オタクな秘書の攻略方法〜来る者拒まず去る者追わずだった同期に一途に溺愛される
第47話 重なる独白、それぞれの覚悟
金曜日の夜。
オフィスビルから少し離れた、落ち着いた照明のダイニングバー。
店の奥の半個室で、聖良は運ばれてきたカクテルに手を付けず、目の前で静かにグラスを見つめる真白の顔をじっと覗き込んだ。
「……やっぱりね。今週の真白、明らかに様子がおかしかった。仕事は120点満点で完璧だったけど、呼吸の音が張り詰めすぎてて、隣にいる私が酸欠になりそうだったよ」
聖良の優しく、けれど核心を突く言葉に、真白の肩が小さく揺れた。
「聖良……」
「仕事以外の時間は、ずっと考え込んでる顔してさ。神尾くんとも、エレベーターですれ違っても目すら合わせないし。……何があったの? 私で良ければ、全部吐き出しちゃいなさい」
聖良のまっすぐな眼差しに促され、真白の瞳に溜まっていた熱いものが、ついに堪えきれず一粒、グラスの縁へと零れ落ちた。
真白は、あの日起きた出来事を、すべて正直に話し始めた。
常務のレセプションで緑川が現れ、蓮の凍りつくような表情を見たこと。
そして、帰り道に緑川に待ち伏せされ、今まで知る由もなかった蓮の過去の生々しい女性関係の内情を事細かに吹き込まれたこと――。
神尾には何一つ伝えていない、自分だけで抱えていた秘密を、聖良にだけは全て吐露した。
「神尾さんの、今、私に向けてくれてる愛を疑っているわけじゃないの」
真白は自分の胸元をぎゅっと握りしめ、掠れた声で続けた。
「今の神尾さんが私を本当に大切に思ってくれていて、私に見せてくれる顔に嘘がないことは、痛いほど分かってる。緑川さんに裏切られて、傷ついて……そうせざるを得なかった過去の彼の弱さも、理解はできるの。……でも」
真白はきゅっと唇を噛んだ。
「乙女心としては、どうしても傷ついてしまうの。私にとっては神尾さんが初めての恋人で、触れ合うことすべてが特別なのに……神尾さんにとっては、私は何人目なんだろうって。彼が別の女性たちと重ねてきた時間を想像すると、胸が引き裂かれそうに痛くて。……そんな過去を含めて、私に彼を丸ごと受け止めるだけの器や覚悟があるのか、分からなくなっちゃったの……」
途切れ途切れに、けれど必死に本音を吐露する真白の言葉を、聖良は遮ることなく最後まで静かに聴いていた。
話し終えた真白は、まるで迷子の子どものように肩をすぼめて俯いている。
聖良は深くため息をつき、真白の手を温かく包み込んだ。
「真白。あんた、本当に真面目で、優しすぎるよ」
「え……?」
「『過去を受け入れる覚悟があるかないか』なんて、そんなにきれいに自分を納得させようとしなくていいの。相手にたくさんの過去があって、自分にはないんだもん。寂しくて、嫉妬して、惨めな気持ちになるのなんて、当たり前の乙女心だよ。仕事じゃないんだから、完璧な回答を出そうとしないで、もっと不格好に傷ついて、怒っていいんだよ」
聖良の言葉は、完璧であることを自分に義務付けていた真白の心に、優しく、けれど強く染み渡っていった。
「神尾くんが過去に何をしてようが、今あんたを本気で愛して、みっともないくらい焦らせてるのは、乾真白っていう、あんたただ一人なんだから。少し時間をかけて、その傷を神尾くんに一緒に撫でてもらいなさい。焦る必要なんて、どこにもないんだからね」
聖良の力強い言葉に、真白は何度も頷きながら、再び涙を溢れさせた。
仮面の下に隠していた「傷ついた女の子」の自分が、ようやく呼吸を許された瞬間だった。
【その裏側で――神尾と佐伯】
同じ頃、オフィス街の賑やかな居酒屋。
蓮は、目の前に置かれたジョッキのビールを一口も飲まず、ただ灰色の瞳を虚空に向けていた。
「おいおい、そんな死神みたいな顔して飲むなよ。せっかくコンペ勝ったお祝いなのにさ」
佐伯があきれたように串焼きを頬張りながら言う。だが、蓮の尋常ではない様子に、すぐにトーンを落とした。
「……で、乾さんとはどうなってんの。お前、今週ずっと死に体だけど」
「……乾さんに、『少し時間をください』と言われた」
蓮は掠れた声で、ぽつりと呟いた。
「時間を……? 何で? お前、またなんかやらかしたのか?」
「レセプションの日に緑川が現れて、乾さんの前で俺の過去を……『来るもの拒まず去るもの追わず』だった頃の話をされたんだ。あの時の乾さんの、軽蔑の混ざったような、傷ついたような目が忘れられない。……きっと、俺の冷めた本性に幻滅したんだ」
蓮は拳を固く握りしめ、自らの爪が手のひらに食い込むのを無視して言った。
彼自身の認識では、真白が傷ついた原因は「あの会場で緑川が放った『来るもの拒まず去るもの追わず』という言葉」だけであり、それ以上に緑川が裏で真白に接触し、事細かに内情を吹き込んでいたことまでは、まだ気づいていなかった。
「乾さんは恋愛が初めてなんだ。なのに、俺みたいな歪んだ男と付き合って、過去の醜い噂を聞かされて、どれだけ怖くて、どれだけ傷ついたか。……乾さんが俺を信じられなくなるのも、軽蔑するのも当然だ。すべては、俺が自分を守るために重ねてきた愚行のツケなんだよ」
蓮は頭を抱え、深く、底の見えない自己嫌悪の闇へと沈んでいく。
真白が去ってしまうかもしれないという恐怖が、彼の胸を容赦なく締め付けていた。
佐伯は静かにビールを飲み干し、そんな蓮を真っ直ぐに見据えた。
「神尾」
佐伯は、いつもよりずっと低い、真面目な声で言った。
「お前が過去にクズみたいな関係を重ねてきたのは事実だし、そこは乾さんに一生かけて謝り続けるしかない。……だけどな、乾さんは、お前を拒絶するために時間を置いてるんじゃないと思うぞ」
「……どういうことだ」
「乾さんはさ、恋愛未経験でお前が初めての彼氏になる訳だろ?そりゃ、神尾自身から事前に聞かされてなかった過去の話をノーモーションでガードなしに聞いちゃえば、冷静ではいられないだろ。そういう過去があったんだって自分の心に落とし込むのは、付き合う事が初めてなら、どうやったって時間が掛かると思うんだ。最悪の場合、その場で別れたいって言われる可能性もあった、けど乾さんは『時間が欲しい』って言ったんだよな?」
佐伯の言葉に、蓮はハッと目を見開いた。
「お前がやるべきなのは、嫌われる恐怖に怯えて縮こまることじゃない。乾さんがお前の過去と向き合う時間、待つだけじゃねぇ?お前はその乾さんが向き合ってくれるまでに、全て受け止める準備をして待つことだ。王子様の仮面じゃなくて、泥を被ってでも彼女一人のために生きるっていう、本当の男の覚悟を見せろよ」
「……佐伯」
「お前の『初めて本気になった恋』なんだろ。簡単に諦めて、またからっぽの仮面に戻るんじゃねぇよ」
佐伯に背中を強く叩かれ、蓮は痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、絶望の泥の中から、再び這い上がろうとする微かな、けれど確かな光が宿り始めていた。
どれだけ時間がかかってもいい。
彼女が傷つき、迷い、そして自分を出迎えてくれるその瞬間まで、俺は、彼女のためだけにこの両腕を空けて待ち続ける。
たとえ、どれほどの激痛を伴おうとも。
オフィスビルから少し離れた、落ち着いた照明のダイニングバー。
店の奥の半個室で、聖良は運ばれてきたカクテルに手を付けず、目の前で静かにグラスを見つめる真白の顔をじっと覗き込んだ。
「……やっぱりね。今週の真白、明らかに様子がおかしかった。仕事は120点満点で完璧だったけど、呼吸の音が張り詰めすぎてて、隣にいる私が酸欠になりそうだったよ」
聖良の優しく、けれど核心を突く言葉に、真白の肩が小さく揺れた。
「聖良……」
「仕事以外の時間は、ずっと考え込んでる顔してさ。神尾くんとも、エレベーターですれ違っても目すら合わせないし。……何があったの? 私で良ければ、全部吐き出しちゃいなさい」
聖良のまっすぐな眼差しに促され、真白の瞳に溜まっていた熱いものが、ついに堪えきれず一粒、グラスの縁へと零れ落ちた。
真白は、あの日起きた出来事を、すべて正直に話し始めた。
常務のレセプションで緑川が現れ、蓮の凍りつくような表情を見たこと。
そして、帰り道に緑川に待ち伏せされ、今まで知る由もなかった蓮の過去の生々しい女性関係の内情を事細かに吹き込まれたこと――。
神尾には何一つ伝えていない、自分だけで抱えていた秘密を、聖良にだけは全て吐露した。
「神尾さんの、今、私に向けてくれてる愛を疑っているわけじゃないの」
真白は自分の胸元をぎゅっと握りしめ、掠れた声で続けた。
「今の神尾さんが私を本当に大切に思ってくれていて、私に見せてくれる顔に嘘がないことは、痛いほど分かってる。緑川さんに裏切られて、傷ついて……そうせざるを得なかった過去の彼の弱さも、理解はできるの。……でも」
真白はきゅっと唇を噛んだ。
「乙女心としては、どうしても傷ついてしまうの。私にとっては神尾さんが初めての恋人で、触れ合うことすべてが特別なのに……神尾さんにとっては、私は何人目なんだろうって。彼が別の女性たちと重ねてきた時間を想像すると、胸が引き裂かれそうに痛くて。……そんな過去を含めて、私に彼を丸ごと受け止めるだけの器や覚悟があるのか、分からなくなっちゃったの……」
途切れ途切れに、けれど必死に本音を吐露する真白の言葉を、聖良は遮ることなく最後まで静かに聴いていた。
話し終えた真白は、まるで迷子の子どものように肩をすぼめて俯いている。
聖良は深くため息をつき、真白の手を温かく包み込んだ。
「真白。あんた、本当に真面目で、優しすぎるよ」
「え……?」
「『過去を受け入れる覚悟があるかないか』なんて、そんなにきれいに自分を納得させようとしなくていいの。相手にたくさんの過去があって、自分にはないんだもん。寂しくて、嫉妬して、惨めな気持ちになるのなんて、当たり前の乙女心だよ。仕事じゃないんだから、完璧な回答を出そうとしないで、もっと不格好に傷ついて、怒っていいんだよ」
聖良の言葉は、完璧であることを自分に義務付けていた真白の心に、優しく、けれど強く染み渡っていった。
「神尾くんが過去に何をしてようが、今あんたを本気で愛して、みっともないくらい焦らせてるのは、乾真白っていう、あんたただ一人なんだから。少し時間をかけて、その傷を神尾くんに一緒に撫でてもらいなさい。焦る必要なんて、どこにもないんだからね」
聖良の力強い言葉に、真白は何度も頷きながら、再び涙を溢れさせた。
仮面の下に隠していた「傷ついた女の子」の自分が、ようやく呼吸を許された瞬間だった。
【その裏側で――神尾と佐伯】
同じ頃、オフィス街の賑やかな居酒屋。
蓮は、目の前に置かれたジョッキのビールを一口も飲まず、ただ灰色の瞳を虚空に向けていた。
「おいおい、そんな死神みたいな顔して飲むなよ。せっかくコンペ勝ったお祝いなのにさ」
佐伯があきれたように串焼きを頬張りながら言う。だが、蓮の尋常ではない様子に、すぐにトーンを落とした。
「……で、乾さんとはどうなってんの。お前、今週ずっと死に体だけど」
「……乾さんに、『少し時間をください』と言われた」
蓮は掠れた声で、ぽつりと呟いた。
「時間を……? 何で? お前、またなんかやらかしたのか?」
「レセプションの日に緑川が現れて、乾さんの前で俺の過去を……『来るもの拒まず去るもの追わず』だった頃の話をされたんだ。あの時の乾さんの、軽蔑の混ざったような、傷ついたような目が忘れられない。……きっと、俺の冷めた本性に幻滅したんだ」
蓮は拳を固く握りしめ、自らの爪が手のひらに食い込むのを無視して言った。
彼自身の認識では、真白が傷ついた原因は「あの会場で緑川が放った『来るもの拒まず去るもの追わず』という言葉」だけであり、それ以上に緑川が裏で真白に接触し、事細かに内情を吹き込んでいたことまでは、まだ気づいていなかった。
「乾さんは恋愛が初めてなんだ。なのに、俺みたいな歪んだ男と付き合って、過去の醜い噂を聞かされて、どれだけ怖くて、どれだけ傷ついたか。……乾さんが俺を信じられなくなるのも、軽蔑するのも当然だ。すべては、俺が自分を守るために重ねてきた愚行のツケなんだよ」
蓮は頭を抱え、深く、底の見えない自己嫌悪の闇へと沈んでいく。
真白が去ってしまうかもしれないという恐怖が、彼の胸を容赦なく締め付けていた。
佐伯は静かにビールを飲み干し、そんな蓮を真っ直ぐに見据えた。
「神尾」
佐伯は、いつもよりずっと低い、真面目な声で言った。
「お前が過去にクズみたいな関係を重ねてきたのは事実だし、そこは乾さんに一生かけて謝り続けるしかない。……だけどな、乾さんは、お前を拒絶するために時間を置いてるんじゃないと思うぞ」
「……どういうことだ」
「乾さんはさ、恋愛未経験でお前が初めての彼氏になる訳だろ?そりゃ、神尾自身から事前に聞かされてなかった過去の話をノーモーションでガードなしに聞いちゃえば、冷静ではいられないだろ。そういう過去があったんだって自分の心に落とし込むのは、付き合う事が初めてなら、どうやったって時間が掛かると思うんだ。最悪の場合、その場で別れたいって言われる可能性もあった、けど乾さんは『時間が欲しい』って言ったんだよな?」
佐伯の言葉に、蓮はハッと目を見開いた。
「お前がやるべきなのは、嫌われる恐怖に怯えて縮こまることじゃない。乾さんがお前の過去と向き合う時間、待つだけじゃねぇ?お前はその乾さんが向き合ってくれるまでに、全て受け止める準備をして待つことだ。王子様の仮面じゃなくて、泥を被ってでも彼女一人のために生きるっていう、本当の男の覚悟を見せろよ」
「……佐伯」
「お前の『初めて本気になった恋』なんだろ。簡単に諦めて、またからっぽの仮面に戻るんじゃねぇよ」
佐伯に背中を強く叩かれ、蓮は痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、絶望の泥の中から、再び這い上がろうとする微かな、けれど確かな光が宿り始めていた。
どれだけ時間がかかってもいい。
彼女が傷つき、迷い、そして自分を出迎えてくれるその瞬間まで、俺は、彼女のためだけにこの両腕を空けて待ち続ける。
たとえ、どれほどの激痛を伴おうとも。