ひまわりが咲く場所で(続)
by梨衣

瑠唯が仮眠室を出て行ったあと、梨衣は彼から掛けられた白衣をそっと掴み直した。

まだほんのりと彼の体温が残っている白衣。彼の匂いに包まれているだけで、不思議と身体の芯から押し寄せていた疲労感が和らいでいくようだった。
トントン、と小さなノックの音がして、仮眠室のドアが再び開いた。
「七瀬さん、少し落ち着いた?」

入ってきたのは、先輩看護師の木下だった。手には冷却シートとスポーツドリンクを持っている。

「木下先輩……すみません、私のせいで夜勤の体制に迷惑をかけてしまって」

ベッドから起き上がろうとする梨衣を、木下は優しい手つきで制した。

「いいのいいの、気にしないで。それよりこれ、相葉先生から。『七瀬に貼ってやれ』って、ぶっきらぼうに渡されちゃった。先生、自分で渡しに来ればいいのにね」

木下はクスッと笑いながら、梨衣の額に冷たい冷却シートを貼ってくれた。ひんやりとした刺激が、熱を持った頭を心地よく冷ましていく。

「相葉先生が……ですか?」

「そうだよ。先生、さっきナースステーションに戻ってきたとき、なんだかすごく耳まで赤くして『七瀬の様子を見てきてやってください』って。あんなに慌ててる相葉先生、初めて見たかも」

木下の言葉を聞いた瞬間、梨衣の胸が再びドクンと小さく跳ねた。
「梨衣」と名前で呼ばれたあの瞬間の、彼の少し掠れた声が耳の奥で何度もリフレイクする。

「私……ただの新人なのに、あんなに優しくしてもらえるなんて思わなくて」

「ふふ、相葉先生は誰にでもあんな風にするわけじゃないと思うよ? 先生、普段は冷徹に見えるけど、本当に大切なものに対してはすごく不器用で行き届いた優しさを見せる人だから。七瀬さんのこと、特別な新人だと思ってるんじゃないかな」

木下はそう言い残し、「しっかり休むんだよ」とウィンクをして部屋を出て行った。

一人になった静かな部屋で、梨衣は自分の胸に手を当てた。
早鐘のように打つ鼓動は、決して熱のせいだけではなかった。

(特別な、新人……)

記憶の底にはないはずなのに、彼の優しさに触れるたび、魂がその温もりをずっと前から知っていたかのように歓喜している。
翌朝、すっかり熱の引いた梨衣が白衣を綺麗に畳んで医局へ向かうと、ちょうどシフト終わりの瑠唯がデスクで書類を整理していた。

「相葉先生……! 昨夜は本当にありがとうございました。熱、もう完全に下がりました!」

梨衣が元気よく声をかけると、瑠唯は一瞬だけ書類の手を止め、彼女を凝視した。その切れ切れの涼しい瞳が、梨衣の顔色を隅々までチェックするように動く。

「……ならいい。もう二度と俺のシフトの時に倒れるなよ」

相変わらずの素っ気ない物言い。けれど、瑠唯は梨衣から綺麗に畳まれた白衣を受け取るとき、その指先が梨衣の手にほんの少しだけ長く触れていた。

「あ、あの、相葉先生!」

「何だよ」

「今度、体調管理のお礼に、何か美味しいものでもご馳走させてください!」

梨衣の真っ直ぐな提案に、瑠唯は一瞬呆気に取られたように目を見開いた。そして、今度は明らかに顔を赤くしながら、ふいっと視線を逸らした。

「……気が向いたらな。早く着替えて帰れ、バカ」

そう言って足早に医局を出ていく瑠唯の背中を見送りながら、梨衣は今度こそ、作った仮面ではない心からの本当の笑顔を咲かせていた。
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