藤堂彬の誤算だらけの結婚生活
きっぱりと言い切ると弥は不満そうにこちらを睨んだ。おそらく彬の反応が予想外だったのだろう。怖いという気持ちは吹き飛んだようだ。
「確かに彼女の身体は万全とは言えないがボランティアや外出を制限するほどではない。従ってやめる必要はない」
「だけど体調が悪くなったらどうするのですか? 先生はお忙しいですよね。彼女は家にひとりでいるのですよ」
「連絡を密に取り合っているからその懸念は解消した。それと私は毎日帰宅して目視で確認するようにしている」
「え、先生が……?」
病院での自分の評判を知っているのだろう、弥は心底驚いている。
研究ひと筋、院内に充電器があると言われている自分が、藍のために毎日帰宅しているのが信じがたいのだ。
それは癪だと思う一方で、それでも言っておきたいという気持ちが勝る。
「だけど藍ちゃんは先生はほとんど帰ってこないって言ったのに……」
「そのつもりだったが事情が変わった。帰宅の必要があると判断したから今はそうしている。だから君の話は前提が間違えている」
挑発的な言い方だ。ここまで言う必要ないとわかっている。
だが言っておきたいと強く感じた。
謎の対抗心に突き動かされ相手を睨むと、彼は啞然としている。
「で、ですが……。それでは先生にとって結婚した意味がないですよね……?」
彬にとってのメリットは研究に集中できること。毎日帰っている状況では達成できているとは言えない。
「それを君に口出しされるいわれはない。部外者は黙っていてくれ」
そう宣言して立ち上がると、弥はそれ以上なにも言わなかった。
「話がそれだけなら失礼する」
食堂を出て、研究棟へ向かう。
苛立ち、早足になってしまう。
なんなんだあいつは、とムカムカした。
あの感じからいって彼は藍に好意がある。人間への興味が薄い自分でもわかるくらいだから相当だ。
取引先のドクターを怒らせるという行為はMRにとって致命傷。そのリスクを冒してまで彬に苦言を呈しにきたのだから。
彼が藍に好意がある。それ自体はある意味当然だという気がした。
彼女は、世間知らずな分純粋で、ものごとをいい方向に捉える気質は気難しいと自覚している彬でもはじめから好ましいと感じたのだから。
それよりも気になるのは、彼女の方は、あの男をどう思っているのだろう?という点だ。
その点が、なぜかやたらと気になった。
結婚に対して異常なまでに思い切りがよかったのはもしかしたら彼が絡んでいるのではないだろうか。
恋愛は諦めていると言っていたが、まさか具体的な相手がいた?
出会いの少ない彼女が、幼なじみでずっとそばにいた相手を好きになるのは自然だろう。
だが身体のことが気になって身を引いた。それを忘れるために結婚を……?
——だとしても、俺になんの関係がある?
そう断じて、彬はもやもやを封じ込めようと試みる。
藍が彼を好きなのだとしても、自分にはまったく関係ない。研究費を気にせずに、研究に没頭できれば自分はそれでいいのだから……。
だがそれを、さっきの会話が邪魔をする。
『でも、それでは先生にとって結婚した意味がないですよね』
そうなのだ。
いくら藍の自由のためだ、約束を守っているだけだといってもこれではまったく意味がない。
研究に没頭などとは程遠い状況なのだから。
それ自体は彼女の方もわかっていて、だからこそ熱が出た際に彬が離婚すると言い出さないかと心配していたのだろう。
当初の目的が達成できていないならばそうするべきだ。
少なくとも、食事中の雑談はやめさせるべきだったのに、俺はなぜそうしなかった?
もやもやとしたまま研究室にたどり着きドアを開ける。すると目の前に第一チームのメンバーがいて目を丸くしていた。
「藤堂先生、……なにかご用ですか?」
「なにかって。研究室に戻ってきただけだが」
「第一チームに……ですか?」
そう言われてドアのプレートを確認すると、確かに"第一チーム"とある。
どうやら自分の研究室の階の一つ下でエレベーターを降りてしまったようだ。通常ではあり得ないことたが、考え事をしていて、ボタンを押し間違えたのだろう。
「……失礼。間違えた」
ノックもなくいきなり別の研究室のドアを開けたことを謝罪する。
「い、いえ……。大丈夫です……」
驚きから抜けきれていない表情の相手から目を逸らしてドアを閉じた。おそらく彼は、いきなり現れたことだけでなく、いつもは絶対にミスをしない彬が初歩的すぎるミスをしたことに驚いているのだろう。
廊下を早足で戻りながら、彬自身驚いていた。
——なんだこれは。俺はいったいどうしてしまったんだ。
こんな凡ミス今までしたことがなかった。
まったくいつもの自分らしくない。これではますます結婚した意味がないではないか。この不調の原因が藍にある以上、この状態から脱するには結婚を解消するのが一番いい方法だというのは明らかだ。
……けれどどうしてか、それでも、離婚しようという気にならない。
そしてそれよりも藍が弥のことをどう思っているのかを確かめることの方が重要だという気がした。
異常とも言える自分の状態に、説明がつかないのが気持ちが悪い。
廊下を進みながら、彬はなにかしらの答えを見つけなくてはと悶々と考えた。
——俺は彼女との約束を守りたい。それだけだ。おそらく、きっと……たぶん。
多少、いや相当無理やり感があるが、そう結論を出す。だが一方で、自分はそれほど義理堅い性格ではない、というのもわかっていた。
「確かに彼女の身体は万全とは言えないがボランティアや外出を制限するほどではない。従ってやめる必要はない」
「だけど体調が悪くなったらどうするのですか? 先生はお忙しいですよね。彼女は家にひとりでいるのですよ」
「連絡を密に取り合っているからその懸念は解消した。それと私は毎日帰宅して目視で確認するようにしている」
「え、先生が……?」
病院での自分の評判を知っているのだろう、弥は心底驚いている。
研究ひと筋、院内に充電器があると言われている自分が、藍のために毎日帰宅しているのが信じがたいのだ。
それは癪だと思う一方で、それでも言っておきたいという気持ちが勝る。
「だけど藍ちゃんは先生はほとんど帰ってこないって言ったのに……」
「そのつもりだったが事情が変わった。帰宅の必要があると判断したから今はそうしている。だから君の話は前提が間違えている」
挑発的な言い方だ。ここまで言う必要ないとわかっている。
だが言っておきたいと強く感じた。
謎の対抗心に突き動かされ相手を睨むと、彼は啞然としている。
「で、ですが……。それでは先生にとって結婚した意味がないですよね……?」
彬にとってのメリットは研究に集中できること。毎日帰っている状況では達成できているとは言えない。
「それを君に口出しされるいわれはない。部外者は黙っていてくれ」
そう宣言して立ち上がると、弥はそれ以上なにも言わなかった。
「話がそれだけなら失礼する」
食堂を出て、研究棟へ向かう。
苛立ち、早足になってしまう。
なんなんだあいつは、とムカムカした。
あの感じからいって彼は藍に好意がある。人間への興味が薄い自分でもわかるくらいだから相当だ。
取引先のドクターを怒らせるという行為はMRにとって致命傷。そのリスクを冒してまで彬に苦言を呈しにきたのだから。
彼が藍に好意がある。それ自体はある意味当然だという気がした。
彼女は、世間知らずな分純粋で、ものごとをいい方向に捉える気質は気難しいと自覚している彬でもはじめから好ましいと感じたのだから。
それよりも気になるのは、彼女の方は、あの男をどう思っているのだろう?という点だ。
その点が、なぜかやたらと気になった。
結婚に対して異常なまでに思い切りがよかったのはもしかしたら彼が絡んでいるのではないだろうか。
恋愛は諦めていると言っていたが、まさか具体的な相手がいた?
出会いの少ない彼女が、幼なじみでずっとそばにいた相手を好きになるのは自然だろう。
だが身体のことが気になって身を引いた。それを忘れるために結婚を……?
——だとしても、俺になんの関係がある?
そう断じて、彬はもやもやを封じ込めようと試みる。
藍が彼を好きなのだとしても、自分にはまったく関係ない。研究費を気にせずに、研究に没頭できれば自分はそれでいいのだから……。
だがそれを、さっきの会話が邪魔をする。
『でも、それでは先生にとって結婚した意味がないですよね』
そうなのだ。
いくら藍の自由のためだ、約束を守っているだけだといってもこれではまったく意味がない。
研究に没頭などとは程遠い状況なのだから。
それ自体は彼女の方もわかっていて、だからこそ熱が出た際に彬が離婚すると言い出さないかと心配していたのだろう。
当初の目的が達成できていないならばそうするべきだ。
少なくとも、食事中の雑談はやめさせるべきだったのに、俺はなぜそうしなかった?
もやもやとしたまま研究室にたどり着きドアを開ける。すると目の前に第一チームのメンバーがいて目を丸くしていた。
「藤堂先生、……なにかご用ですか?」
「なにかって。研究室に戻ってきただけだが」
「第一チームに……ですか?」
そう言われてドアのプレートを確認すると、確かに"第一チーム"とある。
どうやら自分の研究室の階の一つ下でエレベーターを降りてしまったようだ。通常ではあり得ないことたが、考え事をしていて、ボタンを押し間違えたのだろう。
「……失礼。間違えた」
ノックもなくいきなり別の研究室のドアを開けたことを謝罪する。
「い、いえ……。大丈夫です……」
驚きから抜けきれていない表情の相手から目を逸らしてドアを閉じた。おそらく彼は、いきなり現れたことだけでなく、いつもは絶対にミスをしない彬が初歩的すぎるミスをしたことに驚いているのだろう。
廊下を早足で戻りながら、彬自身驚いていた。
——なんだこれは。俺はいったいどうしてしまったんだ。
こんな凡ミス今までしたことがなかった。
まったくいつもの自分らしくない。これではますます結婚した意味がないではないか。この不調の原因が藍にある以上、この状態から脱するには結婚を解消するのが一番いい方法だというのは明らかだ。
……けれどどうしてか、それでも、離婚しようという気にならない。
そしてそれよりも藍が弥のことをどう思っているのかを確かめることの方が重要だという気がした。
異常とも言える自分の状態に、説明がつかないのが気持ちが悪い。
廊下を進みながら、彬はなにかしらの答えを見つけなくてはと悶々と考えた。
——俺は彼女との約束を守りたい。それだけだ。おそらく、きっと……たぶん。
多少、いや相当無理やり感があるが、そう結論を出す。だが一方で、自分はそれほど義理堅い性格ではない、というのもわかっていた。