すように、彼の広い胸へと額を預け、小さく息を吐き出しました。この不条理なまでの甘やかさに、私の心は少しずつ、けれど確実に解きほぐされていました。
【ゼオン視点】無垢な蕾を、独占する快感
胸の中にすっぽりと収まり、俺の衣を小さな手でぎゅっと掴んだまま、真っ赤になって大人しくなったエルサ。
この、すべての大人の仮面を剥ぎ取った後の、真っ白で無垢な少女の姿。これを見られるのは、世界で俺一人だけだ。その事実が、俺の胸の奥にある独占欲と征服欲を、これ以上ないほどに満たしていく。
「殿下、エルサ様。……お熱いところ大変恐縮ですが、王妃様より『エルサのために最高級のハチミツを仕入れたから、今すぐお茶会をしましょう』との伝言をお預かりしております」
扉の向こうから、カイルの全く抑揚のない、けれどどこか楽しげな声が響いた。
「母上め……。せっかくエルサが俺に甘えようとしていたところを邪魔しおって」
「ゼ、ゼオン様、甘えようとしてなどいません……っ! 王妃様をお待たせするわけにはいきません、早く参りましょう!」
慌てて俺の胸から離れ、ドレスの乱れを直そうと小さな手をパタパタと動かすエルサ。その一挙手一投足が、反則的なまでに健気で可愛い。
「分かった。だが、お茶会が終わったら、またこの続きだからな」
「続きなどありません……っ!」
怒ったように頬を膨らませるエルサの手をしっかりと握り、俺は部屋の扉を開けた。
【カイル視点】至宝を囲む、幸福の完全包囲網
扉から出てこられたお二人を出迎えると、エルサ様は林檎のように顔を赤く染め、ゼオン殿下の背中に隠れるようにおずおずと一歩後ろを歩かれていました。
その、あまりにも初々しく、無垢な少女そのものの仕草。
「エルサ様、本日の髪型も大変お似合いでございます。王妃様も厨房の者たちも、皆、貴方様をお迎えするために、今か今かと首を長くして待っておりますよ」
私が眼鏡を押し上げながらそう告げると、エルサ様は「カイル様、ありがとうございます。皆様にご迷惑をおかけしていないでしょうか……」と、消え入りそうな声で、けれど嬉しそうに小さな微笑みを浮かべられました。
その破壊力たるや、凄まじいものがあります。
回廊の陰では、エルサ様の一瞬の微笑みを見逃さなかった侍女長マルタやクロエたちが、早くも「エルサ様がはにかまれた……!」「なんと尊いお姿か……っ!」と、身悶えしていました。
彼女が、今、この王宮のすべての人間から、甘やかすため「だけ」に狙われている。
「さあ、エルサ様。本日は我が国の最高の贅沢を、ただ『美味しい』とだけ受け取る練習をいたしましょう」
私は先頭に立ち、国王夫妻の待つ最上級のサロンへと、我が国の真の至宝を導きました。
彼女が自らの意志で、すべての愛を受け止め、完璧な我が儘を言えるようになるその日まで。私たちガルディニアの過保護な包囲網は、さらにその密度を増していくのです。
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