藤堂彬の誤算だらけの結婚生活
 点滴を打ってもらって藍の方は、気分が戻ったのだが、今は弥の方が青い顔をしている。
「わっくんのせいじゃないよ。やっぱりあそこ暑かったのかも」
 本当はそうではなく、話の内容に動揺したからだがそういうわけにもいかずそう言うと、彼は気まずそうにしている。
 けれどこれだけは言わなくてはいけないというように口を開いた。
「今日はもうあの話をしない方がいいのはわかってる。けどこれだけは聞いておきたいんだけど」
 真剣な表情で言ったその時。
「藍!」
 ロビーに自分を呼ぶ声が響き渡る。
 振り返り、背の高い人物が入口の方からこちらに向かってかけてくるのに気がついて、藍は目を丸くした。
「あ、彬さん⁉︎」
 気分が悪くなったから、念のため病院へ行くというのは連絡していた。結果も問題ないと伝えてあったのに、どうしてわざわざ来たのだろう?
「し、診察は? 終わったのか? どうだった?」
「問題なかったです……。メッセージも入れましたけど」
 気がつかなくて、ここまで来てしまったのだろうか。
 彼は「メッセージ? ……ああ、来てたのか」と呟いて胸ポケットからスマホを出そうとする。一緒に、ペンが床に落ちて慌てて拾っている。
「確認不足だった。……問題なかったんだな」
 なんだかわたわたとしていつもの余裕がないように思えるのは気のせいだろうか。
「よかった」
 そう言って藍を見る。その視線に藍の胸がきゅんと跳ねる。
 これは確実にハッピーな方の反応だ。そして藍は確信した。
 自分はこの人を好きなのだ。
 こうやって見つめられると嬉しいし、彼のこの心配が義務感からではなく大切に思われているからであってほしいと願っている。
「とりあえず帰ろうか。佐相さん、妻がお世話になりました」
 彬が弥に挨拶をする。
 弥が立ち上がった。
「それには及びません、藤堂先生。藍ちゃんは僕が実家に送り届けますので」
 どうしてそんな話になるのかと驚きながら弥を見ると、挑戦的に彬を睨んでいる。
「わっくん……私、実家には帰らないよ」
「藍ちゃん、こうなってもわからない? 君には独立は無理なんだよ。外に行ったり料理をしたりするくらいなら、お父さんと新田さんの元でもできるじゃないか」
『君には無理』という言葉に、心が凍りつくような心地がした。
 そんなことはないと言いたくて、言えない。なにしろこの短期間に、二度も体調不良を起こしてしまった。実家にいた頃は半年以上安定していたのに。
 藍の代わりに答えたのは彬だった。
「君に意見されるいわれはないと、以前にも言ったはずだ」
 低い声で遮られて、弥が彬を見た。
「これは夫婦の問題だ。部外者の君は黙っててくれ。妻に付き添ってくれた礼は後日。藍、歩けるか?」
 真っ直ぐな視線を受け止めながら、差し伸べられたその手を取る。あたたかな温もりが、伝わって凍りついた心を溶かした。
 この人が、好きなのだ。
 藍を自由にしてくれて。
 成長すると言ってくれた。
 この人が……。
「いくぞ、藍」
「は、はい。わっくん、ありがとう」
 踵を返す彼に続いて、藍も歩き出した。
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