月水金は私の彼。火木土は親友の彼
担当表
冷蔵庫の扉に、一枚の紙が貼ってある。
私の字で書いた、1週間の表。
月曜、水曜、金曜はピンクのマーカー。火曜、木曜、土曜は水色。
そして日曜だけが、どの色にも塗られないまま、白く空いている。
ピンクは、私。
水色は、るり。
たった一人の男の人を、私たちはこの表で分けあった。
……どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
冷蔵庫の前に立ったまま、私は何度目かのため息をつく。
3ヶ月前の私に教えてあげたい。
この一枚の紙が、5年ずっと世界でいちばん大事だった親友との間に、あんなに深い亀裂を入れることになるなんて。
少しだけ、時間を戻させてほしい。
……
星野ひなた(ほしの ひなた)、24歳。
雑貨ブランドのSNSを、家のパソコンで一日じゅう回している。
その日の朝も、私はリビングのソファで、膝に猫のクッションを抱えて商品写真を選んでいた。
カーテンの隙間から、初夏の光がまっすぐ差し込んでくる。
玄関のドアが、そっと開いた。
「ただいま……ああ、疲れた」
低くて、少し掠れた声。黒瀬るり(くろせ るり)、25歳。
都心の会員制バーでカウンターに立っていて、朝方に帰ってくる。
夜が仕事のるりと、昼が仕事の私。
生活の時間はまるで逆なのに、私たちはもう3年、この2LDKで一緒に暮らしている。
「おかえり、るり。なんか、食べる?作るよ」
「いい。シャワー浴びて寝る」
そう言いながら、るりはヒールを脱いで、私の隣にどすんと腰を落とした。
香水と、夜の店の匂いが、ふわりと運ばれてくる。
タイトなワンピースに、少し崩れた化粧。それでも、この人はどうしてこんなに綺麗なんだろうと、いつも思う。
私がどれだけ背伸びしても届かない色っぽさが、るりには最初から備わっている。
丸っこくて甘い顔立ちの私と、切れ長の目をした大人っぽいるり。
並ぶといつも、姉と妹みたいだねと言われる。もちろん、姉はるりのほうだ。
「ひな。また徹夜で写真いじってたでしょ」
「うっ……なんで分かるの?」
「顔に出てる。目の下、真っ黒。ちゃんと寝なよ、子どもじゃないんだから」
言い方はぶっきらぼうなのに、るりの手は私の髪をくしゃっと撫でていく。
学生の頃、バイト先で出会って以来、ずっとこうだ。
夜型で口の悪いこの人が、私のことをいちばん気にかけてくれている。
正反対の私たちが、なぜか離れられない。
その日、私がるりの肩にもたれて、二人で他愛のない話をしながら笑っていたことを、あとになって何度も思い出すことになる。あんなに近かったのに、と。
私にとって、るりは自慢の親友だった。
その関係が、あんなにもろいものだったなんて、このときはまだ、知らなかった。
……
事件は、その週の休日に起きた——なんて、大げさに言うほどのことじゃない。
隣の空き部屋に、引っ越しのトラックが停まっただけの話だ。
ベランダで洗濯物を干していた私は、階段を上ってくる段ボールの山と、その下から伸びる長い脚を見つけた。
荷物に潰されそうになりながら、その人は器用にバランスを取っている。
「あ……えっと、こんにちは。今日から隣に越してきました、成瀬です」
段ボールの陰から現れたのは、清潔感のある青年だった。
きちんと整えた髪。皺のないシャツ。汗をかいているのに、少しも暑苦しくない。
私より3つ、4つ年上に見えた。
洗濯かごを足元に置いて、私は手すりから身を乗り出した。
「わ、大変そう。手伝いますよ?」
つい、そう言ってしまうのが私の悪い癖だ。困っている人を見ると、放っておけない。相手が誰であっても、だ。
「え、いや、そんな、悪いです。大丈夫です。……あ、でも、この箱だけ、その、お願いしても……いや、やっぱり自分で……」
断るのか頼るのか、成瀬さんはしばらく自分の中で押し問答をしていた。
優しそうで、ちょっと頼りない。そのちぐはぐさが、なんだかおかしくて、私は笑ってしまった。
「持ちます。ほら、貸して」
結局私が箱を受け取ると、成瀬さんは眉を下げて、困ったように、でも嬉しそうに笑った。
中身は本らしく、ずっしりと重い。
「重かったですよね、すみません。あの、お礼、何か……いや、初対面で急にお礼っていうのも変か……えっと」
言葉を探して、成瀬さんはまた自分の中で迷い始める。
この人は、いい人でありたくて、でも、どう振る舞えばいいのか決めきれないんだろう。
そういう不器用さが、なんだか可愛く見えてしまった。
そのとき、背後でドアの開く音がした。
「ひな、何やってんの」
寝起きのるりが、気だるげに顔を出す。
ノーメイクで、シャツ一枚。それでも成瀬さんの視線が、一瞬、るりに吸い寄せられたのを、私は見逃さなかった。
「あ……はじめまして。隣に越してきた、成瀬律(なるせ りつ)といいます」
律さん、と胸の中で呼んでみる。
このときの私は、まだ何も始まっていないつもりでいた。
ただの新しいご近所さん。ただ、少し優しくて、少し不器用なだけの、隣の人。
三人で笑いあった、この気持ちのいい距離が、いつまでも続くんだと思っていた。
——でも。
冷蔵庫のあの表を思えば、すべては、この夏の朝から始まっていたのだ。
私の字で書いた、1週間の表。
月曜、水曜、金曜はピンクのマーカー。火曜、木曜、土曜は水色。
そして日曜だけが、どの色にも塗られないまま、白く空いている。
ピンクは、私。
水色は、るり。
たった一人の男の人を、私たちはこの表で分けあった。
……どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
冷蔵庫の前に立ったまま、私は何度目かのため息をつく。
3ヶ月前の私に教えてあげたい。
この一枚の紙が、5年ずっと世界でいちばん大事だった親友との間に、あんなに深い亀裂を入れることになるなんて。
少しだけ、時間を戻させてほしい。
……
星野ひなた(ほしの ひなた)、24歳。
雑貨ブランドのSNSを、家のパソコンで一日じゅう回している。
その日の朝も、私はリビングのソファで、膝に猫のクッションを抱えて商品写真を選んでいた。
カーテンの隙間から、初夏の光がまっすぐ差し込んでくる。
玄関のドアが、そっと開いた。
「ただいま……ああ、疲れた」
低くて、少し掠れた声。黒瀬るり(くろせ るり)、25歳。
都心の会員制バーでカウンターに立っていて、朝方に帰ってくる。
夜が仕事のるりと、昼が仕事の私。
生活の時間はまるで逆なのに、私たちはもう3年、この2LDKで一緒に暮らしている。
「おかえり、るり。なんか、食べる?作るよ」
「いい。シャワー浴びて寝る」
そう言いながら、るりはヒールを脱いで、私の隣にどすんと腰を落とした。
香水と、夜の店の匂いが、ふわりと運ばれてくる。
タイトなワンピースに、少し崩れた化粧。それでも、この人はどうしてこんなに綺麗なんだろうと、いつも思う。
私がどれだけ背伸びしても届かない色っぽさが、るりには最初から備わっている。
丸っこくて甘い顔立ちの私と、切れ長の目をした大人っぽいるり。
並ぶといつも、姉と妹みたいだねと言われる。もちろん、姉はるりのほうだ。
「ひな。また徹夜で写真いじってたでしょ」
「うっ……なんで分かるの?」
「顔に出てる。目の下、真っ黒。ちゃんと寝なよ、子どもじゃないんだから」
言い方はぶっきらぼうなのに、るりの手は私の髪をくしゃっと撫でていく。
学生の頃、バイト先で出会って以来、ずっとこうだ。
夜型で口の悪いこの人が、私のことをいちばん気にかけてくれている。
正反対の私たちが、なぜか離れられない。
その日、私がるりの肩にもたれて、二人で他愛のない話をしながら笑っていたことを、あとになって何度も思い出すことになる。あんなに近かったのに、と。
私にとって、るりは自慢の親友だった。
その関係が、あんなにもろいものだったなんて、このときはまだ、知らなかった。
……
事件は、その週の休日に起きた——なんて、大げさに言うほどのことじゃない。
隣の空き部屋に、引っ越しのトラックが停まっただけの話だ。
ベランダで洗濯物を干していた私は、階段を上ってくる段ボールの山と、その下から伸びる長い脚を見つけた。
荷物に潰されそうになりながら、その人は器用にバランスを取っている。
「あ……えっと、こんにちは。今日から隣に越してきました、成瀬です」
段ボールの陰から現れたのは、清潔感のある青年だった。
きちんと整えた髪。皺のないシャツ。汗をかいているのに、少しも暑苦しくない。
私より3つ、4つ年上に見えた。
洗濯かごを足元に置いて、私は手すりから身を乗り出した。
「わ、大変そう。手伝いますよ?」
つい、そう言ってしまうのが私の悪い癖だ。困っている人を見ると、放っておけない。相手が誰であっても、だ。
「え、いや、そんな、悪いです。大丈夫です。……あ、でも、この箱だけ、その、お願いしても……いや、やっぱり自分で……」
断るのか頼るのか、成瀬さんはしばらく自分の中で押し問答をしていた。
優しそうで、ちょっと頼りない。そのちぐはぐさが、なんだかおかしくて、私は笑ってしまった。
「持ちます。ほら、貸して」
結局私が箱を受け取ると、成瀬さんは眉を下げて、困ったように、でも嬉しそうに笑った。
中身は本らしく、ずっしりと重い。
「重かったですよね、すみません。あの、お礼、何か……いや、初対面で急にお礼っていうのも変か……えっと」
言葉を探して、成瀬さんはまた自分の中で迷い始める。
この人は、いい人でありたくて、でも、どう振る舞えばいいのか決めきれないんだろう。
そういう不器用さが、なんだか可愛く見えてしまった。
そのとき、背後でドアの開く音がした。
「ひな、何やってんの」
寝起きのるりが、気だるげに顔を出す。
ノーメイクで、シャツ一枚。それでも成瀬さんの視線が、一瞬、るりに吸い寄せられたのを、私は見逃さなかった。
「あ……はじめまして。隣に越してきた、成瀬律(なるせ りつ)といいます」
律さん、と胸の中で呼んでみる。
このときの私は、まだ何も始まっていないつもりでいた。
ただの新しいご近所さん。ただ、少し優しくて、少し不器用なだけの、隣の人。
三人で笑いあった、この気持ちのいい距離が、いつまでも続くんだと思っていた。
——でも。
冷蔵庫のあの表を思えば、すべては、この夏の朝から始まっていたのだ。
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