愛が全てじゃないけれど
成悟さんを呼ぶ日向さんの声が少し遠くに聞こえて、彼が彼女から遠ざかっているとわかった。
『美空さん?』
なぜか息をするのも忘れていた私は、急に柔らかい声で名前を呼ばれてハッとした。
すっと息を吸う。
「はい」
『ごめん。今から運転なんだけど、きみは? 今どこ?』
「あ、私はもうマンションの前で……」
私は足を止めてマンションを見上げる。
『そっか。お疲れさま』
「……」
成悟さんの声が少しだけ、トーンダウンしたような気がした。
気のせいかもしれない。
気のせいじゃないかもしれない。
もし、私がまだ会社のそばにいると言ったら、会いにきてくれたのだろうか。
自分勝手な期待をする自分が、恥ずかしい。
でも、もし……。
『美空さん?』
「成悟……さんもお疲れさまです。運転、気をつけてください」
『……うん』
初めて彼を『成悟さん』と呼んだ。声に出して。
だからなんだと自分にツッコミを入れて、私はマンション内に入って行く。
「じゃあ、また」
『ああ』
電話を切って、エレベーターに乗る。
身体が、熱い。
名前呼びだけでこんなにドキドキするなんて、高校生以来かもしれない。
慶太朗の時は、それが覚えていないくらいあっさり呼べた。
名前くらいで……。
出会った場所が合コンだ。
その場から名前呼びが当たり前の空気で、私だけが意地を張ったように名字呼びだった。
あの時はまだ、慶太朗と別れていなかったし……。
バッグをソファに置いた時、ファスナーの隙間からミネラルウォ―ターが目に入った。
それを取り出し、キャップを開け、一気に飲む。つもりだったが、一気には無理だった。
半分飲んで、キャップを開けたままペットボトルをテーブルに置く。
ソファに、少しだらしなく身体を沈めるように座り、天井を見た。
『あの時の俺も、他の何も気にせずにお前だけを見ていたかった』
ふっと、蜂谷さんの言葉を思い出す。
どうして今更……っ!
何度考えても『今更』としか思えない。
私はペットボトルに視線を移し、何も考えないように透き通ったボトルの向こう側を眺めた。
ぐぅっとお腹が鳴って、水を飲み干し、空っぽのボトルを置いて、また眺める。
いい加減腰や首が痛くなって身体を起こし、着替えようと立ち上がった時、スマホが震えた。
成悟さんからの着信だった。
「はい」
電話に出ながらテレビ横の時計を見ると、帰ってから三十分も座っていた。
『美空さん、少しだけ出てこられない?』
「え?」
『マンション近くのコンビニにいるんだけど』
返事をするより早く、私はテーブルの上の鍵を手に取り、玄関で靴に足を入れていた。
「すぐに――」
行きますと言いかけて、迷った。
そして、通話したままメッセージを送る。
「――三〇三号室、です」
〈待ってます〉
メッセージに添えた、位置情報。
プツッと電話がきれて、私は履きかけた靴から足を抜き、すぐに履いた。今度はちゃんと踵も入れて。
スマホを胸の前で握り締め、足音を待つ。
いつもはこうして玄関にいるとエレベーターが到着する音がかすかに聞こえるのだが、今は心臓の音がうるさくて聞こえる気がしない。
コンビニからたった二分。
成悟さんの足なら一分程度かもしれない。
じっとしていると、唐突に思った。
車!
駐車場のこと言うの忘れた!
勢いよく玄関ドアを開けると、まるでドラマのように何かにぶつかった。
『美空さん?』
なぜか息をするのも忘れていた私は、急に柔らかい声で名前を呼ばれてハッとした。
すっと息を吸う。
「はい」
『ごめん。今から運転なんだけど、きみは? 今どこ?』
「あ、私はもうマンションの前で……」
私は足を止めてマンションを見上げる。
『そっか。お疲れさま』
「……」
成悟さんの声が少しだけ、トーンダウンしたような気がした。
気のせいかもしれない。
気のせいじゃないかもしれない。
もし、私がまだ会社のそばにいると言ったら、会いにきてくれたのだろうか。
自分勝手な期待をする自分が、恥ずかしい。
でも、もし……。
『美空さん?』
「成悟……さんもお疲れさまです。運転、気をつけてください」
『……うん』
初めて彼を『成悟さん』と呼んだ。声に出して。
だからなんだと自分にツッコミを入れて、私はマンション内に入って行く。
「じゃあ、また」
『ああ』
電話を切って、エレベーターに乗る。
身体が、熱い。
名前呼びだけでこんなにドキドキするなんて、高校生以来かもしれない。
慶太朗の時は、それが覚えていないくらいあっさり呼べた。
名前くらいで……。
出会った場所が合コンだ。
その場から名前呼びが当たり前の空気で、私だけが意地を張ったように名字呼びだった。
あの時はまだ、慶太朗と別れていなかったし……。
バッグをソファに置いた時、ファスナーの隙間からミネラルウォ―ターが目に入った。
それを取り出し、キャップを開け、一気に飲む。つもりだったが、一気には無理だった。
半分飲んで、キャップを開けたままペットボトルをテーブルに置く。
ソファに、少しだらしなく身体を沈めるように座り、天井を見た。
『あの時の俺も、他の何も気にせずにお前だけを見ていたかった』
ふっと、蜂谷さんの言葉を思い出す。
どうして今更……っ!
何度考えても『今更』としか思えない。
私はペットボトルに視線を移し、何も考えないように透き通ったボトルの向こう側を眺めた。
ぐぅっとお腹が鳴って、水を飲み干し、空っぽのボトルを置いて、また眺める。
いい加減腰や首が痛くなって身体を起こし、着替えようと立ち上がった時、スマホが震えた。
成悟さんからの着信だった。
「はい」
電話に出ながらテレビ横の時計を見ると、帰ってから三十分も座っていた。
『美空さん、少しだけ出てこられない?』
「え?」
『マンション近くのコンビニにいるんだけど』
返事をするより早く、私はテーブルの上の鍵を手に取り、玄関で靴に足を入れていた。
「すぐに――」
行きますと言いかけて、迷った。
そして、通話したままメッセージを送る。
「――三〇三号室、です」
〈待ってます〉
メッセージに添えた、位置情報。
プツッと電話がきれて、私は履きかけた靴から足を抜き、すぐに履いた。今度はちゃんと踵も入れて。
スマホを胸の前で握り締め、足音を待つ。
いつもはこうして玄関にいるとエレベーターが到着する音がかすかに聞こえるのだが、今は心臓の音がうるさくて聞こえる気がしない。
コンビニからたった二分。
成悟さんの足なら一分程度かもしれない。
じっとしていると、唐突に思った。
車!
駐車場のこと言うの忘れた!
勢いよく玄関ドアを開けると、まるでドラマのように何かにぶつかった。