監禁された私には、時空の監視者の愛情は伝わらない
白と赤のコントラスト
私は今日、バルドゥールの目の前でこの世界から決別する。
そのために少し準備が必要で、私は薄氷の上を歩く様な心境で事を進めてきた。
そうしてやっと、憂鬱な10日目。バルドゥールに抱かれる日でもある。
陰鬱で、逃げ出したくなるほど辛い気持ちを抱えていても、太陽はいつもと変りなく、西に沈み、夜の帳が下りる。
ほとんど手を付けない食事が下げられたと思ったら、今日もいつも通り侍女の手で、強制的に体を拭かれて、新しい夜着を身に付けさせられる。
もちろん計画がバレないように、嫌がる演技をするのを忘れない。カイナの眉間に刻まれた皺を見て、私はこっそり安堵の息を漏らす。
それからすぐ侍女と入れ替わりで、バルドゥールが現れた。
「こっちにこないで」
バルドゥールが扉を閉めた途端、私はきつい言葉を投げつけた。
けれどそんな私の言葉など、彼にとっては虫の鳴き声程度にしか聞こえないのだろう。軽く鼻を鳴らされて終わりだった。
私の元へと一直線に向かってくる。寝ろと、無表情な顔で、唇だけを最小限に動かして。
これまでの私だったら、無様に嫌だと懇願することしかできなかった。でも、今日は違う。
「これ以上近づかないでっ。もし来たら、────………死んでやるっ」
今まで受けた幾たびの恥辱を思い出しながら、私はバルドゥールに警告する。
もし仮に彼が足を止めてくれたなら、私はきちんと彼と向き合おうとも思っているし、どんな経緯でこの世界に来たかを包み隠さず話そうと思っている。
私だって本当は、バルドゥールが私に何を望んでいるのかをちゃんと言葉で聞きたいと思っている。
でも、そんなことを思った自分がひどく滑稽だった。バルドゥールは足を止める素振りすら見せなかった。
なら私も、こいつに目にもの見せてやる。
「聞こえなかったの!?私は本気よっ」
そう言って枕の下に隠していた、ガラスの破片を取り出した。
これを手に入れたのは今日の夕食時。ずっと待っていた。無駄に早く食器を割って手に入れても、悪知恵の働く侍女達が割れた食器の破片を繋ぎ合わせて、取り忘れがないか確認するかもしれない。
だから彼に抱かれる直前に、これを手に入れた。
バルドゥールといえば予想外の出来事に、微かに目を丸くしている。初めて彼の表情が動いた。
その顔を見て、私はざまあみろと心の中で意地悪く微笑む。
ランプの灯りに反射して、手のひらに収まるこの小さなガラスの破片は、彼の目にはどう映っているのか。私には、高価な宝石をちりばめた鍵に見える。
これは見えない扉を開ける鍵。そんなことを考えたら、抑えきれなかった感情で少し唇が動いた。途端、バルドゥールはぴたりと足を止めた。
「馬鹿なことをするな」
苦々しく口を開くバルドゥールに、私は初めて笑みを向けた。目を逸らさずに、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「何が馬鹿なことなの?あなたの方が、よっぽど馬鹿よ」
「俺が馬鹿だと?」
「そうよ。あなたは私を好き勝手に抱いて、それが当然だと思っている。そしていつか私があなたを受け入れると信じて疑わない愚か者よ。それと、お生憎さま、私は気が短いの。ここから出れないなら、断行させてもらうわ」
何を、それはわざわざ言わなくても分かるだろう。
もう既に、ガラスの破片を素手で掴んでいる私の掌から血が滴り落ちて、真っ白な床に赤い染みを作っている。
バルドゥールは私の手元と足元を交互に見つめ、ぞっとする程、低い声で問うた。
「………本気で死ぬ気か?」
「ええ、そうよ。こんなのがずっと続くくらいなら、死んだ方がマシ!」
両手でガラスの破片を握りしめた私に、バルドゥールが一歩近づいた。その眼は飼い犬に手を噛まれた怒りで、ぎらぎらと私を焼き尽くさんばかりだ。
「今すぐ、それを離せ」
「嫌よ。もうこれ以上私に命令しないでっ」
私の叫び声を聴いても怯むことなく真っすぐ向かってくるバルドゥールの姿が、へらへらと笑う母親の姿と重なった。
何でもかんでも自分の思い通りにはならないことを思い知ればいい。力で押さえつければ、こうなることを目に焼き付ければいい。
これは私の精一杯の抗議だ。そう目で訴えながら、ガラスの破片を首に斬りつけようとした瞬間、頬に衝撃が走った。
───殴られた。
そう気付いた時には、くらりと身体が傾いていた。
カシャンとガラスの割れた音が、静かな部屋に無駄に響いた。
そのために少し準備が必要で、私は薄氷の上を歩く様な心境で事を進めてきた。
そうしてやっと、憂鬱な10日目。バルドゥールに抱かれる日でもある。
陰鬱で、逃げ出したくなるほど辛い気持ちを抱えていても、太陽はいつもと変りなく、西に沈み、夜の帳が下りる。
ほとんど手を付けない食事が下げられたと思ったら、今日もいつも通り侍女の手で、強制的に体を拭かれて、新しい夜着を身に付けさせられる。
もちろん計画がバレないように、嫌がる演技をするのを忘れない。カイナの眉間に刻まれた皺を見て、私はこっそり安堵の息を漏らす。
それからすぐ侍女と入れ替わりで、バルドゥールが現れた。
「こっちにこないで」
バルドゥールが扉を閉めた途端、私はきつい言葉を投げつけた。
けれどそんな私の言葉など、彼にとっては虫の鳴き声程度にしか聞こえないのだろう。軽く鼻を鳴らされて終わりだった。
私の元へと一直線に向かってくる。寝ろと、無表情な顔で、唇だけを最小限に動かして。
これまでの私だったら、無様に嫌だと懇願することしかできなかった。でも、今日は違う。
「これ以上近づかないでっ。もし来たら、────………死んでやるっ」
今まで受けた幾たびの恥辱を思い出しながら、私はバルドゥールに警告する。
もし仮に彼が足を止めてくれたなら、私はきちんと彼と向き合おうとも思っているし、どんな経緯でこの世界に来たかを包み隠さず話そうと思っている。
私だって本当は、バルドゥールが私に何を望んでいるのかをちゃんと言葉で聞きたいと思っている。
でも、そんなことを思った自分がひどく滑稽だった。バルドゥールは足を止める素振りすら見せなかった。
なら私も、こいつに目にもの見せてやる。
「聞こえなかったの!?私は本気よっ」
そう言って枕の下に隠していた、ガラスの破片を取り出した。
これを手に入れたのは今日の夕食時。ずっと待っていた。無駄に早く食器を割って手に入れても、悪知恵の働く侍女達が割れた食器の破片を繋ぎ合わせて、取り忘れがないか確認するかもしれない。
だから彼に抱かれる直前に、これを手に入れた。
バルドゥールといえば予想外の出来事に、微かに目を丸くしている。初めて彼の表情が動いた。
その顔を見て、私はざまあみろと心の中で意地悪く微笑む。
ランプの灯りに反射して、手のひらに収まるこの小さなガラスの破片は、彼の目にはどう映っているのか。私には、高価な宝石をちりばめた鍵に見える。
これは見えない扉を開ける鍵。そんなことを考えたら、抑えきれなかった感情で少し唇が動いた。途端、バルドゥールはぴたりと足を止めた。
「馬鹿なことをするな」
苦々しく口を開くバルドゥールに、私は初めて笑みを向けた。目を逸らさずに、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「何が馬鹿なことなの?あなたの方が、よっぽど馬鹿よ」
「俺が馬鹿だと?」
「そうよ。あなたは私を好き勝手に抱いて、それが当然だと思っている。そしていつか私があなたを受け入れると信じて疑わない愚か者よ。それと、お生憎さま、私は気が短いの。ここから出れないなら、断行させてもらうわ」
何を、それはわざわざ言わなくても分かるだろう。
もう既に、ガラスの破片を素手で掴んでいる私の掌から血が滴り落ちて、真っ白な床に赤い染みを作っている。
バルドゥールは私の手元と足元を交互に見つめ、ぞっとする程、低い声で問うた。
「………本気で死ぬ気か?」
「ええ、そうよ。こんなのがずっと続くくらいなら、死んだ方がマシ!」
両手でガラスの破片を握りしめた私に、バルドゥールが一歩近づいた。その眼は飼い犬に手を噛まれた怒りで、ぎらぎらと私を焼き尽くさんばかりだ。
「今すぐ、それを離せ」
「嫌よ。もうこれ以上私に命令しないでっ」
私の叫び声を聴いても怯むことなく真っすぐ向かってくるバルドゥールの姿が、へらへらと笑う母親の姿と重なった。
何でもかんでも自分の思い通りにはならないことを思い知ればいい。力で押さえつければ、こうなることを目に焼き付ければいい。
これは私の精一杯の抗議だ。そう目で訴えながら、ガラスの破片を首に斬りつけようとした瞬間、頬に衝撃が走った。
───殴られた。
そう気付いた時には、くらりと身体が傾いていた。
カシャンとガラスの割れた音が、静かな部屋に無駄に響いた。