キミが家族になった、その日から。
──春風が頬をなでる。
桜の花びらが二人の間をゆっくりと舞い落ちた。夏音は涙をぬぐい、涼をまっすぐ見つめる。
「私も……話したいことがあるの。」
涼は何も言わず、静かに頷いた。その優しい眼差しが、夏音に勇気をくれる。
「最初はね、すごく嫌だった。」
「急に家族になるなんて無理だって思ってたし、『好きになるな』なんて言われて、すごく腹が立った。」
涼は苦笑する。
「悪かった。」
「でもね。」
───夏音は小さく笑った。
「文化祭で助けてくれたときも、クリスマスの日も、お母さんが亡くなったあの日も……。」
「どんなときも、隣にいてくれたのは涼だった。」
──手が、肩が、気持ちが…一歩、涼へ近づく。
「気づいたら、涼が笑うと嬉しくて。」
「涼が苦しそうだと、私まで苦しくなって。」
「家族だからじゃない。」
──夏音は胸に手を当てる。
「私は……涼だから好きになった。」
その言葉が、静かな公園に溶けていく。涼は目を閉じ、小さく息を吐いた。
「その一言を聞いたら、もう我慢できそうにない。」
ゆっくりと夏音の前まで歩み寄る。二人の距離は、あと一歩もないぐらい近くて……
「夏音。」
「……うん」
「──好きだ。」
──待っていたのかな?貴方が私を好きになることを。
短い一言。たったそれだけなのに、胸の奥まで温かくなる。
「…ずっと好きだった。好きになっちゃいけないって、自分に言い聞かせても。」
「忘れようとしても。」
「気づけば、お前のことばかり考えてた。」
──この切ない時間の中で、あなたは何を選び失うの?
夏音の瞳から涙がこぼれる。涼はそっと手を伸ばし、その涙を優しく拭った。
「泣くな。」
「今日は……嬉し涙だから。」
夏音は泣き笑いのまま答えた。二人は自然と笑い合う。
こんなふうに笑えたのは、いつぶりだろう。涼はゆっくりと夏音の手に触れる。指先が重なる。
その温もりを確かめるように、そっと手を握った。夏音も、小さく握り返す。
──もう、どちらも隠さない。想いは同じだった。
けれど――。
涼は握った手を見つめながら、小さく首を振った。
「……ごめん。」
夏音は驚いたように顔を上げる。
「今、このまま恋人にはなれない。」
「父さんには何も話してない。」
「母さんが大切にしていた家族だからこそ、隠したまま始めたくない。」
その言葉に、夏音は少しだけ目を伏せた。寂しくないと言えば嘘になる。それでも、涼らしい答えだと思った。
「うん。」
───夏音は涙を拭き、穏やかに笑う。
「待つよ。」
「ちゃんと前を向いて、みんなに話せる日まで。」
涼は驚いたように目を見開き、ふっと笑った。
「ありがとう。」
──その瞬間、一陣の春風が吹き抜けた。満開の桜が空いっぱいに舞い上がる。夏音は空を見上げる。
――お母さん。
私、前に進むね。
忘れるんじゃないよ。
ちゃんと覚えたまま、幸せになるから。
そんな想いを胸に抱くと、不思議と涙は出なかった。
涼は夏音の隣に並び、同じ空を見上げる。
「……帰ろうか。」
「うん。」
二人は手を離した。 けれど、心はもう離れない。
───恋人ではない。
それでも、この日交わした「好き」は、誰にも消せない約束になった。
春風に揺れる桜の下で始まった恋は、まだ名前のないまま、静かに未来へ歩き始めていた。