意地悪なボイスアクターの危険な執着愛から逃れたい
那原はしばらく、自分の身体に何が起きたのか理解できなかった。

ゾクッとした感覚は一瞬で消えることなく、うなじのあたりに残り続けていた。

今までにこんな感覚を覚えたことがあっただろうか。

那原は記憶を辿ってみたが思い当たるものは何もなかった。

ずぶ濡れの女は、那原を軽蔑していた。

那原の笑いを、不快なものとして睨みつけていた。

それだけのことだった。

それだけのことのはずなのに、心臓が今も落ち着かない。

那原は無意識に、自分の左胸に手を当てていた。


(なんだ、これは)

「失礼」


それを言うのが精いっぱいだった。

胸が高鳴った。

近い言葉があるとすれば、飢え、に似ていた。

那原は視線だけを動かし、部屋の隅で及川に詰め寄られている女を捉えた。

そのまま彼女はよろめきながら部屋を飛び出していった。

追いかけたい、という衝動が那原の中に唐突に湧き上がった。

そんな自分に、那原は自分自身が一番驚いていた。

今まで、誰かを「追いたい」と思ったことなど一度もなかったからだ。

その正体が何なのか、那原自身にもまだわからなかった。

ただ、ひとつだけ確かなことがあった。

もう一度、あの目で見られたい。

軽蔑でもいい――
嫌悪でもいい――

とにかく、あの女の目にもう一度、自分だけが映る瞬間が欲しかった。

那原は自分の中に芽生えたその欲求に、どこか愉快そうに口の端を上げた。
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