行き遅れ子育てメイドは冷徹侯爵さまに玉砕前提のプロポーズをする!~「わかった、結婚しよう」って私たち初対面ですけど大丈夫ですか!?~
マンドラゴラ君はなかなかやるな
二人が話し込んでいたのは夜会の会場であるダンスホールへと通じる廊下であり、すぐ横をじろじろと物言いたげに目配せをしながら男女が通り過ぎて行った。
ウォーレンは軽く片眉を跳ね上げてアンナへ手を差し出してくる。
「少し歩きましょう」
見るからに仕立ての良い上着の袖を見て、アンナは「どこを掴めばいいの?」との思いから黙り込んでしまった。
これまで男性のエスコートを受けた経験は、ほとんどない。
(留学時代に研究所絡みの晩餐会に出席するときに、パートナーのいない男性研究員に付き添われたのが最後かしら。もう十年も前のことね……)
困った顔で固まっているアンナに対し、ウォーレンは「少し歩けばバルコニーに出られますよ」と言いながらそっと腕をひいて歩き出した。
アンナはほっと安堵して、ウォーレンの後に続いて歩きながら詫びる。
「エスコートされるのに慣れていなくて、自然に手を取ることができなくてすみません。練習してくれば良かったわ」
「練習か。そうだな。ずいぶん子どもの頃、家庭教師にそういった教えを受けた覚えがある。いつか必要になるときのために練習しておけと言われた。あれから二十年、全然使う機会がなかったので、俺も作法には自信がない。間違えたのかと心配になった」
気取った様子もなくさらっと言われて、アンナは女たらしの冷徹侯爵らしからぬと頭の片隅で違和感を覚えつつ「いえいえ大丈夫です」と早口でフォローした。
「二十年のブランクがあるようには見えませんでした。きちんとサマになっていまして、お上手でしたよ」
普段子どもと接することが多いだけに、ついつい子どものように褒めてしまう。言ってしまってからハッとなったが、訂正するのも不自然かと口をつぐんだ。そして、二十年前……とこっそりと子どもの頃のウォーレンを想像してみた。
(ミッドフォード侯爵は事前情報によれば三十歳。ということは十歳くらいから社交界デビューのお勉強をなさっていたんですね)
言われてみれば、公爵家の第二子で長男であるアンドレイが最近やけに作法を気にして「絶対必要になるから、できなければならない」と自ら主張し学び始めたところであることを思い出した。アンナとしては、つい最近まで赤ちゃんだったのにませてしまったわね……という複雑な思いがありつつ、次期公爵ともなればいつそういった振る舞いが必要になるかわからないというプレッシャーもあるのだろうと見守っていた次第である。
いまは立派な男性である冷徹侯爵にもそんな少年時代があったのでしょうか、とアンドレイに重ねて微笑ましい気持ちになっているアンナの前に、三十歳のウォーレンが距離を詰めてきた。
「上手だったというのなら、最後まで付き合ってもらってもいいかな。あなたの練習にもなるだろう。俺も今後に向けて、ここで女性対応を復習しておきたい」
「私の練習……? と、復習?」
妄想からさめて前に立つ相手を見上げて、アンナはばちっと目に痛みが走るのを感じて「あうっ」と手で顔を覆った。美形が過ぎる。
「どうしました? 虫でも飛んできましたか」
「あ、いえ、飛んで火にいる夏の虫とは私のこと……じゃなくて、いま不用意に美しすぎるものを目にしてしまい、焼かれただけです。大丈夫です、暗闇を見つめているうちに落ち着くと思います」
ウォーレンから顔を背けて、アンナは目を落ち着かせようとする。
「美しいもの……? ホワイトヘレボルスのような?」
なぜかウォーレンは草で例えてきた。
それは幸いにしてアンナの知識にあるものだったので、思わず素で返答してしまう。
「毒草じゃないですか」
「見た目はいい。使いようによっては役に立つ」
目が痛かったこともあり、アンナは差し出された腕に自然に手を置いていた。ウォーレンの歩みに合わせて歩きながらホワイトヘレボルスなる毒性植物を思い浮かべつつ言う。
「そうですね。見た目はゲンチアナにも似ていますが、薬になるゲンチアナとは違い、ホワイトヘレボルスは毒性が強いですからね。根をすりつぶして餌に混ぜて撒いておくとネズミを駆除できます。ネズミの多さと病気の広まりの早さは相関があるのではないかと、以前仮説をたてて研究していたことがあるんです。研究は途中になってしまいましたが、先の流行り病の時期、私の勤め先である公爵邸では毒餌で徹底的にねずみ駆除をしました。きちんと統計を取ったりはしていませんが、病気の発生や重症化を抑制する効果があったように思います」
扱うものが毒だけに大っぴらに作り方を喧伝したりひとに渡すのは難しかったが、自家用としてアンナは大いに活用した。病気の特効薬は作れなくても、薬の知識はずいぶん役に立ったのである。
ふう、とウォーレンが何やら感心したように息を吐き出した。
「マンドラゴラはずいぶんと草に詳しいらしい。やるな」
少し考えてから、アンナは咳払いとともに答えた。
「私の名前はマンドラゴラではなくアンナです。できましたらマンドラゴラ呼びは心の中にとどめておいていただけませんか?」
ウォーレンは軽く片眉を跳ね上げてアンナへ手を差し出してくる。
「少し歩きましょう」
見るからに仕立ての良い上着の袖を見て、アンナは「どこを掴めばいいの?」との思いから黙り込んでしまった。
これまで男性のエスコートを受けた経験は、ほとんどない。
(留学時代に研究所絡みの晩餐会に出席するときに、パートナーのいない男性研究員に付き添われたのが最後かしら。もう十年も前のことね……)
困った顔で固まっているアンナに対し、ウォーレンは「少し歩けばバルコニーに出られますよ」と言いながらそっと腕をひいて歩き出した。
アンナはほっと安堵して、ウォーレンの後に続いて歩きながら詫びる。
「エスコートされるのに慣れていなくて、自然に手を取ることができなくてすみません。練習してくれば良かったわ」
「練習か。そうだな。ずいぶん子どもの頃、家庭教師にそういった教えを受けた覚えがある。いつか必要になるときのために練習しておけと言われた。あれから二十年、全然使う機会がなかったので、俺も作法には自信がない。間違えたのかと心配になった」
気取った様子もなくさらっと言われて、アンナは女たらしの冷徹侯爵らしからぬと頭の片隅で違和感を覚えつつ「いえいえ大丈夫です」と早口でフォローした。
「二十年のブランクがあるようには見えませんでした。きちんとサマになっていまして、お上手でしたよ」
普段子どもと接することが多いだけに、ついつい子どものように褒めてしまう。言ってしまってからハッとなったが、訂正するのも不自然かと口をつぐんだ。そして、二十年前……とこっそりと子どもの頃のウォーレンを想像してみた。
(ミッドフォード侯爵は事前情報によれば三十歳。ということは十歳くらいから社交界デビューのお勉強をなさっていたんですね)
言われてみれば、公爵家の第二子で長男であるアンドレイが最近やけに作法を気にして「絶対必要になるから、できなければならない」と自ら主張し学び始めたところであることを思い出した。アンナとしては、つい最近まで赤ちゃんだったのにませてしまったわね……という複雑な思いがありつつ、次期公爵ともなればいつそういった振る舞いが必要になるかわからないというプレッシャーもあるのだろうと見守っていた次第である。
いまは立派な男性である冷徹侯爵にもそんな少年時代があったのでしょうか、とアンドレイに重ねて微笑ましい気持ちになっているアンナの前に、三十歳のウォーレンが距離を詰めてきた。
「上手だったというのなら、最後まで付き合ってもらってもいいかな。あなたの練習にもなるだろう。俺も今後に向けて、ここで女性対応を復習しておきたい」
「私の練習……? と、復習?」
妄想からさめて前に立つ相手を見上げて、アンナはばちっと目に痛みが走るのを感じて「あうっ」と手で顔を覆った。美形が過ぎる。
「どうしました? 虫でも飛んできましたか」
「あ、いえ、飛んで火にいる夏の虫とは私のこと……じゃなくて、いま不用意に美しすぎるものを目にしてしまい、焼かれただけです。大丈夫です、暗闇を見つめているうちに落ち着くと思います」
ウォーレンから顔を背けて、アンナは目を落ち着かせようとする。
「美しいもの……? ホワイトヘレボルスのような?」
なぜかウォーレンは草で例えてきた。
それは幸いにしてアンナの知識にあるものだったので、思わず素で返答してしまう。
「毒草じゃないですか」
「見た目はいい。使いようによっては役に立つ」
目が痛かったこともあり、アンナは差し出された腕に自然に手を置いていた。ウォーレンの歩みに合わせて歩きながらホワイトヘレボルスなる毒性植物を思い浮かべつつ言う。
「そうですね。見た目はゲンチアナにも似ていますが、薬になるゲンチアナとは違い、ホワイトヘレボルスは毒性が強いですからね。根をすりつぶして餌に混ぜて撒いておくとネズミを駆除できます。ネズミの多さと病気の広まりの早さは相関があるのではないかと、以前仮説をたてて研究していたことがあるんです。研究は途中になってしまいましたが、先の流行り病の時期、私の勤め先である公爵邸では毒餌で徹底的にねずみ駆除をしました。きちんと統計を取ったりはしていませんが、病気の発生や重症化を抑制する効果があったように思います」
扱うものが毒だけに大っぴらに作り方を喧伝したりひとに渡すのは難しかったが、自家用としてアンナは大いに活用した。病気の特効薬は作れなくても、薬の知識はずいぶん役に立ったのである。
ふう、とウォーレンが何やら感心したように息を吐き出した。
「マンドラゴラはずいぶんと草に詳しいらしい。やるな」
少し考えてから、アンナは咳払いとともに答えた。
「私の名前はマンドラゴラではなくアンナです。できましたらマンドラゴラ呼びは心の中にとどめておいていただけませんか?」


