Ma Chérie

ふと、春風が吹き抜ける。


桜の花びらが静かに舞う。


その先に、

一人の女がいた。


白いブラウス。


陽射しを受けて柔らかく輝く、淡い色の長い髪。


柔らかな笑顔。


ミサキと楽しそうに歩く、その姿。



その瞬間。



カムイの時間だけが、静かに止まった。


言葉はない。


胸の奥で鼓動だけが、はっきりと響いていた。


その笑顔から、目が離せない。


周囲の音が遠ざかる。


人々の気配も、車の音も消え、世界にはその女だけが残った。



綺麗だ。



人生で初めて、何の打算もなく心に浮かんだ感情だった。


力で手に入れたものは数え切れない。


欲しいと思えば、迷うことなく手に入れてきた。


裏切る者は切り捨て、邪魔をする者は容赦なく排除してきた。



だが――




心を奪われたことは、一度もなかった。


あの女は、一体何者なのか。


カムイは無意識に一歩踏み出す。


しかし、その足は静かに止まる。


その横顔を、部下たちは息を呑んで見つめていた。


誰よりも近くで仕えてきた彼らだからこそ分かる。


カムイが、誰かをこれほど長く見つめることなど、一度もなかった。


まして、女性に興味を示した姿など見たことがない。


「頭?」


一人の部下が戸惑い混じりに声を掛ける。


カムイは視線を逸らすことなく、低く言い放った。


「……見るな」


その声は決して大きくはない。


だが、誰一人として逆らおうとは思わなかった。


部下たちは静かに視線を伏せる。


理由を尋ねる者はいない。


カムイ自身、その命令がなぜ口をついたのか理解していなかった。


ただ一つだけ確かなことがある。


あの女だけは、自分だけが見ていればいい。


その想いだけが、胸の奥で静かに芽生えていた。




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