君の声
『おはようございます。そう言っていただけて安心しました。昨日のご指摘、とても参考になりました。今日のミーティングもよろしくお願いします』
 自席で思わず天を仰ぐ。自分の求めていた音が、彼女には伝わっていた。
 ――けれど、スマートフォンの上に乗せた指が、ピタリと止まった。
 なんて返そうか。
 少し考えて樹は『了解』とスタンプを送る。画面にぽつんと浮かんだ、ポップなスタンプ。
「よし、仕事仕事。あー、落ち着け俺……」
 スマートフォンを裏返して机に置いた樹は、自分の顔が熱くなっているのを隠すように、わざとらしく両手で頬を叩いてパソコンの画面に向き直った。

 午後はヴォイス・パレットとの打ち合わせが入っていた。昨日と同じ会議室で詩織の到着を待つため、樹はカフェスペースで買ったコーヒーとタブレットを片手にエレベーターを待っていた。
「あ、佐野じゃん」
 呼ばれて振り返ればそこにはファイルが入ったダンボールを抱えた同期の牧野恵がいた。
「おお、牧野。重そうなの持ってるね。」
「ちょっと資料整理してて。今から資料室持っていくところ。」
「同じ階か。貸して俺が持つよ」
 そう言って手にしていたタブレットを小脇に挟むと空いた片手で牧野からダンボールを受け取った。
「助かるわ。代わりにこれ持ってあげる」
 牧野はそう言って樹からコーヒーとタブレットを手に取った。到着したエレベーターに乗り込み目的の階を押す。
「そう言えば聞いたよ。すっごい大きい企画やるんだって?」
「さすが総務。耳が早いじゃん」
「社内で噂だよ。企画部のエースがすごい案件任されたって」
「ははっ、責任重大だわ」
 樹はおどけたように言って笑う。けれど、胸の奥には焦燥感が燻っていた。
「でもさ、東洋音響が本命だったんでしょ? なんでわざわざ実績の少ないところに変えたの?」
 牧野は自分の手にある樹のコーヒーに視線を落としながら、少し心配そうに声を潜める。
「あはは、まぁコンペの書類見た瞬間、ビビッときちゃったんだよね。俺の直感、結構当たるし?」
 いつもの軽い口調で煙に巻く。エレベーターが目的の階に到着し、静かに扉が開いた。
(博打、ねぇ)
 心の中でそう呟く。
 ダンボールを抱え直しながら通路を進む。目指す会議室の少し手前、資料室の重い扉が見えてくる。不意に会議室の扉が開く。中から出てきたのは広瀬だった。
「あれ?お前何してんの?」
「佐野先輩。今呼びに行こうと思ってたんですよ。白石さん、もういらっしゃってます」
「え!?早くない!?」
「音声について、打ち合わせをしたいそうですよ」
「おっけ、わかった。悪いけど、これ資料室まで運んでやってくんない?」
 詩織が来ている、そう聞くだけで胸が高鳴るのを感じた。彼女がくれたあの音源についてもっと話したい。そう思って広瀬に持っていた段ボールを渡し、「悪い、急用!そのコーヒー飲んでいいから」そう言って牧野からタブレットだけを受け取ると会議室へと駆け出した。
「あ、ちょっと!……白石って?」
 牧野は広瀬に尋ねる。
「今先輩が担当しているイベントの担当さんです。」
「ふーん……」
 よいしょ、と段ボールを抱え直して歩き出す広瀬を横目に牧野は樹が走り去った廊下を見つめていた。牧野の手元に残った樹のコーヒーの香りが妙に苦く広がっていた。

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