王太子様は甘い言葉が囁けない!
第8話「十四人目の婚約者候補」
数日後。
宮廷図書館。
本を整理しながらも、リリアは落ち着かなかった。
(アルベール様の縁談……。)
(結局いつなんだろう。)
気になって仕方がない。
その時だった。
「リリア・アシュフォード様。」
聞き覚えのある声に振り返る。
「あっ。」
そこには、以前何度も迎えに来た王宮の侍従が立っていた。
(また……!?)
◇ ◇ ◇
王宮へ到着したリリアは、いつものように王妃の部屋へ案内されるのかと思っていた。
しかし案内されたのは、見覚えのない一室。
中には数人の侍女が待っていた。
「お待ちしておりました、リリア様。」
「え?」
「あの……これは?」
返事の代わりに、侍女たちは慣れた手つきでリリアの上着を脱がせ始める。
「きゃっ!」
「え!?ちょ、ちょっと待ってください!」
「失礼いたします。」
そのまま浴室へ。
湯浴みを終えると、高級な香水。
美しい刺繍が施された淡い水色のドレス。
丁寧に結い上げられる髪。
最後に小さな宝石の髪飾りが添えられた。
「完成でございます。」
「え……。」
鏡に映る自分は、司書補佐ではなく、まるで本物の貴族令嬢だった。
そこへ勢いよく扉が開く。
「まぁ!」
王妃エレノアが目を輝かせた。
「なんて素敵なの!」
「可愛いわ、リリアちゃん!」
ぎゅうっ。
「お、王妃様!」
「苦しいです!」
「あら、ごめんなさい。」
名残惜しそうに腕を離すエレノア。
「でも本当に可愛いわ。」
「……あの。」
リリアは恐る恐る尋ねる。
「これは一体……?」
「リリアちゃんの指南のおかげで、アルベールもだいぶ変わったでしょう?」
「はい……。」
「だから今日は、一度実践テストをすることにしたの!」
「実践……テスト?」
「そう!」
王妃は嬉しそうに頷く。
「本物のお茶会形式でね。」
「それで、どうして私がこんな格好なんですか?」
「だってテストだもの。」
王妃はさらりと言う。
「本物のご令嬢を呼んだら、テストじゃなくなっちゃうでしょう?」
「だから今日は、リリアちゃんに令嬢役をお願いするの。」
「もちろん、採点もよろしくね!」
「……。」
リリアは困ったように俯いた。
「でも……。」
「私、アルベール様から『しばらく来ないでくれ』と言われています。」
「そんな私が、こんな役をするのは……。」
「関係ないわ。」
王妃はきっぱりと言い切る。
「これは、この国の未来と存亡がかかった実践テストなのよ!」
(重すぎる……。)
「……わかりました。」
「よろしい!」
王妃は満足そうに微笑む。
「では参りましょう。」
歩き出しかけたリリアは、小さく立ち止まる。
「あの……王妃様。」
「なあに?」
「このテストが終わったら……。」
少しだけ胸が痛んだ。
「アルベール様は、本当に縁談が控えているんですよね?」
王妃は一瞬だけ黙る。
そして。
にやり、と意味深に笑った。
「そうね。」
「アルベールには、ご令嬢不足のこの時代でも求婚状が何通も届くもの。」
「もたもたしていたら……。」
「誰かに先を越されてしまうかもしれないわね。」
「……?」
リリアはその意味を理解できず、小さく首を傾げた。
◇◇◇
その頃。
アルベールはいつものように窓の外を眺めていた。
「ずっと空見てて、よく飽きないな。」
シグルドが呆れたように声を掛ける。
「……。」
返事はない。
「無視かよ。」
肩をすくめる。
「そういえば、お前今日縁談なんだってな。」
「今度は上手くいくといいな。」
「っ!?」
アルベールが勢いよく振り返る。
「そんな話、聞いてない。」
「そうなの?」
シグルドは首を傾げた。
「俺は王妃様から聞いたけど?」
「母上が……?」
アルベールは顔色を変える。
「今から行って断ってくる。」
「なんで?」
「?」
「今まで十三人とも嫌がらず会ってたじゃん。」
「なんで今回は嫌なんだ?」
アルベールは答えられない。
「それは……。」
「なぁ。」
シグルドは少しだけ真面目な顔になる。
「今、誰かの顔が浮かんだ?」
「っ……。」
アルベールは息を呑む。
頭に浮かんだのは。
笑顔で笛を吹く少女。
「今日は『あぁ』は禁止です!」
そう笑っていたリリアだった。
「その子のこと。」
シグルドは静かに尋ねる。
「お前、どう思ってる?」
「……。」
答えられない。
けれど。
その顔が浮かんだ瞬間。
胸が締め付けられた。
「母上に会ってくる。」
それだけ言い残し、アルベールは部屋を飛び出した。
◇◇◇
一方その頃。
王妃はリリアとともに応接室へ向かっていた。
「あっ、そうだ!」
思い出したように王妃が振り返る。
「リリアちゃん?」
「はい?」
「今日は実践形式だから、アルベールにはテストだって言わないでね。」
「え?」
「では何と言えば……?」
王妃は少し考えてから、にっこり笑った。
「そうね。」
「十四人目の婚約者候補です、って言ってちょうだい。」
「え?」
(テストって言わずに……?)
(そんなこと言ったら……。)
(それって……。)
リリアが困惑している、その時だった。
「母上!」
廊下の向こうから、アルベールが駆け足でやって来る。
「今日、私の縁談を入れたというのは本当ですか!?」
「ええ、本当よ。」
王妃は落ち着いた様子で答える。
「聞いていません!」
「今すぐ断ってください!」
「無理よ。」
王妃はさらりと言った。
「もうこちらにいらっしゃるんだもの。」
「っ!」
アルベールは慌てて振り返る。
「君、すまないが本日は――」
そこまで言って、言葉が止まった。
目の前には。
見慣れた栗色の髪。
けれど今日は、美しいドレスに身を包み、少しだけ恥ずかしそうに立つ少女。
「……リリア?」
「……あ。」
二人の視線が重なる。
その瞬間。
アルベールの心臓が、今までにないほど大きく高鳴った。