花に溺れ、香りに溶ける



  ***


 その後、稽古場の玄関先まで碧斗さまを見送りに出たときのことだった。


「碧斗くん! 今日、新しい花材が届いたって連絡しようと思ってたのにいないんだもん。百合乃さんが佐山のお家だと思うって言ってたからわざわざ来ちゃったわよ」


 軽やかな声とともに、稽古場の門から一人の女性が駆け込んできた。艶やかな黒髪を揺らしながら、こちらに向かって手を振っている。


「千夏か。……悪い、今日は美寿のところに来てたから」

「あ、美寿さんもいたんだ。こんにちは、初めまして」


 (たまき)千夏(ちなつ)さんと名乗ったその人は、華道の名門・環流の娘で、碧斗さまとは幼稚園からの付き合いだと聞いたことがある。噂には聞いていたけれど、実際に顔を合わせるのは初めてだった。


「初めまして。佐山美寿です」

「碧斗くんの許婚さんだよね。噂通り、綺麗な人」


 千夏さんはそう言って、屈託なく笑った。その笑顔には裏表がない気がして、少しほっとする。


「千夏、そういう軽口はいいから」


 碧斗さまが素っ気なく話を遮ると、千夏さんは慣れた様子で肩をすくめた。


「相変わらず愛想ないなあ。……まあ、碧斗くんがそうやって普通に喋ってくれるだけ、私は特別扱いされてるってことなんだけどね」

「特別扱い?」


 思わず聞き返すと、千夏さんは悪戯っぽく笑った。


「碧斗くんって、古い付き合いの人間にも基本的にはそっけないの。仕事の話以外はほとんど喋らないし、笑うことも滅多にない。……なのに、美寿さんの前だと、さっきからずっと違う顔してるんだもん。びっくりしちゃった。私以外にもいるんだなぁって」

「千夏」


 碧斗さまが低い声で釘を刺すと同時に、私の腰にさりげなく腕が回された。触れるか触れないかの距離を常に保っていた彼にしては珍しい、はっきりとした所有の仕草だった。




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