婚約者を妹に奪われたのでヤケ酒していたら、なぜか黒薔薇公爵に求婚されました
 クラウド様が剣を抜くところをみたのは、これが初めてだ。
 まるで黒薔薇のように美しいその剣は、窓から差し込む日光を反射してギラリと妖しく光る。

「いっ……ひぅっ……!」

 剣の先端がメアリーの喉にプツンと小さな傷をつけて、一滴だけ赤い液体が流れた。メアリーはガタガタと震えながら、言葉になっていない小さな悲鳴をあげている。
 その様子を見ているカルヴィン様は、唇を紫色にさせて固まってしまっていた。

 馬車の扉は開いているのに、二人とも外へ逃げ出そうとはしない。正確に言えば、逃げるという選択肢が頭に浮かんでこないのだろう。
 そのくらい、お怒りになったクラウド様……いえ、『黒薔薇公爵』には威圧感があった。

「『黒薔薇公爵』と呼ばれる俺を敵に回したこと……そして、その俺が世界一愛している妻に手をかけようとしたことを地獄で後悔することだな」

 このままでは、メアリーはクラウド様に殺される。それだけのことをしたのだわ。
 ……でも、私は本当にそれでいいの? クラウド様に助けられて、クラウド様が二人を制裁して、私はそれを見ているだけ。
 それじゃ、今までと何も変わらないじゃない!

「……リリーに傷をつけた罪、潔く償ってもらうぞ!」

 そう言って、クラウド様が剣を振り上げた。メアリーの顔が恐怖でぐしゃりと歪む。

「お待ちください!!」

 ……その瞬間に私は、剣を振り上げているクラウド様の腕にしがみついた。
 クラウド様、そしてメアリーが驚いた顔で私を見る。

「リリー……? どうしたんだ、一体……」
「……クラウド様が私のことを想ってくださったこと、とても嬉しいです。そして、汚れ役を私の代わりに請け負おうとしてくださったことも……」
「そんなの、当たり前だ。俺は君の夫なのだから」

 クラウド様はさも当然といった様子で答える。その姿が頼もしくもあったが、この人に頼りっぱなしになるわけにはいかない。

 だって私は、クラウド様の隣に堂々と並べる『グレンウィル公爵夫人』になりたいんだもの。

「クラウド様は、私のことを信じてくださっていますか?」
「当たり前だ」
「それならば……メアリーの処罰は、私に任せてもらえないでしょうか」

 私の提案に、クラウド様が目を見開く。それから少し複雑な表情をしながらも、ゆっくりと剣を納めてくれた。

「……本当は、君を傷つけたこの無礼者の首を今すぐに斬ってしまいたい。けれど……ほかでもないリリーがそう言うのであれば、俺は君に委ねる」
「クラウド様……ありがとうございます」

 葛藤しながらも私を信じてくれたクラウド様に感謝をしながら、メアリーの方へ向き直る。メアリーは私の視線に一瞬びくりと肩を震わせた。

「お姉さまが、私を処刑するの……?」

 そう小さく呟いたメアリーの瞳は恐怖で滲んでいたけれど、その様子はどこか生きることを諦めているようにも見えた。
 床にへたり込んだままのメアリーを見下ろしながら、私は口を開いた。

「レインフォード伯爵令嬢へ、グレンウィル公爵夫人として告げます。私は、今回あなたが犯した罪を許すことはできません。よって、あなたを見逃すことは決していたしません。あなたには罪を償っていただきます」
「…………そうでしょうね」

 私の宣言に、メアリーが自嘲的な笑みをこぼした。

「けれど……ここからはメアリーの姉として、話をさせてちょうだい」
「…………え?」
「メアリー……私は、あなたを好きになることはできない。それはこれまでも、この先もずっと変わらない」
「…………」
「でも……両親に愛されたかったあなたの心の悲鳴だけは、私にも理解できてしまうから。だから……私はあなたの『姉』として、あなたを許します」
「お、お姉さま……?」

 メアリーの目がまん丸に見開かれる。まるで、美しい水晶玉のように。

「公爵夫人としての私は、あなたを許すことはできない。だから、今回の件はしっかり国に報告させていただくわ。あなたの身分は剝奪されることになるでしょう」
「……はい」
「でも……それから先は一人で生きて生きて生き抜いて、自分の罪に向き合ってちょうだい。これまでのような派手な暮らしはできないし、死んだ方が楽だって思う時もあるでしょう。それでも、罪を背負って生き続けなさい。例え、それがどんなに辛くとも」

 私の言葉を、メアリーは静かに聞いていた。それから、静かに涙を零しながらぽつりと呟いた。

「お姉さまは……私に生きろというのね……。相変わらず甘くて笑っちゃうけど……今の私には、殺すよりも、よっぽど残酷だわ……」
「勘違いしないで。これは優しさなんかじゃない。……正直言って、あなたをここで殺すのは簡単よ。でも、私はあなたに生きて罪を償わせます。そしていつか……自分で自分を愛せるようになりなさい」
「…………はい……。っ、ごめんなさい、ごめんなさい、お姉さまっ……!」

 メアリーは大粒の涙を流しながら、叱られた子供のようにひたすら「ごめんなさい」と繰り返す。
 決して慰めることはしない。この謝罪を受け入れることもできない。それくらい、この子がやろうとしたことは重い。

 それでも、私はこの子を生かすことを選ぶ。その選択に後悔はしない。

 クラウド様はなんともいえない複雑そうな表情をしていたけれど、何も言わずに黙って見守ってくれていた。その優しさが温かく、何よりも心強く感じた。
< 25 / 65 >

この作品をシェア

pagetop