溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

第52話 募る想い

「何してるの?」

 不意に降ってきた声に、守兄の動きがぴたりと止まった。
 私は息をするのも忘れて、その場で固まる。

 ぎこちなく顔を向けると、台所の方から太陽が顔だけひょこっと出して、こちらをじっと見ていた。

「守兄……さすがに、こんなところで姉ちゃんに迫るのはやめてよね。
 僕、いるんですけど」

 あきれ顔で肩をすくめ、大きなため息。
 そのまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 守兄は、どこか残念そうに笑って、私から身を引いた。

 張り詰めていた空気がほどけ、ようやく息をつく。
 慌てて体を起こし、深呼吸。

 た、助かった……。

 安堵したのも束の間、太陽が隣にしゃがみ込み、いきなり私の頬をつねった。

「い、いたい!」

 思わず睨みつけると、太陽も負けじと睨み返してくる。

「姉ちゃん、もうちょっとしっかりしてよ。そんなんだから悩みが増えるんだよ」

 頬をふくらませながらも、口元には悪戯っぽい笑み。

 うちの弟、やっぱり只者じゃない。
 年齢、ごまかしてないよね? どうしてこんなに大人びてるんだろう。
 あきらのことも、守兄のことも。
 私の揺れる気持ち――全部見透かされているような気がする。

 じっと太陽を見つめると、弟は勝ち誇ったようにふっと笑った。
 そして守兄に「じゃあ、またね。おやすみ」とだけ言い残し、自分の部屋へと消えていった。



 しんと静まり返る室内。
 また、ふたりきりになってしまう。

 私はそっと守兄を見る。彼も同じように私を見つめていた。

 絡んだ視線に胸が高鳴る。

 や、やばい。
 さっきのこともあって、気まずさが倍増している。

 なんとか空気を和らげようと、私は明るい声を出した。

「あ、もう遅いし……守兄、帰る?」

 言ってから、自分の言葉にはっとする。

 ――しまった。また守兄って呼んでしまった。
 さっき「守さん」って言ったばかりなのに。長年の癖はそう簡単に抜けないらしい。

 視線を泳がせていると、小さな笑い声がする。
 おそるおそる視線を向けると、そこには優しい笑顔。

「いいよ、無理しなくて。呼びやすいなら、そのままで」

 その眼差しは、愛おしさで満ちていた。

 彼は、本当に私のことを大切に思ってくれている。そう伝わってくる。

 やだ……は、恥ずかしい。
 また頬が熱を帯びる。

「う、うん。そうする」

 返すので精いっぱいで、それ以上は何も考えられなかった。

「でも、いつかは呼んでほしいけどね」

 穏やかな声色の奥に、まっすぐで熱い想いが宿っている。
 視線が私をとらえて離さない。

 心臓がまた激しく暴れ出す。

 もう、やめて。
 なんでそんなふうに揺さぶることばかり言うのよ。
 それでなくても、いまは――。

 あきら。

 その名前を思い浮かべた瞬間、胸がきゅっと痛んだ。
 脳裏に彼の顔がよぎり、苦しくなる。

 慌ててその想いを振り払う。

 私の様子に気づいたのだろう。
 守兄はふっと悲しげな目をしたあと、ゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ、帰るよ」

 気遣うように向けられた笑みに、また胸が痛む。

 ああ、私はいったいどうしてしまったの。
 どうすればいいの。

 あきらのことも、守兄のことも。

 どちらにも答えを出せなくて、ただ黙り込んでしまう。

 そんな私に背を向け、守兄は静かに帰っていった。


 ***


 それからも、守兄は毎日欠かさず私のもとを訪れた。

 優しく包み込むようにそばにいて、笑顔をくれる。私はそのぬくもりに、いつの間にか甘えていた。

 あきらとは、あれから会っていない。連絡もない。
 彼のことを想うたび、胸がぎゅっと締めつけられる。

 ……愛しい。好き。けれど、想い続けることにもう疲れていた。

 寄り添い、支えてくれる守兄。
 その肩にもたれかかる瞬間もあった。

 自分の弱さや狡さに押しつぶされそうになる。誰かに頼らなければ立っていられない。

 あきらのことは、できるだけ考えないようにしていた。
 思い出すたび、心がすり減っていく気がするから。

 なのに、心も頭も、気づけばあきらでいっぱいになる。

 守兄はきっと、その気持ちをすべてわかっていた。それでも黙って、そばで支えようとしてくれていた。

 ごめんなさい。
 心の中で、何度もそう繰り返す。

 そうして、また私はあきらからの連絡を待つ。

 卑怯だ。最低だ。

 そんな想いを抱えながら過ごしていた、ある日の夕方。


 突然、チャイムが鳴った。

「はいはい」

 玄関に向かい、扉を開ける。
 そこに立っていたのは、あきらのマネージャー、小森さんだった。

「え……」

 私は固まった。
 だって、彼女がひとりで家を訪れるのは初めてだったから。
 いつもはあきらと一緒か、迎えに来るときくらいで。

「あ、あの」

「ちょっと、話があるの」

 鋭い瞳がまっすぐに私を射抜く。
 怒っているような目。けれど、悲壮感が漂っていた。

 切羽詰まったような、張りつめた気配。

「きて」

 短くそう告げると、小森さんはくるりと背を向けた。

「え、ちょっと……」

 胸がざわつく。
 どうしたんだろう。怖い。でも、いつもと違う彼女の表情。

 もしかして、あきらに何かあったの?

 焦りに駆られ、私は小森さんの背中を追いかけた。
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