王太子様は甘い言葉が囁けない!
第2話「はじめての恋愛指南」
翌朝。
「リリア・アシュフォードさん、陛下がお呼びです」
宮廷図書館で返却された本を整理していたリリアは、王宮の侍従からそう告げられた瞬間、持っていた本を危うく落としかけた。
(ひぃ……やっぱり)
昨日の出来事が脳裏によみがえる。
王太子殿下の会話を勝手に添削した挙げ句、そのメモを王妃様に見られてしまった。
あれは完全に不敬ではなかっただろうか。
重い足取りで謁見の間へ向かうと、そこには国王陛下と王妃様が並んで待っていた。
思わず膝をつく。
「面を上げなさい」
穏やかな国王の声に恐る恐る顔を上げると、王妃は満面の笑みだった。
「リリアさん、昨日頼んだ件、今日からお願いね!」
(うわぁ……)
(王族の方に名前を覚えられる日が来るなんて……本当なら光栄なはずなのに、全然嬉しくない……!)
「え、えっと……その……」
断る言葉を探そうとする。
しかし王妃はにこにこと微笑んだまま。
国王も優しく頷いている。
逃げ道が、ない。
「……かしこまりました」
その瞬間、王妃はぱっと花が咲くように笑った。
「ありがとう! 本当に助かるわ!」
こうしてリリアの"恋愛指南役"が正式に決まってしまった。
◇◇◇
侍女に案内され、王太子の私室へ向かう。
王宮の奥深く。
磨き上げられた廊下を歩くたび、リリアの緊張は増していく。
(帰りたい……)
やがて扉が開かれた。
「アルベール殿下、リリア・アシュフォード様をお連れいたしました」
室内に一歩踏み入れた瞬間、リリアは思わず息を呑む。
窓から差し込む陽光に照らされた、さらさらと揺れる銀色の髪。
澄み切った宝石のような蒼い瞳。
騎士のように鍛えられた無駄のない身体。
整いすぎているほど整った顔立ち。
(すごい……)
(まるで恋愛小説の挿絵から、そのまま出てきたみたい……)
誰もが憧れる、完璧な王子様。
──見た目だけなら。
「あぁ、君が母上が言っていた……」
そこで言葉が止まる。
「あ、はい。本日より殿下に恋愛……指南をさせていただきます。リリア・アシュフォードと申します」
「アルベール・ソル・レジスだ。よろしく頼む。」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
「……失礼だが」
王太子は真面目な顔で尋ねた。
「君の年齢は?」
「あ……」
(だよね?)
(こんな小娘が恋愛指南なんて意味分かんないよね? 私だって自分で言いながら意味分かんないもん……!)
「えっと……先月、16歳になりました」
沈黙。
しん、と部屋が静まり返る。
(お願いだから何か言ってください……!)
「……私もだ」
「え?」
(なにが?)
(もしかして年齢?)
「あっ……殿下も16歳なんですね!」
「あぁ」
「という事は、今は5月だから……もしかして殿下も最近お誕生日だったんですか?」
「……いや」
(だから!!)
("いや"だけじゃ分かんないんだってば!!)
リリアは心の中で盛大に叫ぶ。
「殿下のお誕生日はいつなんですか?」
「来月だ」
「あぁ! 来月16歳になられるんですね!」
思わず笑顔になる。
「それは少し早いですが、おめでとうございます!」
王太子は少し目を丸くした。
そして、ほんのわずかに表情を緩める。
「……ありがとう」
その一言だけだった。
けれど先ほどより柔らかい声だった気がして、リリアは少しだけ安心する。
「それでは、お話はここまでにして」
リリアは一度こほんと咳払いをした。
「今の会話をもとに、早速指南を始めさせていただきます!」
「……え?」
王太子が初めて困惑した表情を浮かべる。
「殿下、ご自分ではお気付きではないと思いますが、先ほどの会話だけでも改善点がたくさんあります」
「改善点?」
「はい!」
リリアは近くの机から紙とペンを借りると、さらさらと書き始めた。
『質問の意図が伝わっていない』
『返事が短すぎる』
『相手が会話を続けるための情報が少ない』
『沈黙が長く、不安にさせてしまう』
書き終えた紙を王太子へ向ける。
「例えば最初です」
リリアは紙を指差した。
「殿下は『君の年齢は?』と聞かれましたよね」
「あぁ」
「私が『16歳です』と答えたあと、『私もだ』とだけおっしゃいました」
「事実だからな」
「事実です!」
リリアは勢いよく頷く。
「ですが、会話では事実だけでは足りません!」
「……?」
「例えば、『私も16歳だ』と言えば、私はすぐ理解できます」
「なるほど」
「さらに、『来月で16歳になる』と言えば、もっと分かりやすいです!」
王太子は真剣な顔で何度も頷きながら紙を見つめていた。
「……勉強になる」
そのあまりに真面目な反応に、リリアは思わず吹き出しそうになる。
(この方……)
(恋愛以前に、会話そのものが苦手なんだ)
そして心の中で、そっと拳を握る。
(よし。)
(恋愛小説、三百七十二冊読破の知識……ここで全部役立ててみせる!)
こうして、王太子殿下の恋愛指南が幕を開けたのだった。