女除霊師の密かごと
いくら弁当を食えと言われても、既に買ってしまった焼きそばパンを食べないわけにはいかない。私は焼きそばパンを咥えながら、そういえば、こんな風に誰かと食事を共にするのは初めてかもしれないと思った。
視聴覚室の床で、灰色の毛並みがふわりと動いた。
「ニャッ」
猫が軽やかに机の脚をすり抜け、私と山本博士の間をうろついている。勝手にぴょんと椅子に飛び乗り、さらに机の上へと移動しようとする。
「ちょ、こら!」
焼きそばパンに近付かれそうになって、私は慌ててそれを自分の近くに引き寄せた。
「おや、自由ですね」
「……ミナトの意識、今日もないっぽい。ごめん」
「真中さんが謝ることではないですよ。こうして僕と兄さんを再会させようとしてくれていること、感謝しています」
山本博士が屈託なく笑う。
今日も一応学校に連れてきたのに、朝はいたはずのミナトは昼になればいなくなってしまっていた。だから山本博士は一度もミナトに会えていない。なのに、私の言うことを信じてくれている。
猫はくるりと方向を変えて、今度は山本博士の弁当箱の匂いを嗅ぎ始めた。ふわふわと尻尾を揺らしながら。
「すみません、猫にあげられるような具材はないのですよ。後日キャットフードを用意します」
猫はちょっと不満そうな「ニャー」という鳴き声を上げ、今度は窓際に飛び上がって外を見下ろす。紅葉の始まった校庭の木々を眺めながら、しばらくじっとしていたかと思うと、突然また室内を駆けまわりはじめた。
「今は完全に猫なのに、突然意識戻って喋り出すからびっくりするんだよね……」
私はため息をついた。
そして、山本博士が今日私を呼び出した理由であろう本題に入る。
「それで、白露院のこと、どうする気なの? 幽霊たちの行方を追うって言っても、そう都合よく現れてくれないよね」
幽霊が出てもうちの生徒たちがすぐに噂を聞きつけて成績アップのために除霊してしまう。いてほしい時にいないのが幽霊だ。探していない時は急に現れてこちらを怖がらせてくるくせに、いざ探そうと思えば見つからない。
山本博士は白米と煮物を頬張ってから、真剣な顔で言った。
「だから落ち武者を追っていたのです」
「落ち武者……ああ、昨日の」
「あの落ち武者は、毎日決まった時間に現れ、決まった方向に走っていきます。彼の行方を辿ればあるいは……」
「白露院の場所を特定できるかも、ってことか」
「しかし、どうしても追いつけないのです」
私は箸を止めて考える。
幽霊の中には動きが相当速い存在もいる。一瞬で移動できたり、空を飛んだり。人間の身で奴らに追いつこうとしても難しい場合もある。
しかし、あの落ち武者は割とまともに走っていたので、足で移動するタイプだろう。絶対に無理という風にも見えなかったが……と不思議に思っていると、山本博士が深刻な顔で言う。
「そもそも廊下は走ってはいけないので、走り出されると至難の業で……」
「…………」
「声をかけても応答がないので、意思疎通は不可能でしょう」
「…………」
「罠でもしかけようかと思ったのですが、それでは校内にいる生徒が引っかかった時に傷付けてしまいますし……」
「…………」
「おや? どうしました? 真中さん」
「……れよ」
「え?」
「走れよっ……!」
思わず声が上ずった。
こいつ、走ってもない段階で追い付けないとか言ってるわけ!?
「廊下走ったって捕まるわけじゃないんだから。先生に見つからなきゃいいじゃん」
「いやしかし、校則を守ることは順法精神を育むうえでも大事なことです。それに廊下を全力疾走することによって人とぶつかってしまえば僕のみならず相手の生徒も怪我をする可能性がありますよね。特に在籍生徒の多いこの学校ではリスクが高いと考えられますし、安全上廊下を走るなどということは――」
「もういい、私が走る」
私は焼きそばパンを口に頬張り、紙パックのコーヒーと一緒に流し込んで立ち上がった。
クソ真面目な山本博士のやり方じゃ埒が明かない。落ち武者が現れたのは昨日の昼休みだ。同じ時間帯に出現するということは今からあの廊下に向かえば間に合う。
「いけません、廊下を走っては!」
まだ言っている山本博士を無視して視聴覚室を出ようとするが、かつてない機敏な動きで私の腕を捕まえた山本博士は、渋い表情で訴えた。
「……分かりました。真中さんがそんなに走りたいと言うのなら、僕があのフロアの生徒の避難誘導をしましょう。決して教室から出ないようにと伝えます」
「ひ、避難誘導って。いいよ、そこまでしなくても。ぶつからないように気を付けるし」
「万が一ということがあります。僕は真中さんを加害者にしたくありません」
レンズの奥の瞳は見えない。しかしその声音から、山本博士が本気で私を心配していることを感じ取れた。
ぐっと返答に窮した私は、「……分かった。じゃあ、避難誘導よろしく」とついには折れてしまった。