王太子様は甘い言葉が囁けない!
第7話「わからない気持ち」
恋愛指南が中断されて、一週間。
リリアは宮廷図書館で、以前と変わらず司書補佐として働いていた。
――はずだった。
「きゃっ!」
バサバサッ。
抱えていた本が床いっぱいに散らばる。
「あっ……!」
慌ててしゃがみ込む。
「申し訳ございません!」
近くにいた司書が苦笑しながら本を拾い集める。
「リリア、大丈夫?」
「はい!」
笑顔を作る。
「大丈夫です!」
しかし、その笑顔はどこかぎこちなかった。
「……はぁ。」
上司の司書は小さくため息をつく。
「ここは私がやっておくから、あなたは少し休んできなさい。」
「でも、私……」
「休まなくても大丈夫です。」
「それじゃ、言い方を変えるわ。」
上司は優しく微笑む。
「頭を冷やしてきなさい。」
「……。」
リリアは観念したように頭を下げた。
「承知いたしました。」
◇◇◇
宮廷の中庭。
木陰のベンチに腰掛け、リリアはぼんやりと空を見上げる。
青空が広がっている。
気持ちのいい風が吹いている。
なのに、心は少しも晴れなかった。
(アルベール様……。)
(今頃、何をしてるんだろう。)
その名前を思い浮かべた瞬間、リリアは慌てて頭を振る。
(はっ!)
(私、またアルベール様のこと考えてる!?)
両手で頬をぱん、と叩く。
(だめだめ!)
(先生と生徒なんだから!)
そう自分に言い聞かせても、浮かぶのは彼の顔ばかり。
『しばらく来ないでくれ。』
あの日の言葉が胸に刺さったまま抜けない。
("しばらく"って……。)
(いつまでなんだろう。)
(このまま指南が終わっちゃったら。)
(もう二度と会えないのかな……。)
目を閉じる。
今まで分からないことがあれば、本を開けばよかった。
歴史も。
魔法も。
薬草も。
恋愛小説だって、何百冊も読んできた。
だけど――。
(どの本にも。)
(アルベール様の気持ちは書いてない。)
その答えだけは、どこにも見つからなかった。
◇◇◇
同じ頃。
王宮。
アルベールは窓際に立ち、ぼんやりと庭を眺めていた。
机には未開封の書類。
読みかけの歴史書。
すべて手付かずのままだ。
その様子を、廊下の陰から王妃エレノアが心配そうに見守っていた。
「急に指南を中断したかと思ったら……。」
「これまで以上に無口になって、ずっとあの調子なの。」
「これはつまり――」
「恋ですね。」
後ろから聞こえた声に、王妃は振り返る。
「シグルド!」
シグルドは腕を組みながら苦笑した。
「ご名答です。」
「まぁ!」
王妃はぱっと表情を明るくする。
「やっぱりそうなのね!」
「相手はリリアちゃんしかいないわよね!」
「ええ。」
「私、指南が始まった頃から二人をこっそり見てたんです。」
「ずっと、お似合いだと思ってたのよ!」
王妃は胸の前で手を合わせる。
「あっ!」
「婚約披露の準備、始めた方がいいかしら?」
「エレノア様。」
シグルドが苦笑する。
「それは先走りすぎです。」
「二人とも、まだ自分の気持ちにすら気付いていません。」
「えぇ?」
王妃は目を丸くした。
「じゃあ、二人はいつ気付くのかしら?」
「さぁ。」
シグルドは窓の向こうでぼんやりしているアルベールを見る。
「あいつに限っては。」
「あのまま一人で考えてるだけなら、一生気付かない可能性もあります。」
「それは困るわ!」
王妃は真剣な顔になる。
「望みがあるとすれば……。」
シグルドは少し笑った。
「リリアちゃんの方でしょうね。」
◇◇◇
一方その頃。
頭を冷やしたリリアは、再び図書館へ戻ってきた。
本を棚へ戻していると、近くの司書たちの話し声が聞こえてくる。
「ねぇ、聞いた?」
「王太子殿下の縁談、決まったそうよ。」
「えっ?」
思わず手が止まる。
「また?」
「今度で十四人目でしょう?」
「今度こそ上手くいくといいわね。」
ズキン――。
胸の奥が痛んだ。
(そっか……。)
(最近のアルベール様。)
(最初の頃よりずっと口数も増えた。)
(笑顔だって見せてくれるようになった。)
自然と、あの日の本屋で見せた柔らかな笑顔が浮かぶ。
(今のアルベール様なら。)
(きっと……。)
(素敵な婚約者になれる。)
そう思う。
そう思うのに。
胸の痛みだけは、消えてくれなかった。
リリアはそっと本を抱きしめる。
(おかしいな。)
(私が目指していたのは。)
(アルベール様が幸せになれるように恋愛指南をすることだったのに。)
(どうして。)
(こんなに苦しいんだろう。)
その答えを、まだリリアは知らない。
そして同じ頃。
窓の外を眺めるアルベールもまた、胸の奥の痛みの名前を知らないままだった。
二人は同じ空の下で、同じ想いを抱えながら。
今日もすれ違い続けていた。