死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない



 清々しい陽射しが庭へ降り注いでいた。
 庭先では夏蜜柑が重たそうに枝をしならせている。
 菓子の材料にしようと、小春は鷹宮と一緒に収穫をしていた。

「お手伝いいただいて助かります。私では少し手が届かなくて……」
 小春が申し訳なさそうに頭を下げると、鷹宮は穏やかに目を細めた。
「朔夜様もお仕事ですし、私でよければいくらでも力を貸しますよ」
 そう言いながら、高い枝の果実を手際よくもいでいく。
 そこへ、志乃がぱたぱたと足音を立ててやってきた。

「鷹宮さん、お客様です。若い男性の方です」
 鷹宮には心当たりがなく、首を傾げる。
「……若い男性ですか」
「はい。官服をお召しでした」
 その瞬間、鷹宮の表情がわずかに強張った。「失礼します」と短く告げ、その場を離れていく。

 小春は胸騒ぎを覚え、思わず手を止めた。気になって屋敷の表へ視線を向ける。すると、門前には官製の馬車が止まっていた。
(朔夜様ではない……)
 知らない来客。
 それだけなのに胸の奥が妙にざわつく。気づけばまた玄関の方を見ていた。


「……はて、どなたでしょうな」
 鷹宮は独り言のように呟きながら玄関へ向かった。廊下を抜け来客の姿が視界に入った瞬間、鷹宮の足が凍り付いたように止まる。
 そのあからさまな動揺を見て、来客はにこりと無邪気に笑った。

「これは鷹宮さん。お初にお目にかかります──九条律と申します」

 完璧に整った人好しの笑顔。なのに、その灰青色の瞳だけは光を通さず、笑っていなかった。

「……九条、律」
 鷹宮の瞳孔がわずかに縮む。努めて平静を装ったが心臓が嫌な音を立てた。
(よりによって、この男か)
 らしくなく言葉が出てこない。それでも鷹宮はゆっくりと顔を上げた。
「当主はまだ帰宅しておりません。私めがご用件を伺いましょう」
「うん、知ってるよ」
 九条は笑みを崩さない。

「御神影執行官の不在を狙って来たからね」
 さらりと言われた言葉に、玄関の空気がひやりと冷える。

「鷹宮さん、初対面なのに冷たくしないでよ。僕には恩があるでしょう?」
「……用件を、お聞かせください」
 鷹宮の歯切れの悪い返答にも、九条は気分を害した様子を見せない。ただ、その視線だけが鋭くなる。

「ここに、鈴白小春という女性がいるだろう?」

 鷹宮の眉がぴくりと動いた。しかし、それ以上は微動だにしない。
「はて。どちらさまで?」
「誤魔化しても無駄だよ」

 九条は懐から小さな巾着を取り出し、これ見よがしに指先で揺らしてみせた。

「御神影の飴。これが証拠」

 鷹宮は思わず、強く奥歯を噛み締めた。
 玄関口から風が吹き込み、九条の制服の裾を揺らした。遠くでホトトギスが鳴く声だけが不気味に耳へ残った。

「……実家に幽閉されていた鈴白小春を探し出したの、鷹宮さんでしょう?」

 九条は顎へ手を添え、とぼけたように尋ねる。
 否定しても意味はない、鷹宮はそう悟っていた。

「……ええ。元霊災課の事務官でしたから、耳が早いもので」

 鷹宮は肩をすくめながらも、身体は強張ったままだ。それでも、目だけは九条から逸らさない。
 先代御神影当主に引き抜かれ、鷹宮は霊災課を去った。
 あとを継いだのが、九条だった。
 
 その九条が一歩、前へ出る。
「辞めた人間でも、国の邪魔をしてはいけないよ」
 覗き込むように顔を寄せる。
「優秀だった鷹宮さんなら分かるでしょう?」

 それでも鷹宮は退かなかった。
「……身を削り民を助ける朔夜様には、小春様が必要です」
 低く、はっきりとした声だった。
 九条がすっと黙る。そして、冷えた声で呟いた。
「何も分かってない……君も、御神影も」
 鷹宮が言い返そうとした瞬間、九条は軽く掌を上げてそれを制した。
「不毛な議論は、時間の無駄だね」
 九条はあっさりとトーンを変えると、かぶっていた官帽を脱ぎ、まるで少年のように柔らかく笑ってみせた。

「鈴白小春と直接、話をするよ。会わせてもらえるかな?」

 廊下の奥から志乃がすっと現れる。そして、鷹宮と共に門番のように九条の前へ立ちはだかった。

「当主がご不在の折に、いかなる御方であろうとお通しするわけには参りません。……どうか、お引き取りを」

 志乃がぴしゃりと言い切る。細身な身体ながら、一歩も退く気配がない。
 しかし九条は困ったように肩をすくめるだけだ。

「そんなに警戒しないでください。喧嘩をしに来たわけじゃないんだから」

「信用できませぬな」
 鷹宮が低く返す。
 空気がぴんと張り詰める。
 その最中だった。

 ふいに九条の視線が二人の後ろへ流れた。そして、ぱっと花が咲くような笑みを浮かべた。

「おや──見つけた」

 嫌な予感がして、鷹宮と志乃が同時に振り返った。
 廊下の先に小春が立っていた。腕に抱えた夏蜜柑の鮮やかな黄色が、張り詰めた空気を場違いに彩っている。小春は不思議そうにこちらを見ている。
 鷹宮の顔色が一瞬で悪くなる。

「小春様!」

 小春は事情も知らず、こちらへ駆け寄ってきてしまった。そして、九条の顔を見た瞬間、目を丸くする。

「あなたは……鈴白で、私のお菓子を注文してくださったお客様ですよね?」

 小春の表情が小さく和らぐ。
 鷹宮はぎょっとしたように目を見開く。
 対して九条は、まるで旧友に再会したかのように穏やかに笑う。

「やあ。その節は素敵なお菓子をありがとう」

 小春は思わず息を飲んだ。
 丁寧で洗練された一礼。なのに、なぜかその立ち姿には、血の通わない陶器の人形のような、背筋が寒くなる薄気味悪さがあった。

「……お知り合いだったのですか」
 鷹宮が絞り出すように問う。
 小春は少し肩を縮めた。

「以前、菓子の注文をいただいて……でも、一口も食べずに帰られてしまった方です」

 九条がくすりと笑う。
「ごめんね。あれ、異能者の潜入捜査だったんだ」
「……え?」
 あまりにも軽い口調の九条に、小春の理解が一瞬追いつかない。

「鷹宮さんなら、この仕事の意味は分かるよね?」
 その瞬間、空気が重く沈み鷹宮は何も返せなかった。
 潜入捜査、異能検分──危険因子を見つけ出し、選別する仕事。

 かつて鷹宮も、その側にいた。
 だから九条がここへ来た理由もわかった。
 目の前の可憐な少女を、彼は「排除すべき対象」かどうか見極めに来たのだ。
 九条は鷹宮の沈黙を肯定と受け取ったのか、にこりと微笑んだ。

「じゃあ、遠慮なく二人で話をさせてもらうよ」
 そのまま当然のように、九条は御神影家の敷居を跨ぐ。まるで最初から拒まれると思っていない歩き方だった。

 志乃が悔しそうに唇を噛む。
 だが、小春本人が迎えてしまった以上、無理に追い返すこともできない。
 九条はそんな空気すら楽しむように廊下をゆっくり進んでいく。
 その迷いのない足取りが廊下を響かせるたび、屋敷の温度が冷えていくようだった。









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