偽り咲く花神さまの後宮
友達、という言葉がじんわりと澄珠の胸に沁みていく。千夜の心が他へ移ってから、澄珠の周囲には誰も残らなかった。何も持たない自分を友として認めてくれる存在は初めてだった。
「私も……こうして栗萌様とお会いできるようになって、嬉しいです」
素直に答えると、栗萌は満足げに微笑み、澄珠の正面に腰を下ろした。澄珠たちは、机を挟んで向かい合う。
澄珠がお茶をある程度口にした頃、栗萌が切り出した。
「昨日は、琴様とお話してどうでした?」
「琴は……自分が反政府組織と繋がっていることを認めていました。後宮入りしたのも、内側から花神の弱みに触れるためだと」
「そんな……まさか本当に……?」
栗萌は言葉を失った様子で青ざめている。しかし、この話にはまだ続きがある。
「私はずっと、今の琴に対して違和感がありました。琴は昔から信心深く、勉学を怠らず、神の力となって香霞の地に尽くすのが夢の子でした」
後宮に招かれるまで花神への信仰心が他の家族と比べて薄かった澄珠と違い、琴は両親の影響で思想が強く、子供ながらに毎年行われる儀式にも毎度参加していた。そんな琴が反政府組織に傾く理由に見当がつかなかった。
澄珠は続ける。
「それに、気が強いのは昔からですが、人に手をあげるような子ではなかったのです。……だから、かまをかけてみました」
「かま……?」
栗萌がこてんと可愛らしく小首を傾げる。
「昔、川遊びをしたことがあるかと……。昨夜の琴は、まるで覚えがあるように返してきました。けれど琴は、川の氾濫に巻き込まれたことをきっかけに水が苦手で、幼い頃に川で遊んだことなんて一度もありません。――昨日私が会った琴は、私の知る琴の記憶を持っていなかった」
「…………」
「だから思うのです。突拍子もない話ですが……琴も、今の千夜様のように何かと入れ替わっているのではないか、と」
正面の栗萌はゆっくりと茶を口に含んだ。
「今朝、確認のために琴の屋敷を訪ね、護衛の夕映と話しました。すると夕映は、私が琴をいじめるのを〝この目で見た〟と言いました。つまり、私もまた、入れ替わっている時があるということではないでしょうか。このような現象が後宮全体で起きているなら、一刻も早く対処しなければ、混乱が広がると思います」
澄珠は強く訴える。
「ですが、信用を失った私が神官組織に報告しても、取り合ってもらえない可能性が高い。だからこそ、ここはまだ変な噂が立っていない栗萌様の方から――」
言葉の途中、ぐにゃりと視界が歪んだ。喉奥から込み上げる熱いものに、思わず息を呑む。次の瞬間、堪えきれず鮮血が唇から溢れた。着物に赤が散り、澄珠は机に手をついて呻いた。
「……ぁ……がっ……」
苦しむ澄珠を前に、栗萌の表情は一切変わらない。
まるで人形のように可愛らしい笑みを浮かべたまま、ただ澄珠を見下ろしている。
「――そろそろ効いてきましたか?」
栗萌は澄珠の前の、空になった茶器を指差した。
「これ、毒なんですよ」
耳を疑った。返そうとした言葉は咳に遮られ、澄珠の口から赤い飛沫が散る。
栗萌は机の上にあった分厚い古典の本をそっと抱き上げた。自分のものに血がかかるのを避けるための行動のようだった。
「本当は、こんなことまではしたくなかったんですよ?」
栗萌の声音は氷のように冷ややかで、さきほどまでの柔らかさはどこにもなかった。
「姉妹同士で醜く潰し合ってくださるのを期待していたのに、あなたってば、花神様を奪われても、あれだけのことをされても、一向に琴様の元へ報復に行かないんですもの。美しい姉妹愛だこと」
ぐらぐらと視界が傾く。澄珠は机にしがみつきながら必死に意識を繋ぎとめる。
「わたしの計算違いでした。変わってしまった花神様を受け入れられないあなたなら、変わってしまった琴様のことも認めないって。少し考えれば分かることでしたのに」
血の味が口いっぱいに広がる中、澄珠はようやく言葉を絞り出した。
「……なん……で……」
問いかけに、栗萌は頬をほんのり紅潮させ、口角を持ち上げて笑った。人形のように整った、愛らしい笑みで。
「言ったでしょう。わたしは、素晴らしい物語を書くためにここにいる、と」
その言葉を最後に、澄珠の意識は音もなく途切れ、落ちていった。