完璧美男子の甘い誘惑
◇
打ち合わせは順調に進み、予定通り四時過ぎに終了した。
今回ふたりで担当するのは、駅前にある飲食店のリフォーム工事だ。
実際にリフォーム対象となる店舗を確認しながら打ち合わせできたおかげで、写真や図面より正確なイメージが掴めた。
「方向性も決まってよかったですね」
「あ、うん……。そう、だ、……ね……」
施主も感じがいい人で、施工内容の決定もスムーズに進みそうだった。
これから会社に戻って細かい金額を詰めたり、工事スケジュールの確認をしたりと、やらなければいけないことが盛りだくさんなのに、なぜか足取りが重い。
「大熊さんっ?」
いつも冷静な悠介にしては珍しく取り乱している。
(あれ?おかしいな……)
身体が熱いのは、どうやら気のせいじゃないらしい。
頭がクラクラして、まともに歩けそうにない。
異変に気づいた悠介が身体を支えてくれなかったら、その場に倒れていたに違いない。
次に静香の意識がはっきりしたのは、あれほど容赦なかった太陽が影を潜め、むせかえるような暑さが和らいだころだった。
「樋笠くん……?」
「よかった。熱中症になりかけていたみたいですよ。あと五分目覚めるのが遅かったら、救急車を呼んでました」
静香は気がつくと、公園のベンチに寝そべっていた。
動けなくなった静香を日陰のベンチまで運んだのは他でもなく悠介だろう。
朦朧とした意識の中で彼が色々と世話を焼いてくれたことが頭の中を駆け巡る。
その証拠に頭の上には彼の日傘が立てかけられ、首のうしろと背中にはコンビニによく売られている大袋のロックアイスがタオルに包まれ添えられていた。
「これ、飲んでください」
「ありがとう」
ベンチから起き上がると冷たいペットボトルのスポーツ飲料を手渡される。
独特の甘味と酸味を身体が欲していたらしく、一気に三分の一ほど飲んでしまう。
スポーツ飲料を胃に流し終わりふうっと息をつくと、悠介がとなりに腰かけてくる。
「店の中、暑かったですもんね。エアコンも壊れたままだったし」
「ごめんね、樋笠くん。迷惑かけちゃったよね」
「いいえ。別にこれぐらいなんともないです。俺、大熊さんには恩がありますから」
「恩?」
感謝されるような覚えはなく、静香は首を傾げた。
どちらかといえば、彼には仕事上のミスを何度も指摘してもらって助けてもらってばかりだ。
「実は前の会社は俺がメイクしているのを気に入らない上司がいて、気まずくなって辞めたんです。俺が初めてハートフル工務店に出社したときもやっぱり似たような変な空気になって……。そのとき大熊さんが俺のことを『自分でやったの?かっこいいね』って褒めてくれてから空気が変わったんです」
恥ずかしそうに説明する悠介を見て、記憶を手繰り寄せてみるが、詳細は朧気だ。
「大熊さんは俺が苦手ですか?」
「えっ!?」
「俺と一緒にいるときは、いつも気まずそうにしているので……」
「苦手というか……。樋笠くんのとなりにいると、そわそわして落ち着かないっていうか。ほ、ほらっ!私って化粧っ気もないし、樋笠くんのとなりにいると気後れするっていうか……」
半分ほど本音を語ったあとで、ハッと気づき慌てて誤魔化す。
避けていると誤解されるのも困るが、同僚に邪な思いを抱いていると悟られたくない。
毎朝面倒だからといつも最低限のメイクのみで、ひどいときには日焼け止めぐらいしか塗らない。
あれこれ気を使っている悠介に比べたら、ほとんどすっぴんみたいなのは事実だ。
これでなんとか誤魔化せるだろうとたかを括っていると、大きな瞳をさらにまん丸にしていた悠介が口もとに穏やかな笑みをたたえ始める。
「俺はそのままの大熊さんが好きですよ」
「え?」
予想もしない言葉が悠介の口から発せられ、つい耳を疑う。
「今のままでも充分綺麗ですけど変わりたいって言うなら、俺が手取り足取り教えます。そうだ。ちょうど昨日買ったばかりのリップが手もとにあるんです」
手取り足取り教えるのはすでに決定事項のようで、トントン拍子で話が進む。
ニコリと妖艶な笑みを浮かべながら新品のリップを差し出され、静香はチラッと彼の様子を窺いながら恐るおそる唇にリップを塗った。
「おそろいですね」
ふふっとうれしそうに静香の唇を眺める悠介の満足げな表情を見て、ぶわっと血が全身を駆け巡っていく。
(な、なにこれっ!)
先ほど倒れたときよりも身体が熱い。
恥ずかしさのあまり、彼の顔がまともに見られなくなり、思わず目を逸らす。
心の平穏を保つべく、トートバッグをぎゅっと腕に抱えこむ。
「もう、動けますか?」
「う、うん。平気……」
そう答えるやいなや、目の前でパシュンと日傘が開く。
「もっと近くに寄ってください」
「えっ!?」
「まだ日差しも残ってますからね」
太陽が徐々に傾き始めているが、悠介はお構いなしに日傘の中に静香を導く。
肩同士が触れ合い、なぜか心臓がドキドキして止まらなくなる。
ふたりで入る傘の中は案外狭いというのが、どうでもいい発見だ。
「お、おそろいのリップなんて誰かになにか言われないかな?」
万が一でも目ざとい誰かに見つかったらと思うと気が気でなくて、つい口に出る。
「大熊さんって、鈍いですよね。まあ、そこがかわいいところなんですけど」
おそろいのリップが塗られた唇で悠然と微笑み返されるとなぜかそれ以上反論できなくなる。
(まさか……ね?)
静香が魔性の男の沼にハマるのは、もはや時間の問題なのだった。


