どこかで、誰かの恋がはじまる

第4話 王女の護衛騎士は、恋を秘める

どこかで、誰かの恋がはじまる

王城の東翼、朝の光が差し込む回廊を、レイフェルト・アシュフォードは規則正しい足音で歩いていた。腰に佩いた剣は儀礼用ではなく、実戦で幾度も血を吸った本物だ。二十四歳という若さで王女直属の護衛騎士に任じられたのは、この国の歴史でも異例のことだった。
「レイ、遅い」
回廊の先、噴水のふちに腰掛けていた少女が、頬を膨らませてこちらを見ていた。淡い金髪を風に遊ばせ、瞳は澄んだ空色をしている。この国の第一王女、エルフィーネ・ローゼリア・ヴァンディミール。国民からは「暁の姫」と呼ばれ親しまれている彼女こそ、レイフェルトが命を懸けて守るべき主だった。
「申し訳ございません、姫様。昨夜の見回りで、少々報告が長引きました」
「敬語、やめてって言ってるのに」
エルフィーネは唇を尖らせながら立ち上がり、レイフェルトの隣に並んだ。護衛と王族という立場上、公の場では敬語を崩すことは許されない。だが、こうして人目のない場所では、彼女はいつも子供の頃と変わらない口調をレイフェルトに向けてくる。
「二人のときくらい、昔みたいに話してよ。……レイ兄さん、って呼んでたときみたいに」
「あれは、姫様がまだ十歳にもならない頃の話です。今の姫様は、立派な淑女であらせられます」
「そうやって、いつもはぐらかす」
拗ねたように前を歩き出すエルフィーネの後ろ姿を、レイフェルトは静かに見つめた。幼い頃、まだ下級貴族の三男坊だった自分を、王城の片隅で拾い上げてくれたのは、当時の王――エルフィーネの父だった。
思い返せば、初めて出会ったのは十二年前の冬だった。剣術の稽古場で一人黙々と素振りを続けていた七歳のレイフェルトを、当時まだ幼かったエルフィーネが物珍しそうに覗き込んできたのが始まりだ。「わたしにも教えて」とせがまれ、木剣を握らせたのが、二人の関係の原点だった。エルフィーネは剣の筋こそなかったが、負けず嫌いで、何度転んでも立ち上がってくる子供だった。その姿を見るたび、レイフェルトは自分がこの少女を守りたいという気持ちを、まだ言葉にもならないうちから抱いていた。
剣の才を見出され、正式に護衛騎士見習いとして城に上がったのが十年前。それからずっと、レイフェルトはエルフィーネのそばにいた。だが今、その関係は「護衛騎士と王女」という、越えてはならない一線の上に成り立っている。レイフェルトの胸の奥に、決して口に出してはいけない感情が育っていることを、彼自身は誰よりも痛いほど自覚していた。それを認めてしまえば、この十年間積み上げてきたものすべてが崩れてしまうような、そんな恐れすらあった。
その後もレイフェルトは日課として、早朝の鍛錬にエルフィーネを誘い続けていた。王女としての公務が本格化してからも、彼女は暇を見つけては稽古場に顔を出す。
「今日も付き合ってくれるの?」
「姫様が望まれるなら」
「もう、また敬語」
木剣を構えたエルフィーネの型は、十年前とは比べ物にならないほど様になっていた。それでもまだ、実戦で使えるレベルには程遠い。レイフェルトは手加減しながらも、真剣な表情で彼女の太刀筋を見守っていた。
「エル、腰が高い。もっと重心を落として」
「レイの方が高すぎるんじゃない? 全然当たらないし」
「姫様の剣は、まだ見え見えです。……あ、また敬語が」
「二人とも、それお互い様だよ」
くすくす笑いながら、それでも真剣に木剣を振るうエルフィーネの姿を、レイフェルトは目を細めて見つめていた。稽古の後、井戸端で水を飲む彼女の額には、うっすらと汗が滲んでいる。その何気ない仕草の一つ一つに、レイフェルトは自分でも気づかぬうちに、心を掴まれ続けていた。
「ねえ、レイって、私以外に稽古つけてあげたことあるの?」
「後輩の騎士見習いには、時々」
「ふうん。……私のことは、特別?」
不意打ちのような問いに、レイフェルトは一瞬言葉に詰まった。
「姫様は、俺が最初にお守りすると誓った方ですから。特別に決まっています」
「それ、護衛としての意味だけ?」
「……さあ、どうでしょうか」
はぐらかすように視線を逸らしたレイフェルトに、エルフィーネは満足げに笑った。こうした何気ないやり取りの積み重ねが、二人の間に流れる空気を、少しずつ、しかし確実に変えていっていた。誰も気づかぬうちに育っていったその感情は、やがて訪れる大きな出来事によって、一気に表面へと引き出されることになる。
* * *
その日の午後、王城では隣国からの使節団を迎える式典が予定されていた。エルフィーネは正装に身を包み、玉座の間の奥で控えていた。純白のドレスに、淡い青のサッシュを合わせた装いは、いつもより数段大人びて見えた。レイフェルトはその一歩後ろに立ち、周囲に鋭い視線を配っている。
「レイ、緊張してる?」
「常に警戒はしております」
「もう、そういう意味じゃなくて」
エルフィーネが小さく笑う。式典が始まると、隣国クレイオス王国の使者たちが謁見の間に入ってきた。その先頭に立つのは、若い王子――キリアン・クレイオス。柔和な笑みを絶やさない、如才ない人物だった。噂によれば、今回の訪問には縁談の打診も含まれているという。
謁見が進む中、キリアン王子の視線が幾度もエルフィーネへ向けられているのを、レイフェルトは見逃さなかった。世辞にも礼を失した態度ではないが、その眼差しには明確な好意が滲んでいた。式典後、キリアン王子はエルフィーネに歩み寄り、恭しく手を取った。
「エルフィーネ姫。噂に違わぬ美しさに、言葉を失いました。よろしければ、後日改めて、二人だけでお話しする機会をいただけませんか」
「……ご厚意はありがたく存じますが、公務の合間を縫っての時間になりますこと、ご了承くださいませ」
エルフィーネの返答は外交儀礼として完璧なものだったが、その声にわずかな硬さが混じっているのを、レイフェルトは誰よりも敏感に感じ取っていた。胸の奥に、鈍い痛みが走る。それは護衛としての警戒心とは、まったく別種の感情だった。
式典の合間、キリアン王子はふと足を止め、少し離れたところに控えていたレイフェルトに声をかけた。
「君が、姫の護衛騎士殿か。噂はかねがね聞いている。城下で賊を単身で退けたという話も」
「過分なお言葉です、殿下」
「そう畏まらなくていい。……一つ、聞いてもいいか」
キリアン王子は柔らかな笑みを崩さぬまま、レイフェルトの目をまっすぐに見た。その視線には、外交儀礼の裏に隠れた、何か見透かすような鋭さがあった。
「エルフィーネ姫は、幸せそうに見えるか。君の目から見て」
「……姫様は、いつも気高く、公務に真摯に向き合っておられます」
「それは答えになっていないな」
キリアン王子は小さく笑うと、それ以上は追及せず、静かに立ち去っていった。レイフェルトはその背中を見送りながら、自分の胸の奥がひどく落ち着かないことに気づいていた。まるで、隠していたはずの想いを、初対面の相手にあっさりと見抜かれてしまったかのような感覚だった。
式典が終わった後の控室で、エルフィーネは疲れたようにソファに沈み込んだ。
「はあ……疲れた。キリアン王子、悪い人じゃなさそうだけど、なんか、見られてる感じが落ち着かなかった」
「王女という立場である以上、そうした視線は避けられません」
「レイは、他人事みたいに言うんだね」
エルフィーネの声に、いつもとは違う、少し尖った響きが混じった。レイフェルトは思わず視線を上げる。
「……姫様?」
「なんでもない。忘れて」
そう言って、エルフィーネは窓の外に視線を逸らした。その横顔には、レイフェルトの知らない翳りがあった。数日後には正式な縁談の話し合いが行われるという話も、侍女たちの間で密かに囁かれ始めていた。レイフェルトはその噂を耳にするたびに、自分の胸の内に生まれる感情の正体から、目を逸らし続けることができなくなっていった。
* * *
夜、王城の庭園で、レイフェルトは一人で見回りをしていた。月明かりに照らされた薔薇園を歩いていると、ふと人影に気づく。エルフィーネだった。夜着の上に薄手の外套を羽織り、噴水のふちに腰掛けている。
「姫様、このような時間に、お一人で出歩かれては危険です」
「レイがいるから、大丈夫でしょ」
エルフィーネはそう言って、隣に座るよう目で合図した。レイフェルトは一瞬迷ったが、結局は言われるままに腰を下ろす。二人の間に、心地よい沈黙が流れた。噴水の水音だけが、静かに響いている。
「キリアン王子との縁談、父上はかなり乗り気みたい」
エルフィーネがぽつりと呟いた。
「クレイオス王国との結びつきは、我が国にとって大きな利がありますから」
「そうだよね。分かってる。王女に生まれた以上、いつかはこういう日が来るって、ずっと覚悟してたつもりだった」
「……つもりだった、とは」
「いざとなると、全然覚悟なんてできてなかったんだって、気づいちゃった」
エルフィーネは膝を抱えるように座り直し、月を見上げた。
「ねえ、レイ」
「はい」
「もし、私が王女じゃなかったら――ただの、どこにでもいる女の子だったら、レイは私のこと、どう思う?」
不意打ちのような問いに、レイフェルトの心臓が大きく跳ねた。月光に照らされたエルフィーネの横顔は、いつもより儚げで、それでいてまっすぐな強さを湛えていた。
「……それは」
「答えにくい質問だってことは、分かってる。でも、聞きたいの。今、どうしても」
沈黙が続いた。レイフェルトの中で、十二年間押し殺してきた感情が、今にも溢れ出そうになっている。護衛騎士としての矜持と、一人の男としての本音が、激しくせめぎ合っていた。もしここで本心を告げれば、これまで築いてきた主従の関係も、護衛騎士という立場も、すべてを失うかもしれない。それでも――
「姫様が、もし王女でなかったとしても……俺は、姫様のことを」
言いかけたところで、庭園の奥から複数の足音が聞こえた。レイフェルトは即座に腰の剣に手をかけ、エルフィーネを庇うように立ち上がる。
「姫様、下がってください」
現れたのは、黒装束に身を包んだ数名の男たちだった。剣呑な気配を纏うその集団は、明らかに賊、もしくは他国からの刺客だった。松明の灯りに照らされたその目には、はっきりとした殺意が浮かんでいる。
「クレイオスとの縁談を快く思わない者どもか……! あるいは、我が国の混乱を望む輩か。姫様、私の後ろに!」
レイフェルトは剣を抜き、迫る刺客たちの前に立ちはだかった。夜の庭園に、刃のぶつかる音が響き渡る。数の上では圧倒的に不利な状況だったが、レイフェルトの剣技は圧倒的だった。一人、また一人と刺客を打ち倒していく。呼吸を整える間もなく、次から次へと繰り出される刃を、体に染みついた鍛錬だけで捌き続けた。
薔薇の香りが漂う庭園に、金属同士がぶつかる硬質な音と、刺客たちの荒い息遣いが交錯する。月明かりだけを頼りに、レイフェルトは一切の無駄を排した動きで敵の刃を弾き、峰では防ぎきれない一撃だけを的確に急所へ返していく。エルフィーネを背にかばいながらの戦闘は、通常よりも数段難易度が高い。それでもレイフェルトの太刀筋に、一切の迷いはなかった。彼にとって、守るべきものはただ一つ、背後にいる少女だけだったからだ。
「エル、絶対に俺から離れないでください!」
「うん……!」
エルフィーネは震えながらも、レイフェルトの背中にしっかりとしがみついていた。恐怖よりも、目の前で自分のために戦う男の背中を信じる気持ちの方が、はるかに強かった。
しかし、最後の一人が放った矢が、レイフェルトの腕を掠めた。鮮血が夜の闇に飛び散る。
「レイ!!」
エルフィーネの悲鳴のような声が響いた。レイフェルトは痛みを堪えながらも、体勢を崩さず最後の刺客を斬り伏せる。辺りに静寂が戻った頃には、レイフェルトの腕から血が止めどなく流れていた。
「大丈夫だ、姫様。この程度、かすり傷です」
「大丈夫なわけないでしょ! 血がこんなに……!」
エルフィーネは震える手で、自分の外套を引き裂き、レイフェルトの腕に巻きつけた。その手つきは不慣れながらも、必死だった。指先が血に染まるのも構わず、何度も布を巻き直しては、きつく結び直す。
「私のせいだ。私が王女だから、レイがこんな目に……」
「姫様のせいではありません。これが、俺の役目です」
「役目とか、そんなの関係ない! 私は、レイに傷ついてほしくないの! ずっと、そうだったの!」
叫ぶように言ったエルフィーネの目には、涙が浮かんでいた。レイフェルトはその涙を見て、これまで胸の奥に押し込めてきた感情が、堰を切ったように溢れ出すのを感じた。もう、これ以上取り繕うことなどできそうになかった。
「姫様……いや、エルフィーネ」
初めて名を呼び捨てにされたエルフィーネが、驚いたように顔を上げる。
「先ほどの問いに、答えます。姫様が王女であろうとなかろうと、俺の答えは変わりません。俺は、あなたのことを、一人の女性として愛しています。護衛騎士としての一線を越えてはならないと、ずっと自分に言い聞かせてきましたが……もう、限界です。あなたがキリアン王子の隣に立つ未来を想像するだけで、俺は、自分でも制御できないほどの痛みを覚えます」
血の滲む腕を押さえながらも、レイフェルトの声は静かで、しかし確かな熱を帯びていた。エルフィーネは涙を流しながら、小さく笑った。
「……やっと言ってくれた。私、ずっと待ってたんだから。物心ついたときから、ずっと」
「姫様……」
「エルよ。二人のときは、名前で呼んでって、ずっと言ってたでしょ」
エルフィーネはそっとレイフェルトの怪我をしていない方の手を取り、自分の頬に添えた。
「レイの気持ち、ずっと知ってた気がする。私も、同じ気持ちだったから。キリアン王子に会っても、全然心が動かなかったのは、きっとそのせいだと思う」
「しかし、身分の差が……国同士の縁談という話も」
「そんなの、これから何とかする。父上を説得するのだって、私の役目でしょ。王女だからこそ、できることもあるはずだから」
強い意志を秘めた瞳で見つめられ、レイフェルトは自分の中の迷いが消えていくのを感じた。彼女がそこまで覚悟を決めているのなら、自分もまた、その隣に立つ覚悟を決めなければならない。
「分かりました。俺も、姫様――エルの隣に立つに相応しい男になれるよう、これからも尽力します」
「隣に立つ、じゃなくて。もう、隣にいるでしょ」
エルフィーネはそう言って、レイフェルトの怪我をしていない腕に、そっと自分の腕を絡めた。月明かりの下、二人の距離は、これまでのどんな瞬間よりも近かった。
「レイ」
「はい」
「好き。ずっと前から、ずっと」
「俺も、エル。ずっと前から、あなたのことだけを想っていました」
静かな庭園に、二人だけの誓いが交わされる。翌朝、王城には刺客騒動の後処理と、王女とその護衛騎士の間に生まれた新たな関係についての噂が、静かに、しかし確実に広がり始めていた。それは困難な道の始まりでもあったが、二人にとっては、何よりも大切な、たしかな一歩だった。
* * *
翌朝、医務室でレイフェルトの傷の手当てをしていたのは、王城付きの侍医ではなく、エルフィーネ本人だった。
「姫様が包帯を巻く必要は……」
「いいの。私がやりたいの。それに、もう昨夜、名前で呼ぶって決めたでしょ」
エルフィーネは少しぎこちない手つきで、傷口に清潔な布を当て直していく。その真剣な横顔を見つめながら、レイフェルトは昨夜の出来事が夢ではなかったことを、改めて実感していた。
「痛くない?」
「平気だ。……いや、平気です」
「敬語、また戻ってる」
「……すまない。長年の癖というものは、そう簡単には抜けないものらしい」
ぎこちなく言い直したレイフェルトに、エルフィーネはくすりと笑った。それから、少し表情を曇らせる。
「父上に話す前に、一つ、覚悟しておいてほしいことがあるの」
「なんでしょう」
「宮廷には、身分違いの結びつきに反対する人たちも、きっと少なくない。特に、宰相のグレイヴス様は、そういうことにすごく厳格な人だから」
その言葉通り、二人の関係が城内に知れ渡り始めた頃、宰相グレイヴスがレイフェルトを執務室に呼び出した。白髪交じりの厳格な顔つきの老臣は、単刀直入に切り出した。
「レイフェルト卿。姫様との関係について、噂は耳にしている。だが、王女の伴侶には、それに相応しい家格と実績が求められる。分家の三男坊上がりの騎士が、その器かどうか、私は甚だ疑問だ」
「宰相閣下のご懸念はごもっともです。ですが、俺は姫様を、これまで以上に命を懸けてお守りするという誓いを、既に胸に刻んでおります。地位や家格が足りぬというのであれば、これから積み上げていく所存です」
「言葉だけなら誰でも言える」
「ならば、行動で示すまでです」
レイフェルトの揺るぎない眼差しに、グレイヴスはしばらく無言で対峙していたが、やがて小さく息を吐いた。
「……その覚悟、しかと見届けさせてもらおう。だが甘くは見るなよ、若造」
執務室を後にしたレイフェルトの背には、静かな緊張と、それ以上に強い決意が満ちていた。エルフィーネのために、そしてこれから築いていく二人の未来のために、どんな困難も乗り越えてみせる。その想いを胸に、レイフェルトは国王への謁見の日を待った。
数日後、レイフェルトの傷もほとんど癒えた頃、エルフィーネは国王である父の元へ向かった。震える手を握りしめながらも、その足取りに迷いはなかった。謁見の間の扉の外で、レイフェルトは静かにその背中を見送る。
「エル」
呼び止められたエルフィーネが振り返る。
「必ず、俺があなたを迎えに行きます。どんな結果になろうとも」
「うん。信じてる」
小さく微笑んだエルフィーネは、扉の向こうへと消えていった。謁見の間では、国王が静かにエルフィーネの言葉に耳を傾けていた。娘の口から語られたのは、キリアン王子との縁談を辞退したいという願いと、その理由――十二年間そばにいた護衛騎士への、偽りのない想いだった。
「……レイフェルトか。あの男が、幼い頃のお前を庇って怪我をしたときのことを、私はよく覚えている」
国王は静かに目を伏せ、しばらく黙り込んだ。エルフィーネは緊張に喉を鳴らしながら、父の返答を待った。
「クレイオスとの縁談は、他の形で結び直せば良いだけの話だ。だが、エルフィーネ。お前がその選択にどれほどの覚悟を持っているのか、私はそれを見極めたい」
「覚悟なら、もうできています。たとえ王位継承の順が変わろうとも、私はレイの隣にいたい。それが、私の本当の願いです」
まっすぐに告げた娘の瞳に、迷いは一切なかった。国王はやがて、深いため息とともに小さく頷いた。
「……分かった。お前の意志、しかと受け取った。ただし、レイフェルトにはそれ相応の地位と実績を積んでもらう必要がある。生半可な覚悟では、王配は務まらぬぞ」
「はい! ありがとうございます、父上!」
謁見の間から飛び出してきたエルフィーネの顔は、涙と笑顔でくしゃくしゃになっていた。扉の外で待っていたレイフェルトは、その表情だけで結果を悟った。
「エル……」
「聞いてくれた。父上が、聞いてくれたの」
駆け寄ってきたエルフィーネを、レイフェルトはしっかりと抱き止めた。回廊に差し込む朝の光が、二人を優しく包み込む。
「これから、まだまだ長い道のりになると思います。俺は騎士としての実績を、これまで以上に積まなければなりません」
「うん。でも、一緒に頑張れる。私も、王女としてやるべきことがちゃんとある」
「必ず、あなたに相応しい男になってみせます」
「もう十分、相応しいよ。レイは昔から、ずっと私の一番の騎士だったんだから」
エルフィーネは背伸びをして、そっとレイフェルトの頬に口づけた。十二年越しの想いが、ようやく本当の意味で報われた瞬間だった。この先に待つのが茨の道だとしても、もう後戻りするつもりはなかった。十二年間守り続けてきた主を、これからは一人の女性として、生涯かけて守り抜く。その覚悟だけが、レイフェルトの胸の中で静かに、しかし確かに燃え続けていた。
* * *
それから一月後。王城の大広間では、建国祭を祝う夜会が開かれていた。国内外の要人が集う華やかな場に、レイフェルトは騎士団の正装に身を包んで参列していた。先の刺客事件での働きが評価され、彼は正式に近衛騎士団の副団長という地位を与えられている。まだ王配としての地位には遠いが、着実に一歩ずつ、認められる実績を積み重ねていた。
「レイ、こっち」
人混みをかき分けてやってきたエルフィーネは、深紅のドレスに身を包み、いつも以上に華やかだった。まだ婚約の正式発表には至っていないが、二人の関係は城内では公然の秘密になりつつある。
「今夜は一段と、お美しく見えます」
「今更、敬語混じりの口説き文句? ずるいよ、そういうの」
エルフィーネはくすくすと笑いながら、レイフェルトの腕にそっと自分の腕を絡めた。夜会の喧騒の中、バルコニーへと二人で抜け出す。夜空には満天の星が輝き、遠くから楽団の演奏がかすかに聞こえていた。
「キリアン王子、さっき挨拶しに来てくれたの。私たちのこと、もう知ってるみたいだった」
「……何か言われましたか」
「『いい騎士を持ったな』って。祝福してくれたよ、あの人らしく」
レイフェルトは意外そうに目を見開いたが、やがて小さく笑みをこぼした。あの日、意味深な問いを投げかけてきたキリアン王子の眼差しを思い出す。あれは、すでにすべてを見抜いていた上での、彼なりの気遣いだったのかもしれない。
「レイ」
「はい」
「これから先、大変なことも、たくさんあると思う。それでも、隣にいてくれる?」
「もちろんです。どんな困難があろうと、俺はあなたの隣を離れません。護衛騎士としてではなく、一人の男として」
星空の下、レイフェルトはそっとエルフィーネの手を取り、指先に口づけた。十二年前、小さな稽古場で始まった二人の物語は、これから新しい章を迎えようとしていた。
「あのとき、木剣を握らせてもらったのが、全部の始まりだったんだね」
「はい。あの日から、俺はずっと、あなたの隣にいる未来を望んでいたのかもしれません」
「気づくの、遅いよ」
「エルこそ、いつから?」
「秘密。今度、ゆっくり教えてあげる」
いたずらっぽく笑うエルフィーネに、レイフェルトも自然と笑みをこぼした。夜風に乗って届く楽団の音色が、まるで二人を祝福するように、静かに大広間から流れ続けていた。
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