死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない



 午前の陽光が、縁側へやわらかく差し込んでいた。
 柱へ背を預けた朔夜は、静かに本を読んでいる。
 小春は出来立ての飴を盆へ載せ、静かにその隣へ膝をついた。

「朔夜様。読書中、失礼します。本日分です」
 小春が飴玉を指先で摘み上げる。
 声をかけられても、朔夜の視線はまだ本の文字を追っていた。
 そのまま、ごく自然に。まるで毎日そうしているかのように、朔夜は口を小さく開いた。
「……え?」
 小春は、ぱちぱちと瞬きをした。
 朔夜がこんなふうに誰かへ身を任せることなど、今までなかった。
(私には、気を許してくださっているのかしら)
胸がじわりと熱くなる。

 小春は頬を染めながら、そっと飴を口元へ運んだ。
 指先がかすかに唇へ触れる。瞬間、唇の熱が指先へ伝わり、小春は慌てて手を引っ込めた。

(……触れた)
 指先がじんわり痺れるようで、胸がどきどきと騒ぎ出す。

 一方の朔夜は、口の中で飴を転がしかけたところで動きを止めた。何をしたのか今さら気づいたらしい。朔夜はゆっくり本から顔を上げる。そして、指先が触れた唇へ手を当て、わずかに目を見開いた。

「……すまない。つい、な」
 珍しくほんのり耳まで赤い。
 小春は慌てて首を横へ振った。
「い、いえ……!」

 誤魔化すように俯くと、朔夜は咳払いをひとつして視線を本へ戻す。けれど、先ほどまでより明らかに文字を追う速度が遅かった。
 小春はその場に座り直した。

 からりと乾いた風が庭を抜け、二人の間をやさしく通り過ぎていった。
 何気ない時間なのに胸が満たされる。
 こうして同じ景色を眺めているだけで幸せだと思えることが、小春には不思議だった。

「朔夜様。私のお菓子を召し上がると、まだ神経が過敏になりますか?」
 小春が尋ねる。
 朔夜は本を閉じ、少し考えるように目を細めた。
「ああ。だが、だいぶ慣れたな。……頭が冴えるようで嫌いではない」

 その視線が静かに小春へ向く。
 以前なら、まともに目を合わせることすら少なかった。それなのに今は、こうして自然に視線が重なる。その変化が嬉しくて、小春の頬がふわりと緩む。

「それはよかったです。お身体が順応されているのですね」
 心から安堵したように小春は青空を見上げた。どこまでも澄んだ空が広がっている。
 その横顔を見つめながら朔夜はふと、自分でも知らない感情を抱いていることに気づいていた。
 この穏やかな日々を失いたくない。ただ、それだけを。
 その時だった。

『小春、小春ー!』
 庭先の榊たちが、ざわざわと葉を揺らし始める。
『今日は露が少ないよ!』
『朝日に吸われちゃった!』

「あら……」
 小春は驚いて立ち上がった。
「どうした」
「榊の露が足りないみたいなのです。飴作りに必要なのですが……」
 困ったように庭へ視線を向ける。
 すると、榊たちが一斉に枝を揺らした。

『奥にいる仲間なら、まだ持ってるよ!』
『奥の院、奥の院!』
『あそこは、すっごく露の力が濃いからね!』

「……?」
 小春が首を傾げる。 
(たしか、鷹宮さんが屋敷の裏にあると仰っていた場所だわ)
 まだ踏み入れたことのない場所だ。
「そうなのね。教えてくれてありがとう」
 小春が素直に頷くと、榊たちは嬉しそうに葉を鳴らした。

『こっちだよ!』
『おいで、おいで!』

 小春はくすりと笑い、立ち上がる。
 その気配に朔夜の指先がぴたりと止まる。本へ落としていた視線を上げた。その瞳に一瞬だけ、いつもの柔らかさを覆い隠すような鋭い光が走った。
「どうした?」
「お仕事してきますね」
「ああ」
 朔夜は短く返しただけだった。

 だが、その時の小春はまだ知らない。
 奥の院へ続くその道は、誰も近づいてはならない場所だということを。




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