王太子様は甘い言葉が囁けない!
第3話「褒め言葉のレッスン」
「はぁ……昨日は疲れた」
朝の宮廷図書館。
返却された本を棚へ戻しながら、リリアは小さくため息をついた。
(そういえば、次の予定は何も聞いてないけど……)
(次はいつ行かされるんだろう?)
そんなことを考えながら図書館の入口へ目を向けた瞬間、その不安は現実になった。
昨日、自分を王宮へ連れて行った侍従が、入口で誰かを待っている。
そして目が合った。
(嫌な予感しかしない……)
侍従は深々と頭を下げる。
「リリア・アシュフォード様。お迎えに参りました」
(やっぱりぃぃぃ!!)
◇ ◇ ◇
王宮へ着くなり、待っていた王妃は満面の笑みで駆け寄ってきた。
「リリアちゃん! 昨日はありがとう!」
(ちゃん付けになってる!?)
昨日までは「リリアさん」だったはずなのに。
距離の縮まり方が早すぎる。
「あの子も何か手ごたえを掴んだみたいでね!」
王妃は嬉しそうに両手を胸の前で組む。
「昨日の夕食の時、『母上、心配いりません』って言うのよ! 私、感動して泣いちゃったわ!」
(いや、それ……)
(たぶん『会話のコツが少し分かったので大丈夫です』って意味ですよね?)
(昨日のあれだけで手ごたえを掴めるはずないもん……)
リリアが苦笑いを浮かべていると、王妃は勢いよく両手を握った。
「だから、アルベールがやる気になってる今が勝負どころだと思うの!」
嫌な予感しかしない。
「ということで、リリアちゃん!」
王妃はにっこり笑った。
「今日から毎日よろしくね!」
「……え?」
数秒遅れて言葉の意味を理解する。
「えぇーーーっ!?」
王宮中に響きそうなほどの悲鳴を、リリアは寸前で飲み込んだ。
(ま、毎日!?)
(私の本に囲まれて過ごす夢のハッピーライフが……)
(終わったぁ……)
◇◇◇
ほどなくして、リリアは再びアルベールの私室へ案内された。
扉を開けると、窓際で本を読んでいたアルベールが顔を上げる。
「リリア?」
「はい?」
「……」
沈黙。
「殿下?」
さらに沈黙。
「ご自分から呼んだのですから、何か言ってください」
アルベールは少し視線を泳がせたあと、小さく口を開いた。
「……いや、顔が」
「顔?」
思わず自分の頬を触る。
「え? 何かついてますか?」
「違う」
少し間を置いてから続ける。
「……浮かない顔に見えた」
「……」
リリアは目を瞬かせた。
(心配……してくれたの?)
昨日までなら、こんな言葉は出てこなかったはずだ。
ほんの少しだけ、胸が温かくなる。
「大丈夫です!」
リリアは慌てて笑顔を作る。
「元気です! 今日から毎日、しっかり指南しますから覚悟してください!」
「……」
アルベールは静かに頷いた。
◇◇◇
「では、本日殿下に覚えていただきたいのは」
リリアは一冊の恋愛小説を机に置く。
「褒め言葉です」
「……褒め言葉」
「殿下は、人を褒めたことはありますか?」
「ある」
(おっ!)
予想外の返答に、リリアは身を乗り出した。
「どんな風にですか?」
「騎士団長に」
「はい」
「昨日より0.3秒速かった、と」
「それは評価ですね」
「宰相にも」
「はい」
「書類に誤字がありません、と」
「それは確認かと……」
「侍女に」
「何と?」
「窓の隅の埃がなくなっています」
「掃除の点検ですか?」
アルベールは真顔で頷いた。
リリアは思わず額に手を当てる。
(惜しい!)
(全部悪いことじゃないのに、全部違う!)
気を取り直し、リリアは恋愛小説を開いた。
「褒めるというのは、相手の努力や、素敵だと思ったことを言葉にするんです」
「努力……」
「例えば私なら」
リリアはアルベールを見る。
「殿下の髪は銀色で透き通っていて、とても綺麗ですね」
アルベールは自分の髪を一房つまんだ。
「これは生まれつきだ」
「わかっていますよ!」
思わず机を叩く。
「生まれつきでも、綺麗だと思ったら褒めていいんです!」
「……そういうものなのか」
(うーん……)
(これは思ったより難しいかも)
リリアは腕を組んで考えたあと、ぱっと顔を上げた。
「では殿下」
「?」
「私を褒めてみてください」
「リリアを?」
「はい」
「……分かった」
アルベールは腕を組み、真剣な表情で考え始める。
数秒後。
「君は物知りだ」
「悪い気はしませんが、もう一押し!」
「え……」
再び考える。
「君は本に詳しい」
「さっきとほぼ一緒です!」
「君は遅刻しない」
「それは人として当たり前です!」
何度挑戦しても、恋愛からどんどん離れていく。
アルベールは珍しく困ったように眉を下げた。
しばらく沈黙が続く。
(今日はここまでかな……)
リリアがそう切り出そうとした、その時だった。
「……一つだけ」
「?」
アルベールはリリアを真っ直ぐ見つめる。
「君は」
長い沈黙。
リリアは急かさず、静かに待つ。
「私が話し終わるまで待ってくれる」
「……え?」
「最後まで聞いてくれる」
その言葉はゆっくりと続いた。
「だから」
ほんの少しだけ口元が緩む。
「話しやすい」
部屋が静まり返る。
リリアは目を丸くした。
(え……)
(今の……)
(全然恋愛小説みたいな甘い台詞じゃないのに)
(なんで……こんなに嬉しいの?)
胸がふわりと温かくなる。
その理由が、自分でも分からなかった。
「……違ったか?」
不安そうなアルベールの声で我に返る。
「ち、違いません!」
リリアは慌てて首を横に振った。
「今のは100点です!」
「100点?」
「はい!」
満面の笑みで頷く。
「相手をちゃんと見て、思ったことを自分の言葉で伝えられています。そういう言葉の方が、きっと相手の心に届きます」
アルベールは少しだけ安心したように息をついた。
「……そうか」
その短い返事は、昨日より少しだけ柔らかく聞こえた。
そしてリリアはまだ知らない。
自分こそが、その"届く言葉"を一番最初に受け取った相手だということを。