ひまわりが咲く場所で(続)描きちゅう
by梨衣

「今の、何……?」
梨衣はその場に立ち尽くしていた。


頭の中に響いた、泣きそうな瑠唯の声。そして、白い天井の記憶。まるで自分がかつて、この病院で彼に酷く心配をかけたことがあるような、不思議で切ない感覚が胸を締め付ける。

「七瀬? どうした、ぼーっとして」

後ろから声をかけてきたのは、先輩看護師の木下だった。梨衣はハッとしてキーホルダーをポケットにしまい込み、慌てて笑顔を作った。

「あ、いいえ! なんでもありません。次の検温に行ってきます!」

「無理しなくていいからね。相葉先生、新人にはちょっと厳しいけど、本当は誰よりも患者さんのことを見てる先生だから」

木下の言葉に、梨衣は小さく頷いた。厳しいけれど、瑠唯の言葉にはいつも、突き放すような冷たさではなく、自分の限界を心配してくれているような不器用な温かさがある。

その日の夜、梨衣は初めての夜勤帯の補助に入っていた。
静まり返った深夜の病棟。ナースステーションで明日の準備をしていると、緊急の呼び出し音が鳴り響いた。


『救急搬送が入ります! 急性心不全の疑い、まもなく到着します!』


緊迫したアナウンスと同時に、救急外来の自動ドアが開く音が遠くで響いた。

梨衣が緊張で身体をこわばらせていると、奥の医局から素早い足取りで瑠唯が現れた。昼間のぶっきらぼうな雰囲気は一切なく、その瞳は鋭く、冷徹なまでに集中している。

「七瀬、救急カートの準備。木下先輩の指示に従って動け。絶対に足をもつれさせるなよ」

「は、はい!」

搬送されてきた患者の処置が迅速に始まる。モニターの電子音、飛び交う医師たちの指示。梨衣は圧倒されそうになりながらも、必死に瑠唯の動きを目で追った。

瑠唯の手際は完璧だった。的確に指示を出し、患者のバイタルを安定させていく。その背中は、かつて莉緒が倒れたあの日に何もできなかった少年ではなく、目の前の命を絶対に救うという強い執念を持った「医師」のものだった。
処置が終わり、患者の状態が落ち着いたのは、東の空が白み始めた頃だった。

「ふぅ……」

誰もいない静かな廊下で、梨衣は壁に背中を預けて深く息を吐き出した。緊張が解けた途端、足の震えが止まらなくなる。自分の無力さと、命の現場の重圧に、気づけば涙が視界を滲ませていた。

「言っただろ。泣くなら俺の前で泣けって」

不意に頭上から降ってきた声に顔を上げると、缶の緑茶を差し出す瑠唯が立っていた。彼の白衣には、激しい処置の跡がかすかに残っている。

「相葉先生……」
「初めての急変だ、怖くて当然だろ。……よく逃げずに動いたな」

瑠唯は隣に腰掛けると、梨衣の頭をぽんぽんとぶっきらぼうに叩いた。
その手の温もりに触れた瞬間、梨衣の張り詰めていた心の糸がぷつりと切れ、堪えていた涙がポロポロと溢れ出した。

「私……何もできなくて……っ、怖かった、です……」


「それでいい。怖いと思うからこそ、医者も看護師も油断しないんだ。お前はそのまま、その気持ちを忘れるな」

瑠唯は真っ直ぐに前を見つめたまま、静かに続けた。

「俺が隣にいる。お前がどんなに不器用でも、倒れそうになっても、俺が絶対に支えてやるから」

その言葉は、形を変えて再び巡り会った二人の、新しい「約束」のようだった。

梨衣は涙を拭い、まだ少し引きつりながらも、今度は作った仮面ではない、心からの小さな笑顔を瑠唯に向けた。
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