君の声
第2話 真実
部活帰りの夕暮れ、誰もいない渡り廊下。
エナメルバッグを肩にかけた俺の隣で、詩織が小指を差し出して、悪戯っぽく笑っていた。
「約束だからね」
「おう、約束な。お前の特等席、絶対死守するわ」
今度の試合を見に来る。
そう言っていた詩織のために、俺が用意する特等席。
夕日に照らされた彼女の笑顔があまりにも眩しかった。
差し出された華奢な小指に、自分の小指を絡める。
——その瞬間
ピピッ ピピッ……
鳴り響いた機械音に夕暮れの渡り廊下が消えていく。
それが夢であると気付くのに数秒かかった。久しぶりに見る高校時代の詩織の夢。樹は余韻を探すようにスマートフォンを探し、呼び出したのは昨日登録された『白石詩織』の文字。
ただその文字を見つめる。自分のことを、彼女は忘れてしまったのかもしれない。そう考えると胸は痛む。
だけど不思議だった。夢の中の詩織は昔のままだったのに、昨日会った詩織も確かに詩織だった。少し大人になって、真っ直ぐで、静かに熱を抱えながら仕事に向き合う姿。失ったものばかり数えていたけれど、あいつはちゃんと前を向いて生きていた。だったら俺も、ちゃんと今のあいつを見ないといけない。
そう思いベッドから立ちあがる。胸の奥の寂しさには、見ないふりをしたままで。
「おはようございまーす」
いつものように明るく挨拶しながら自席へ向かう。朝一で部下から確認資料を受け取り、パソコンを立ち上げると日課のメールチェックを始めた。今回のイベントに伴って取引先も増え、新着メールはいつも以上に多い。ひとつずつ確認していた手が、不意に止まる。
【ヴォイス・パレット 白石】
その名前を見た瞬間、胸がどくりと跳ねた。
少し震える指でメールを開く。そこには丁寧な挨拶文と、「ご確認いただけますと幸いです。」の一文。そして音声ファイルが添付されていた。鞄からイヤフォンを取り出しパソコンへ繋ぐ。クリックして再生すると、静かな水音が流れ込んできた。おそらく水族館内で収録した環境音だろう。柔らかな反響音の中を、水の揺らぎがゆっくりと広がっていく。そのまま耳を傾けていると、ある瞬間を境に、ふっと音が消えた。
静寂。
ほんの一瞬だけ訪れた無音。
樹は思わず息を呑んだ。昨日、自分が口にした「演出を盛り上げるための、一瞬の静寂」。
言葉にしたのは確かに自分だった。けれど、頭の中にあった曖昧なイメージまで、こんなにも正確に掬い上げられるとは思ってもいなかった。
「……すげぇ」
気付けば、声が漏れていた。
ただ音がよかったからじゃない。まるで、自分の頭の中をそのまま覗かれたみたいだった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
昨日、ただ「やります」と言っただけじゃなかった。きっと遅くまで残って、一つひとつ音と向き合ったんだろう。昔からそうだった。
静かな顔をしているくせに、一度決めたことは誰よりも熱くなる。
——やっぱりすごいな。
好きとか、会いたかったとか。
そういう感情より先にそんな言葉が浮かんだ。
樹は小さく笑ってスマートフォンをポケットから取り出した。
『おはよう。メール見た。めちゃくちゃ良かった』
送ったあと、少しだけ付け足した。
『朝からテンション上がった。ありがとう』
それだけをすばやく送信する。すぐに既読になるメッセージ。
エナメルバッグを肩にかけた俺の隣で、詩織が小指を差し出して、悪戯っぽく笑っていた。
「約束だからね」
「おう、約束な。お前の特等席、絶対死守するわ」
今度の試合を見に来る。
そう言っていた詩織のために、俺が用意する特等席。
夕日に照らされた彼女の笑顔があまりにも眩しかった。
差し出された華奢な小指に、自分の小指を絡める。
——その瞬間
ピピッ ピピッ……
鳴り響いた機械音に夕暮れの渡り廊下が消えていく。
それが夢であると気付くのに数秒かかった。久しぶりに見る高校時代の詩織の夢。樹は余韻を探すようにスマートフォンを探し、呼び出したのは昨日登録された『白石詩織』の文字。
ただその文字を見つめる。自分のことを、彼女は忘れてしまったのかもしれない。そう考えると胸は痛む。
だけど不思議だった。夢の中の詩織は昔のままだったのに、昨日会った詩織も確かに詩織だった。少し大人になって、真っ直ぐで、静かに熱を抱えながら仕事に向き合う姿。失ったものばかり数えていたけれど、あいつはちゃんと前を向いて生きていた。だったら俺も、ちゃんと今のあいつを見ないといけない。
そう思いベッドから立ちあがる。胸の奥の寂しさには、見ないふりをしたままで。
「おはようございまーす」
いつものように明るく挨拶しながら自席へ向かう。朝一で部下から確認資料を受け取り、パソコンを立ち上げると日課のメールチェックを始めた。今回のイベントに伴って取引先も増え、新着メールはいつも以上に多い。ひとつずつ確認していた手が、不意に止まる。
【ヴォイス・パレット 白石】
その名前を見た瞬間、胸がどくりと跳ねた。
少し震える指でメールを開く。そこには丁寧な挨拶文と、「ご確認いただけますと幸いです。」の一文。そして音声ファイルが添付されていた。鞄からイヤフォンを取り出しパソコンへ繋ぐ。クリックして再生すると、静かな水音が流れ込んできた。おそらく水族館内で収録した環境音だろう。柔らかな反響音の中を、水の揺らぎがゆっくりと広がっていく。そのまま耳を傾けていると、ある瞬間を境に、ふっと音が消えた。
静寂。
ほんの一瞬だけ訪れた無音。
樹は思わず息を呑んだ。昨日、自分が口にした「演出を盛り上げるための、一瞬の静寂」。
言葉にしたのは確かに自分だった。けれど、頭の中にあった曖昧なイメージまで、こんなにも正確に掬い上げられるとは思ってもいなかった。
「……すげぇ」
気付けば、声が漏れていた。
ただ音がよかったからじゃない。まるで、自分の頭の中をそのまま覗かれたみたいだった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
昨日、ただ「やります」と言っただけじゃなかった。きっと遅くまで残って、一つひとつ音と向き合ったんだろう。昔からそうだった。
静かな顔をしているくせに、一度決めたことは誰よりも熱くなる。
——やっぱりすごいな。
好きとか、会いたかったとか。
そういう感情より先にそんな言葉が浮かんだ。
樹は小さく笑ってスマートフォンをポケットから取り出した。
『おはよう。メール見た。めちゃくちゃ良かった』
送ったあと、少しだけ付け足した。
『朝からテンション上がった。ありがとう』
それだけをすばやく送信する。すぐに既読になるメッセージ。