この恋、上方修正銘柄です!

「隣、良いかな」
 顔を上げると瓶ビールを持った九条がすぐ傍に立っていて、返事を聞く前に錦の右側にスッと座った。
「乾課長、どうぞ。みなさんもお疲れさまです」
と、上の役職から順にビールを注いでいく。
 銀行ではビールはジョッキで頼まない。注いで回れる瓶ビールが定番だ。郷に入れば郷に従う、さすがアベルのトップティア。

「どうだ、九条君。ここの仕事には慣れたか」
「ビジネススクール時代に実地研修があったんです。国内や海外の企業に常駐してコンサルティングを行うんですが、その当時のことを思い出します」
 九条に注ぎ返しながら、紫野がおずおずと、
「女の子達から聞いた話によると、財閥の御曹司とか」
「いやそれ完全なガセネタです。確かにロスビジネススクールにはセレブの子息も多かったけど、僕は普通、というか普通以下ですよ。財団からの奨学金とミシガン大の教育ローンが生命線で。成績が落ちると奨学金が打ち切られるからもう必死。今でも時々、奨学生から外される夢を見てうなされるんです」
「ハハッ、そうなんだー。なんか、ちょっと親近感……」

 九条は一同を見渡すと、
「ここの融資課、女性は高辻さんだけなんですね」
「総合職だと融資課若しくは本部勤務になるんだが、最近の子は責任のある仕事をするのが嫌みたいでなあ。だから高辻みたいな子は珍しいんだ」
 乾課長に紫野が同意して、
「僕は5年前、渉外課に異動して来たんだけど、当時の融資課にはベテランの女性行員がいたんだ。とにかく最低限の仕事しかしない、定時退社の鬼みたいな人で。仕事頼むと露骨に嫌な顔されるから怖くてさ。しかも高辻さんのこと何かと目の敵にしてて」
「いたいた!俺がこの店に来たのは3年ほど前なんだが、3ヶ月ほど経った頃だったか……この人とは一緒に働けません!って高辻が皆の前でキレてな。よくよく話を聞いてみたら、円形脱毛症ができるくらい我慢してたらしくて。で、向こうが、私と高辻さんどっちが必要ですか!って聞くから、あちらさんには暇な店に飛んで頂いた」

「課長、九条さんにそんな話しなくても……」
 特に、円形脱毛症のところ。
「そんな具合で追い出したのは良かったが、同じ頃に代理も退職しちまって。人数的に回らないんで、融資課歴が長い紫野を渉外課から引っ張ってきたんだ」
「ちなみに、高辻を当行初の女性融資課長にすることが俺の試金石だ、っていうのが酔った時の課長の口ぐせ」
「……それに関しては、ありがとうございます」
 セクハラと試金石の話は毎度の流れなので適当に礼を行っておく。

「確かに高辻さんなら課長にもなれそうだけど、心配だな。僕が来る前の話だから詳しくは知らないけど、ほら、前にこの店で……」
「川端!」
と、紫野の叱責が飛んで、しんと場が静まり返った。

ーーー「来るな!」
 部屋の奥から突き刺さるような叫びが上がった。それは、悲鳴に近かった。
 忘れもしない。2月の、初めて雪が積もった日ーーー
 
 震えそうになる手でぎゅっとグラスを握る。残りのビールを一気に飲み干し、勢いよくテーブルに置いた。
「……大学までずっと、男女は平等だという教育を受けて来ました。だから入行した時は驚きました。どんなに忙しい時でも、新人女子は日に何度もお茶汲みをさせられます。同期の男子は頼まれないのに女子だけです。別に男性と張り合って仕事がしたいと言ってるんじゃありません。最初から性別によって役割が決まっているのが疑問なんです。……そんなのは、ほんの些細な事で……そういう理不尽な制度や不条理な慣習が、ここにはまだ沢山あります。何も出来なくて、悔しい思いをするのはもう嫌だから……」
 前の上司の笑顔を思い出し、込み上げる感情を堪えた。

「だから私は、偉くなろうって決めたんです!」

 一瞬の静寂の後、わっと拍手が起きる。
「わはは、ほら、良いだろ。俺は高辻のこういうとこ、買ってるんだ」
「よし、高辻さん、飲も!俺が責任もって送ってくから!」
「いえ、一人で帰れますのでお気遣いなく」
「頑張れ、川端!」

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