死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない
第七章:すれ違う願いと、救いの菓子
東雲の空に、小鳥のさえずりが響き始める。
朔夜はそっと目を覚ます。
まだ意識が混濁する中でも、手は無意識に布団の上を這い、小春の温もりに触れようと動いていた。
(触れたら……次はどうする)
かろうじて残る理性が釘をさす。探していた手に触れる直前、指先が反射的に引っ込んだ。身体を起こし、小さく寝息を立てる小春を見下ろす。その穏やかな寝顔は、見ているだけで心が満たされるはずのものだった。
(触れたい。だが、この安息をずっと守ってやりたい)
ふうと長く息を吐いて正面に向き直る。
そのとき、いつもとは違う違和感に気づき、朔夜はゆっくりと自分の腕を上げて、はっとした。
(手が……袖を握っていない)
起床時の密かな愉しみだった、小春が自分の袖を掴む癖。それが今朝はなかった。あるはずの重みがない袖口を見つめる朔夜の胸の奥を、冷たい風が吹き抜けていく。
白制服に着替えた朔夜が、鏡の前で身支度を整える。その横には、立ち働く小春の姿があった。
「体調は……悪くないか?」
「え? 何も変わりませんわ」
微笑む小春に、朔夜は少しだけ眉をひそめる。
(本音など……言えば互いに苦しむだけか)
思わず、奥歯をぐっと噛みしめた。
「今日もラムネ作りか?」
「はい。あともう一歩、知恵が足らないんです」
「そうか。根詰めて無理をするなよ」
「朔夜様は心配性ですね。私にとって菓子作りは幸せな時間ですから」
小春は何事もなかったかのように笑いかける。
「あ、お袖にほつれ糸がありますね」
戸棚から糸切り鋏を取り出した小春が、自然と朔夜の腕を取ろうとした。その瞬間、朔夜の身体がピキリと強張る。
(ただの糸切りではないか。何を焦っている)
心を乱した自分に、朔夜は小さく息を飲む。
小春は気づかない様子でほつれ糸を切り、「これで大丈夫」とにこりと笑った。
その無防備な笑顔を見た瞬間、朔夜の胸に小春を強く抱きしめたい衝動が奔る。
(──欲が、深くなっている)
衝動を逃がすように、強く唇を噛んで目を逸らした。
「お前を傷つけるものは、何人たりとも許さない」
「……え?」
小春は思わず息を止め、続く言葉を待った。
けれど朔夜はそれ以上何も言わず、ただ静かに視線を落とした。
「朔夜様、今日の飴です」
「ああ、ありがとう」
玄関先での、いつもと変わらないやりとり。見守る鷹宮や志乃の目には、いつも通りの二人に映っているはずだった。
「では、行ってくる」
朝の爽やかな風に外套を揺らして、朔夜が馬車へと乗り込む。
動き出す馬車を見送りながら、小春は深く頭を下げた。
蹄の音が遠く消えても、小春は顔を上げることができなかった。
「小春さん、どうしました? 中へ入りましょう」
不思議そうに声をかけてきた鷹宮に、小春はようやく顔を上げる。
「ええ……。私も早く、朔夜様のために、菓子を完成させなければ」
何一つ変わらない、いつも通りの静かな朝。
けれど二人だけは、もう昨日には戻れなかった。