死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない



 小屋では擦り切れた藁筵が一枚敷かれているだけだった。湿った土と黴の匂いが鼻を刺す。小春は膝を抱え、小窓から漏れる月明かりを見つめる。
 ここは屋敷の裏手にある小さな小屋。表までは距離がある。大声を出しても、誰にも届かない。

 朔夜と一緒にラムネを飲んだ縁側が頭を過ぎる。
(もう二度と、あの人には会えないの……?)
 胸が締めつけられる。
 俯いた小春は、涙をこらえるように、ぎゅっと自分の拳を握り締めた。

(私は、このまま一生ここで──それは嫌!)

 絶望に沈みかけていた瞳に、ぽっと強い光が灯る。
 地面に手を付き、立ち上がった。
「ここから出ないと。待っているだけじゃ、だめだわ」
 扉は鍵がかけられ開かない。周囲を見渡すが、あるのは鍋とお玉と水の入った瓶。思わず、ため息が出た。
「……また、ここで餡を練るの?」
 竈に近づいてお玉を取る。
「……懐かしい」
 毎朝、餡を炊いてきた愛着のある鍋だ。
 何度も磨き、大切に使ってきた。
 小豆をかき混ぜるたび、嬉しそうに跳ねる音がした。
 時折、お玉が鍋にあたり音が混ざる、幸せな時間。

「……あっ」
 お玉が鍋のヘリに当たってしまう。すると、静まり返った小屋の中に、キンと高い金属音が響き渡った。
 小春の目が見開かれる。
「これ……音を出せば誰かに気が付いてもらえるかもしれない」
 鍋を竈から下ろすと、小屋の隅にあった縄で鍋の取手に結びつけた。その縄を小屋の梁にかけて、鍋を宙に吊り下げた。
「これなら届く!」
 その時、小屋の外で人の気配を感じた。
(い、今だわ)
 小春は目いっぱい、お玉で鍋の側面を叩いた。ゴォォン……と耳をつんざくような金属音が鳴り響く。小春は外の人間に気が付いてもらえるまで、叩き続けた。
 そしてついに、扉が開かれた。

「小春……!」

 月の逆光で顔はわからなかった。だが、低く響く声と美しいシルエットで、それが誰だかわかった。
 小春が握っていたお玉が力無く地面に落ちる。そして、ゆっくりと口元を抑えた。

「……朔夜様? どうして……」

 開かれた扉の向こうには、朔夜が立っていた。
(迎えに来てくれた……!)
 目の奥が熱くなり一気に視界が滲む。
 小春の姿を認めた途端、朔夜は一目散に駆け寄る。
 そして、小春は抗う間もなく強く抱き寄せられた。
 厚い外套越しでもわかる確かな体温だった。

(……温かい。夢じゃないんだ)

 ただそれだけで、小春の張り詰めていた心が音を立てて崩れそうになる。
「小春は俺が引き取った。何一つ心配はない。安心しろ」
 低い声と共に抱き締める腕に力が籠もった。
 小春はそっと目を閉じる。
(嬉しい……こんな自分を必要としてくれる人がいることが、どうしようもなく)

「御神影様が、姉様をお金で買ってくださったの。これで借金は返せるわ」
 紗良は青ざめた顔で、それでも無理に笑みを浮かべていた。
「……お金?」
 父親と母親の姿はなかった。

(ああ──私は……家族に売られたんだ)
 その現実が胸に突き刺さり、小春の瞳に涙がたまる。

「姉様方、用がお済みならお帰りになって」
 言葉こそ強気に聞こえるが、紗良の足が細かく震えていた。

 そして、小春の視線は紗良の着物へ止まった。
「紗良……その着物を私へ返して」
 一瞬だけ紗良の顔が引き攣る。
「穢れが染みた着物など縁起が悪い。お前にくれてやろう」
 朔夜は凍てつくような眼差しで紗良を一瞥し、静かに言い放った。
 紗良は屈辱で顔を歪ませ絶句した。
 朔夜は小春の肩を大きな手でそっと引き寄せ、優しさを含んだ声を囁く。
「また俺が新調してやる」
 その声音には、紗良への蔑みと、小春へ向ける甘いまでの愛情が、鮮やかに対比されていた。
 そして朔夜はそのまま、小春の肩を抱きかかえ、小屋の外へと歩みを進めた。
 最後に振り返った小春の目に映ったのは、拳を握りしめながら生気を抜かれたように立ち尽くす紗良の姿だった。





 
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