オタクな秘書の攻略方法〜来る者拒まず去る者追わずだった同期に一途に溺愛される
第46話 沈黙のモノローグ
金曜日の朝。
真白はいつもより30分早く出社し、役員フロアの給湯室で常務用のハーブティーを淹れていた。
その横顔には、いつもと変わらない完璧な化粧。少しの乱れもないシニヨン。
「時間をください」と蓮に告げてから、彼女は彼の連絡先を一時的にミュートにし、仕事以外のすべての時間を「考えること」に費やしていた。
(神尾さんに、嘘はない)
それは、痛いほど分かっていた。
今、彼が自分に向けてくれる余裕のない表情や、必死な眼差し、ゲームをしながら見せてくれた子供のような笑顔。それらすべてが本物で、私だけに見せてくれている特別なものだという確信はある。
そして、緑川という女性に裏切られ、心が壊れてしまった彼が、二度と深く傷つかないために「来るもの拒まず去るもの追わず」という冷徹な方法でしか、自分を保てなかったのだろうという原因も、頭では理解している。
けれど、理解することと、傷つかないことは別だった。
彼が別の誰かをその腕に抱き、同じように囁き、そして翌朝には冷たく切り捨ててきた。
その生々しい過去の事実は、恋愛未経験の真白にとって、あまりにも巨大な劇薬だった。
(私は、彼が初めての恋人で、すべてが新しくて、特別なのに……。私のこのときめきも、戸惑いも、彼にとっては『また同じことの繰り返し』なのだろうか……)
信じているはずなのに、一度生まれてしまった猜疑心は、真白の胸の奥をじわじわと侵食していく。
彼の歪みを、彼のすべてを、本当に自分は受け止めきれるのだろうか。
その覚悟が持てるまで、今の状態のまま蓮の前に立つことはできなかった。
一方、営業一課のフロア。
「……神尾。お前、今日ちょっと顔色悪すぎだろ。昨日寝てないのか?」
デスクの隣で、佐伯が心配そうに声をかけてきた。
「……大丈夫だ。問題ない」
蓮はPCの画面を睨みつけたまま、掠れた声で答えた。
タイピングをする指先は、いつも通り正確で素早い。
けれど、その横顔はまるで行き止まりに追い詰められた獣のように張り詰めており、一課の誰もが気軽に話しかけられないほどの殺気を孕んでいた。
真白から連絡は、ない。
「時間をください」と言われてから、蓮は彼女のプライベートをこれ以上侵食しては嫌われると思い、必死に指先を縛って、メッセージを送るのを堪えていた。
(乾さん……)
何度もスマートフォンの画面を見ては、未読のままの画面に絶望する。
これまで、数え切れないほどの女性を自分から切り捨て、携帯の連絡先を冷酷に消去してきた。
その自分が、今はたった一通の連絡が来ないだけで、呼吸の仕方を忘れてしまうほどに溺れそうになっている。
午後、役員会議の追加資料を届けるため、真白が営業フロアへ降りてきた。
「乾さん、お疲れ様。……これ、一課の分の受領印ね」
「ありがとうございます、佐伯さん。それでは失礼いたします」
佐伯を介して、仕事上のやり取りが進む。
真白は徹底して、蓮の方へ視線を向けようとはしなかった。
完全に「神尾蓮」という存在をノイズとして排除し、ロボットのように完璧に秘書としての任務をこなしている。
蓮は、そんな真白の後ろ姿を、ただデスクからじっと見つめることしかできなかった。
声をかければ、彼女のプロとしての領域を汚してしまう。
けれど、あんなに近くにいるのに、彼女との距離が果てしなく遠く感じられて、蓮の胸は引き裂かれそうだった。
交わらない視線。
完璧な秘書としての静寂を守りながら、真白は自らの心の中で、愛と傷跡の天秤をそっと揺らし続けていた。
真白はいつもより30分早く出社し、役員フロアの給湯室で常務用のハーブティーを淹れていた。
その横顔には、いつもと変わらない完璧な化粧。少しの乱れもないシニヨン。
「時間をください」と蓮に告げてから、彼女は彼の連絡先を一時的にミュートにし、仕事以外のすべての時間を「考えること」に費やしていた。
(神尾さんに、嘘はない)
それは、痛いほど分かっていた。
今、彼が自分に向けてくれる余裕のない表情や、必死な眼差し、ゲームをしながら見せてくれた子供のような笑顔。それらすべてが本物で、私だけに見せてくれている特別なものだという確信はある。
そして、緑川という女性に裏切られ、心が壊れてしまった彼が、二度と深く傷つかないために「来るもの拒まず去るもの追わず」という冷徹な方法でしか、自分を保てなかったのだろうという原因も、頭では理解している。
けれど、理解することと、傷つかないことは別だった。
彼が別の誰かをその腕に抱き、同じように囁き、そして翌朝には冷たく切り捨ててきた。
その生々しい過去の事実は、恋愛未経験の真白にとって、あまりにも巨大な劇薬だった。
(私は、彼が初めての恋人で、すべてが新しくて、特別なのに……。私のこのときめきも、戸惑いも、彼にとっては『また同じことの繰り返し』なのだろうか……)
信じているはずなのに、一度生まれてしまった猜疑心は、真白の胸の奥をじわじわと侵食していく。
彼の歪みを、彼のすべてを、本当に自分は受け止めきれるのだろうか。
その覚悟が持てるまで、今の状態のまま蓮の前に立つことはできなかった。
一方、営業一課のフロア。
「……神尾。お前、今日ちょっと顔色悪すぎだろ。昨日寝てないのか?」
デスクの隣で、佐伯が心配そうに声をかけてきた。
「……大丈夫だ。問題ない」
蓮はPCの画面を睨みつけたまま、掠れた声で答えた。
タイピングをする指先は、いつも通り正確で素早い。
けれど、その横顔はまるで行き止まりに追い詰められた獣のように張り詰めており、一課の誰もが気軽に話しかけられないほどの殺気を孕んでいた。
真白から連絡は、ない。
「時間をください」と言われてから、蓮は彼女のプライベートをこれ以上侵食しては嫌われると思い、必死に指先を縛って、メッセージを送るのを堪えていた。
(乾さん……)
何度もスマートフォンの画面を見ては、未読のままの画面に絶望する。
これまで、数え切れないほどの女性を自分から切り捨て、携帯の連絡先を冷酷に消去してきた。
その自分が、今はたった一通の連絡が来ないだけで、呼吸の仕方を忘れてしまうほどに溺れそうになっている。
午後、役員会議の追加資料を届けるため、真白が営業フロアへ降りてきた。
「乾さん、お疲れ様。……これ、一課の分の受領印ね」
「ありがとうございます、佐伯さん。それでは失礼いたします」
佐伯を介して、仕事上のやり取りが進む。
真白は徹底して、蓮の方へ視線を向けようとはしなかった。
完全に「神尾蓮」という存在をノイズとして排除し、ロボットのように完璧に秘書としての任務をこなしている。
蓮は、そんな真白の後ろ姿を、ただデスクからじっと見つめることしかできなかった。
声をかければ、彼女のプロとしての領域を汚してしまう。
けれど、あんなに近くにいるのに、彼女との距離が果てしなく遠く感じられて、蓮の胸は引き裂かれそうだった。
交わらない視線。
完璧な秘書としての静寂を守りながら、真白は自らの心の中で、愛と傷跡の天秤をそっと揺らし続けていた。