藤堂彬の誤算だらけの結婚生活
「突然申し訳ありません……このあと少しお時間をいただいてもよろしいですか」
その言葉に彬は眉を寄せる。彼の目的が分かるような気がしたからだ。
MRは医者に薬を売り込むのが仕事。基本はアポを取って来るがそもそも医者は忙しい。アポなど取れないことがほとんどだからこうやって突然やってきて隙間時間に話をしていくことも少なくない。
「俺は外来はやっていないし決定権もないから、君の力にはなれないよ」
自分は相手の攻略対象ではないということを端的に告げて断ると、彼は意外なことを言う。
「いえ、そうではありません。えーっと個人的なことです……。その、先生の奥さまになられた方のことで」
言うだけ言って立ち去ろうとしていた彬は『奥さま』のひと言に、驚いて足を止めた。
通常MRとの面談には研究室を使うのが一般的だが、内容が妻のことだと言われたらそういうわけにいかない。
食堂でコーヒーが載ったテーブルを挟み、彬は佐相弥と向かい合う。午後三時を過ぎた食堂は人がまばらだった。
「お忙しい中お時間くださりありがとうございます」
「いやかまわないよ。だが時間がないのはその通りだ。本題に入ろうか。君は私の妻を知っているようだね。知り合い?」
嘘だ。今はそれほど忙しくない。それなのに時間がない風を装ったのは、目の前の男が藍とどういう関係なのかが気になって仕方がないからだ。
「君は大須賀製薬のMRだから、社員と社長の娘という関係か。だが彼女は経営にはタッチしていないから知り合いというのは不自然だ」
得体の知れないもやもやに突き動かされ矢継ぎ早に問いかけると、彼は軽く怯んだ。
「そ、そうですね……。僕は藍ちゃ……奥さまとは幼馴染で、幼稚園から高校まで一緒でした。卒業後も仲良くさせてもらっています。先日は新居におじゃまさせてもらいまして……」
そこで彬は、幼なじみを家に招いたと藍が言っていたのを思い出した。
「そういえば、結婚してすぐに友達をふたり呼ぶと言っていたな」
「それが僕です。もうひとりの女性と三人でずっと仲良くて」
「なるほど」
どういった知り合いなのか理解して彬は頷く。
もやもやに対する答えが出た。それなのにどうしてかまだすっきりしない。それどころか、さらなる苛立ちに襲われる。
——今藍ちゃんと言いかけたな。こんなに親しい異性の友人がいたとは聞いていない。
いやべつに言う必要はないのはわかっている。わかっているけどイライラする。
「それで、話というのは?」
ただ自己紹介しにきただけではないというのは思い詰めたような彼の様子から明らかだ。ひと昔前よりはマシになったとはいえMRとドクターとの力関係ははっきりしていて余程のことでない限りドクターの時間を奪ってはいけないということくらい彼もわかっているはずだ。
「実は僕、奥さまから先生との結婚にいたる事情を聞いておりまして……」
彬は無言で頷いた。
結婚の事情については信頼できる相手ならば話してもいいという約束をした。だからこれ自体は問題ない。
問題ないはずなのだがもやもやする。
異性の友人がいたというだけでなく、今回の事情を話すくらい信頼しているというのが気にくわない。
いや自分はそう思う立場にないのだが……。
「なので……その、先生が奥さまと愛情のある関係にないのはわかっているのですが……。それでももう少し気をつけていただきたいと思いまして」
「どういう意味だ?」
問いかけると、ビクッと彼の身体が揺れる。
ただ問いかけただけのつもりだったが思いがけず口調がキツくなってしまったようだ。さらに"なぜそれを君に言われなくてはならないんだ?"という言葉を呑み込んだ、という自覚がある。
それでも相手は、意を決したように口を開いた。
「藍ちゃんに無理をさせないでほしいのです。ご存知だとは思いますが、彼女の身体は万全とはいえない。たとえ彼女が望んでいてもなるべく安静にさせてください。おじさん……社長もそのために藤堂先生を結婚相手に選んだのでしょう。それなのに先生が無関心では意味がなくなってしまいます」
本気で藍を心配しているのだろう。ビクビクしながらも早口で言う。
「ボランティアとか、電車で通うとか彼女の身体では無理なんです。それなのに……」
「無理ではない。主治医とも相談している」
強い口調で彬は彼の言葉を遮った。
熱が出た日、泣いていた藍の涙が脳裏に浮かんだ。
「で、でも熱が出たと聞きました。無理をしたからでしょう? 彼女はこれから手術を受けなくてはいけない大事な時期なんですよ? 外に出たいなら、ボランティアでなくても、散歩でもなんでもいいじゃないですか。そうするように先生から説得してください」
「断る」
その言葉に彬は眉を寄せる。彼の目的が分かるような気がしたからだ。
MRは医者に薬を売り込むのが仕事。基本はアポを取って来るがそもそも医者は忙しい。アポなど取れないことがほとんどだからこうやって突然やってきて隙間時間に話をしていくことも少なくない。
「俺は外来はやっていないし決定権もないから、君の力にはなれないよ」
自分は相手の攻略対象ではないということを端的に告げて断ると、彼は意外なことを言う。
「いえ、そうではありません。えーっと個人的なことです……。その、先生の奥さまになられた方のことで」
言うだけ言って立ち去ろうとしていた彬は『奥さま』のひと言に、驚いて足を止めた。
通常MRとの面談には研究室を使うのが一般的だが、内容が妻のことだと言われたらそういうわけにいかない。
食堂でコーヒーが載ったテーブルを挟み、彬は佐相弥と向かい合う。午後三時を過ぎた食堂は人がまばらだった。
「お忙しい中お時間くださりありがとうございます」
「いやかまわないよ。だが時間がないのはその通りだ。本題に入ろうか。君は私の妻を知っているようだね。知り合い?」
嘘だ。今はそれほど忙しくない。それなのに時間がない風を装ったのは、目の前の男が藍とどういう関係なのかが気になって仕方がないからだ。
「君は大須賀製薬のMRだから、社員と社長の娘という関係か。だが彼女は経営にはタッチしていないから知り合いというのは不自然だ」
得体の知れないもやもやに突き動かされ矢継ぎ早に問いかけると、彼は軽く怯んだ。
「そ、そうですね……。僕は藍ちゃ……奥さまとは幼馴染で、幼稚園から高校まで一緒でした。卒業後も仲良くさせてもらっています。先日は新居におじゃまさせてもらいまして……」
そこで彬は、幼なじみを家に招いたと藍が言っていたのを思い出した。
「そういえば、結婚してすぐに友達をふたり呼ぶと言っていたな」
「それが僕です。もうひとりの女性と三人でずっと仲良くて」
「なるほど」
どういった知り合いなのか理解して彬は頷く。
もやもやに対する答えが出た。それなのにどうしてかまだすっきりしない。それどころか、さらなる苛立ちに襲われる。
——今藍ちゃんと言いかけたな。こんなに親しい異性の友人がいたとは聞いていない。
いやべつに言う必要はないのはわかっている。わかっているけどイライラする。
「それで、話というのは?」
ただ自己紹介しにきただけではないというのは思い詰めたような彼の様子から明らかだ。ひと昔前よりはマシになったとはいえMRとドクターとの力関係ははっきりしていて余程のことでない限りドクターの時間を奪ってはいけないということくらい彼もわかっているはずだ。
「実は僕、奥さまから先生との結婚にいたる事情を聞いておりまして……」
彬は無言で頷いた。
結婚の事情については信頼できる相手ならば話してもいいという約束をした。だからこれ自体は問題ない。
問題ないはずなのだがもやもやする。
異性の友人がいたというだけでなく、今回の事情を話すくらい信頼しているというのが気にくわない。
いや自分はそう思う立場にないのだが……。
「なので……その、先生が奥さまと愛情のある関係にないのはわかっているのですが……。それでももう少し気をつけていただきたいと思いまして」
「どういう意味だ?」
問いかけると、ビクッと彼の身体が揺れる。
ただ問いかけただけのつもりだったが思いがけず口調がキツくなってしまったようだ。さらに"なぜそれを君に言われなくてはならないんだ?"という言葉を呑み込んだ、という自覚がある。
それでも相手は、意を決したように口を開いた。
「藍ちゃんに無理をさせないでほしいのです。ご存知だとは思いますが、彼女の身体は万全とはいえない。たとえ彼女が望んでいてもなるべく安静にさせてください。おじさん……社長もそのために藤堂先生を結婚相手に選んだのでしょう。それなのに先生が無関心では意味がなくなってしまいます」
本気で藍を心配しているのだろう。ビクビクしながらも早口で言う。
「ボランティアとか、電車で通うとか彼女の身体では無理なんです。それなのに……」
「無理ではない。主治医とも相談している」
強い口調で彬は彼の言葉を遮った。
熱が出た日、泣いていた藍の涙が脳裏に浮かんだ。
「で、でも熱が出たと聞きました。無理をしたからでしょう? 彼女はこれから手術を受けなくてはいけない大事な時期なんですよ? 外に出たいなら、ボランティアでなくても、散歩でもなんでもいいじゃないですか。そうするように先生から説得してください」
「断る」