女除霊師の密かごと

FILE 3 白露院



 除霊をやめたのは、十二歳の時だ。
 きっかけは、ネット上に掲載されていた、慢性期病院からの除霊依頼を引き受けたことだった。病棟にいる患者の中で不審死が相次ぎ、これまでの四年間、同じ場所で二十六人の患者が死んでいた。数が多すぎることや、医療従事者からの異様な目撃情報があり、霊障を疑ったらしい。
 私は兄への反抗心から、初めて単独でその依頼を引き受けた。兄なんていなくても簡単だと思っていた。除霊なんて、いつもやっていることなのだから。
 病院の人間たちは、私を見てまず、疑いの念を抱いたようだった。隠しきれていない小声が耳に入った。

「先生、あんな子供に任せていいんですか?」
「まだ子供とはいえ、真中清光の妹だ」
「真中清光!? あの!?」
「妹? 妹だけって珍しいですね」

 しかし、兄の名前を知ると、彼らの態度は一変した。
 兄である真中清光はこの時既に、世間に名を馳せていた。誰も私のフルネームを知らない。私は〝真中清光の妹〟だった。

 病棟では、白い女の幽霊の目撃情報があるらしかった。私は夜に一人で病棟の長い廊下を歩いて回った。
 ふと足を止めると、それがはっきりと姿を現した。
 病棟の曲がり角、点滴台の陰から、女が出てきた。
 髪はぼさぼさで、パジャマ姿のままだ。足と影がなく、生身の人間ではないとすぐに分かった。
 女は、ゆっくりと廊下を歩いている。まるで買い物でもしているかのような緩慢な歩き方で、部屋の扉一つひとつを覗き込みながら進んでいた。物色している。誰を次に殺すかを選んでいるのだ。
 私は女の進行を阻むように、その前に立ちふさがった。

「何をしているんですか?」

 声をかけたが、女は応じなかった。返事どころか目すら合わせてこない。冷えた瞳をベッドの中の患者たちにだけ向けている。

 その様子を見て私は理解した。
 彼女はもう、戻ることはない。
 幽霊には段階がある。死後間もない者は、自分が死んだことすら理解しておらず、こちらの言葉も通じることが多い。しかし時間が経てば、理性を削り取られ、自我を失っていく。
 目の前にいるのは、そうなってしまった幽霊だった。
 もう少し早ければ説得できたかもしれないが、もはや「話せば分かる」段階を越えていた。このまま放置すれば、また誰かが死ぬ。次はどの患者の命が奪われるかも、女の気分次第だ。

 私は、すぐには手を下さなかった。慎重に、数日間その動向を観察することにした。

 そして、その日が来た。
 昼下がりのことだった。女はまたゆらりと現れ、まっすぐ入院患者のいる部屋へと向かった。そこには、数時間前に新しく搬送されたばかりの初老の男性がいた。女がその首に両手を掛けた。
 それを見ていた私は迷わずに刀を抜いた。刃に力を流し込む。
 そして――斬った。
 女の霊体は私の斬撃によってその場で引き裂かれ、黒い霧となって崩れ落ちた。
 静寂が戻る。患者は意識を失っているものの、息はしているようだった。私は安堵の息を吐く。
 その時、気配に気付いた。振り返る。開け放たれたドアの向こう、廊下の外に三人の子どもたちが立っていた。おそらく面会に来た子たちだろう。自分と年齢も近い。彼らは私の一部始終を見ていたようだった。

 私はふと、祓った女の足元を見た。
 視線の先、床に残された灰の中に何かが見えた。――鎖だった。女の足元から伸びていた鎖だ。遠目には足がなかったため見落としていたが、今になって気付いた。この霊はどこかに繋がれている。

 嫌な予感がした。
 私は灰のようになって消えかけている鎖の痕跡を辿った。光を失いかけているそれは、細く震えながらも一本の道を描いていた。辿り着いた先は――隣の入院室だった。
 まさか。まさか。まさか。
 震える手で扉を開く。

 ベッドの上に、女がいた。

 眠っていた。いや、意識を失ったまま、植物状態のようにまったく動かない。人工呼吸器の音だけが規則正しく響いている。霊となって徘徊していた女と、全く同じ顔だった。明らかに同一人物だ。

 繋がっていた。あの霊は、この肉体にしがみついていたのだ。
 この女は、まだ死んでいなかったのだ。

 私はその場に立ち尽くした。血の気が引いていく。やってしまった。私は、霊を祓った。だがその霊は、まだ生きている人間だった。

 ――殺してしまったかもしれない。


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