あなたの唇、君の皿ー拗れた片思いのその先にー
美月(みつき)ちゃんは血管が浮いた男性の手が好きなんだって?」
「俺のはどう?おっさんだから血管は出放題!」
「残念。ツヤッとして血管が透けてる男らしいのがいいんですよ。渋みはまだ私には早くて」

 じゃあだめだなぁ、と唐揚げ定食とともにジョッキビールを飲んでる常連客のおじさんがゲラゲラ笑う。
 この斎賀(さいが)食堂の店主の次女で、看板娘の斎賀美月は、おかわりの注文を受けながら苦笑した。

 嘘はついてない。一般的に手()好き。でも、本当にたまらないのは、彼のあの仕草。

 そんな秘密を営業スマイルの下に隠し、そろそろ()()に帰ってくる頃かなあ、なんて、遠い海の上にいる太陽みたいに明るい男の笑顔を胸に思い浮かべた。

 **

 三〜四ヶ月に一度、閉店後に一人の客がやってくる。美月だけの特別なお客さんだ。
 まとわりつくような湿気と茹だるような暑さのなか、汗だくで現れた大男が、いつもどおり「お腹すいたー!」と眩しい笑顔で要求した。
 
「んー、うまい!この味噌パスタ最高!」
「本当?良かった。陸にいる間に美味しいものたくさん食べて」
「おう。船の中はメニューがどうしても似るんだよな。司厨長も工夫はしてくれるけど、やっぱり美月のアレンジメシには敵わない」

 顔中こんがりと日に焼けた黒い短髪の彼。二重の幅広な丸い大きな瞳が弧を描く、愛嬌がある笑顔と褒め言葉が照れ臭くて、彼の対面に座った美月は頬杖ついた手で口元を覆った。
 
 白石(しらいし)陸斗(りくと)。二十五歳。
 陸と名前がつくくせに、民間商船で勤務する二等航海士だ。180センチを優に超える身長に、精悍な顔立ち。海上でひたすらに筋トレに励むらしい体はかなり厚い。威圧感のある見た目に対し、持ち前の人懐っこさで誰とでもすぐ打ち解ける人気者。
 彼は、美月の高校の同級生だ。
 一方の美月は、ナチュラルブラウンに染めたショートボブに、奥二重の瞳で存在感の薄い鼻と口という地味な顔立ち。ただし、一家で経営するこの食堂の常連客たちに可愛がられて育ったため、愛想はよく、実は気も強い。
 155センチの平均的な背丈だが、よく動き回ることからしばしばハムスターに例えられる。
 陸斗は人との距離が近い。頭を撫でられデコピンされたり、腰を掴んで抱き上げられたり、なんて接触が起こる。それは、重量物を運ぶのを代わってくれようとしたりとか、人混みに埋もれたところをヒョイと助けてくれたりとか、親切なんだけれど。
「友達……メシくれるご主人様は、大事にしないと?」と女扱いせずに、いつもの笑顔で笑う彼があまりにも気軽に触れてくる都度、何度顔を赤くして、ドキドキして、失望すればいいのかわからない。
 もう知り合って十年。
 ずっと、気のいい友人として付き合いが続いている。

『おばさんたちも引っ越したのに、陸斗はなんでまだこの街に帰ってくるの?』
『青春時代を支えてくれたこの味を食べないと次の航海に行く気になんねえから。もちろん、美月特製の夜飯も込みで。美月でできてるの、俺の体』

 必ず美月に一番に入る寄港連絡。そして、太陽みたいな笑顔と一緒のそんな言葉に挙動不審にならないなんて無理だ。
 どうせその後に続く言葉にがっくりとするのに。

『それにここには、好きな人がいるから。近くに来たいじゃん』

 何年経っても、変わらないその理由。
 美月はその度に恋情という繊細なガラスを割られて踏みつけられるのだ。二度と直さなければいいのに、彼が何ヶ月もの航海へ出る都度、元気かな?無事かな?何してるかな?と思い、愚かな恋心が一つ一つの思い出と共に欠片を拾い上げて元に戻してしまう。

 だからもう、美月は諦めた。
 陸斗は生身の男じゃない。「推し」だ。だから、ちょっとかっこいいなと思う仕草にドキッとしたって構わないじゃないか。
 そう割り切ってから、「友人」の陸斗を迎えるのが辛くなくなった。
 そして観察しているうちに気がついてしまったのだ。
 一番、たまらないと思う仕草に。

< 1 / 5 >

この作品をシェア

pagetop