死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない
御神影へ戻る馬車の中。
助け出されたはずなのに、小春の胸には重い虚しさが残っていた。
『姉様は『お金』で買われたのよ』
紗良のその一言が耳の奥で何度も響く。
(私は、娘でも家族でもなかった)
(最初から、都合のいい商品だったんだ)
しかし、そうでもしなければ、あの暗い監禁小屋から自分を救い出す方法はなかったのだ。
小春はきつく唇を噛み締め、膝の上で古い着物の裾をぎゅっと握りしめた。
「……朔夜様。本当にありがとうございます。あの……お金ですが、私が少しずつ返済します」
小春は丁寧に頭を下げる。
だが、朔夜は小さく笑っただけだった。
「無用だ。あれは、近いうちにただの紙屑となる貨幣だ」
「……え?」
小春は驚いて顔を上げる。
朔夜は窓の外の景色を眺めながら淡々と口を開いた。
「もうすぐ紙幣の刷新が始まる。町では古い紙幣を換えるための両替騒ぎだ。だが、鈴白は知らなかったらしい」
「それでは……あれは、使えないお金……?」
「そうだ。だから俺は、小春を金で買ったわけではない」
その言葉に小春は息を飲む。
あの家族が金に目を眩ませ、自分たちから小春と縁を切っただけの──自滅。
朔夜は最初から、小春が負い目を抱かないよう立ち回っていたのだ。
胸の奥が一気に熱くなる。
「朔夜様……私がそばにいると、ご迷惑ばかりおかけしてしまいますね」
どうしても声が震えた。泣くまいとしても、うまく息ができない。
そんな小春を見て、朔夜は珍しく困ったように視線を彷徨わせた。
そして何かを思い出したように、後ろの荷物へ手を伸ばす。
「……これを」
差し出されたのは、夜の闇に浮かび上がるような、一束の薔薇だった。
深い紅色の花弁が、月明かりの中で揺れている。
(……私に?)
小春は目を瞬かせる。
朔夜を見ると、彼は視線を逸らしたままだった。
白い肌に透ける耳が、ほんのり赤く染まっている。
小春は薔薇を胸へ抱き寄せる。安堵と悲しみが入り混じってうまく言葉にならない。
「嬉しい……ですが、本当に私でいいのでしょうか?」
花束を抱き締める指先が震える。
朔夜はしばらく黙ったあと、小さく呟いた。
「……どうせ、精霊たちが喋るのだろう」
朔夜は気恥ずかしさを隠すように、また窓の外を向いてしまう。
小春がそっと薔薇へ意識を向けると、案の定、花たちが楽しそうに囁き始めた。
『ずっと迷ってたの!』
『何度も見比べてたよ!』
花屋で薔薇を前に戸惑う朔夜の姿が、小春の脳裏にはっきりと浮かんだ。
朔夜の不器用な優しさが胸いっぱいに広がり、小春は堪えきれなくなった。
ぽろりと涙が零れた。
小春はそっと、朔夜の袖の端を摘まむ。
「……私が作る、新しいお菓子で、必ず朔夜様をお支えします」
涙で途切れながらも、小春は必死に言葉を紡ぐ。
朔夜は何も答えなかった。
ただ、花束を抱える小春の肩をそっと引き寄せる。
馬車の揺れの中。小春は少しだけその肩へ身体を預けた。
もう帰る場所を失ったとは思わなかった。
ここが自分の帰る場所なのだと、初めてそう思えた。