死神の旦那様は、花嫁菓子しか食べられない
第八章:砕ける結界、揺るがぬ想い
(朔夜様はなぜ、もう無くなった鈴白に行けとおっしゃったの?)
雨に濡れるのも構わず、小春は足を進めていた。見慣れた角を曲がる。すると、小春の足がぴたりと止まった。
(『鈴白』の暖簾が──掛かっている)
恐る恐る近づき、見上げる。
「看板が……ある!」
小春は思わず、口元を抑えた。
「いらっしゃいませ。中へどうぞ」
戸を開けて、柔らかな笑みを浮かべた女性が声をかけてくる。
小春は導かれるように、店内へと入る。
「和菓子が……並んでいる」
水滴を滴らせたまま、小春は店内を見渡した。
数日前は廃墟同然だったはず。それなのに、目の前には以前のような商品が並び、甘い香りを漂わせていた。
(夢なの?)
「奥様!」
聞き慣れた声に、小春は顔を向けた。
「木村さん⁉︎」
厨房から白い作業着をきた木村が、驚いた顔で小春に駆け寄った。
「どうしましたか。そのお姿では、風邪をひきます。佳代、お着替えを」
女性が手拭いを小春に渡す。そして、中に入るよう誘導しようとした。
「いいえ、結構です」
小春は木村を見る。
「どうしてこの店がまた商売を?」
「え? 何をおっしゃっているんですか。奥様」
小春は眉を寄せる。
「……なぜ、私を奥様と呼ぶのです?」
木村とその妻は、目を瞬かせながら見合った。
「知らないのですね。この店は、御神影様が買い取ってくださいました」
「……朔夜様が?」
「ええ。私を雇ってくれました。『鈴白の名前だけは絶対に守れ』と」
「ああ……」
(朔夜様は、鈴白を守ってくださった)
小春の胸が苦しいくらいに締め付けられる。
木村とその妻が、その背をさすった。
「奥様、おかえりなさいませ」
『鈴白に行け。必ず迎えに行く』
朔夜の言葉が痛くも甘くも感じられ、小春は静かに頷いた。
「……くしゅん」
火鉢に手をかざして、小春がくしゃみをした。
濡れた着物から着替えをして、小春は暖を取らせてもらっていた。
「お茶です。どうぞ」
「ごめんなさい。突然押しかけてしまって」
小春は佳代に頭を下げた。
「何か……あったのですか?」
座卓の前に腰を下ろした木村が自然に声をかけた。
「……朔夜様はお元気にされていますから安心してください」
しかし、小春の表情はさらに暗くなり俯いてしまう。
「奥様……しばらく、ここでお過ごしください」
「……なりません。木村さんにご迷惑をおかけしますので」
「奥様は、当てはあるのですか?」
すでに実家も両親も消えてしまった。小春に居場所などなかった。
小春もすぐに答えることできず、俯く。
木村は佳代と目配せをして、軽く頷いた。
「店は客足が戻って、忙しいんです。奥様、手伝ってください」
木村の心遣いに、小春の凍えていた胸の奥が熱くなる。
「……ありがとう」
小春は唇をぎゅっと引き結んだ。そうしないと、涙が溢れそうだった。
(少しでも早く、自分の居場所を見つける。それまで)
じっと火鉢の赤い炭を見つめる。
(ああ……朔夜様と一緒にラムネを作った景色。
……初めの一粒は、一緒に食べる約束だったのに)
思い出すと、胸の奥に隠した感情が一気に溢れ出した。涙が次から次へとこぼれ、指で拭っても拭いきれない。
「……っ……うっ」
ついにしゃくりあげて泣いてしまう小春を見て、木村が息をついた。
「奥様、菓子を作りましょう」
小春がゆっくりと顔を上げる。
「大福は鈴白の味になってきました。でも、他の商品も作らないとならなくて」
木村はそう言って白帽子を被った。
小春の心がすっと軽くなった。
小春の指に力が戻る。
「……何を作るのですか?」
「練り切りです」
木村が微笑む。
小春もつられるように笑みを浮かべる。
「なら……私が白豆を洗って渋切りをするわ」
「頼みます。奥様」
小春は袖を翻して、立ち上がった。
朔夜様が守ってくれた鈴白に、少しだけ恩返しをする。
そして小春は、素早く襷をかけた。