“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした ~わたしの夢は、優しい年上男性に夢の国で告白されること~
第8章 金平糖の芯
―飽和した努力を結晶に変えましょう―・上
生八つ橋片手に、ゆめと郁人は二人で鹿児島空港へと降り立った。
スーツケースは持たず、大きめのトートバッグに二人分の着替えと洗面用具などを詰めた。
到着口には、陸とまなが並んで待っていてくれていた。
その姿を見つけると、ゆめは手を振りながら郁人の右手を引っ張って歩いた。
「陸さん、まなちゃん。
今回は快く相談に乗ってくれてありがとう」
ゆめが、二人の前に立ち止まって頭を下げる。
郁人もそれに続いた。
「お手数をおかけしてすみません。
お世話になります」
二人は旅行に来たわけでも遊びに来たわけでもない。
先輩に、教えを請いに来た。
そのスタンスを崩さない真面目さに、逆に陸は戸惑うように手を振った。
「いやいやいや!
俺たちもまだまだだから、かしこまらないでください。
一緒に学んでいきましょう」
空港の外に出ると、夏の太陽が容赦なく襲ってきた。
さすが南国、太陽のパワーも強い気がする。
「せっかく来たんだから、夜は温泉に入っていってもいいね」
車に乗り込むと早速まなが振り返って提案してくる。
ゆめも、遊びに来たわけじゃないんだけど……いいのかな?と戸惑いつつも揺れている。
そんなやりとりに、男性二人は、黙り込む。
将来の義兄弟とはいえ、正直そこまで親しいわけじゃないのに一緒に入るシーンを想像して、静かに気まずさを抱えていた。
「まなちゃんと陸さんに、まずは今までのわたしたちの“効率的”を聞いて欲しいの」
レポート用紙に纏められたそれを郁人が取り出し、読み上げる。
効率的だと思っていたけれど、実際はただの言葉遊びの言い訳だったことを、二人とももう知っている。
「まず、洗濯は全てコインランドリーで、洗濯ネットに自分の分を入れて二人一緒に回します。
乾燥まで一気に仕上げることで、干さない。
すぐに洗わない服は一旦椅子の上などに避ける。
洗い終わった服は、どうせすぐに着るという理由で、山にして床置きにして、畳む時間を勉強時間に充てられていることに満足していました」
「「…………」」
二人は、考え込むように黙り込んでしまった。
ゆめは、これが世間の反応なのだと改めて感じながら、隣に座る郁人と目を合わせる。
「……これが、わたしと郁人の家、二つ分。
ちなみに、わたしたちが一緒に暮らし始めてからこうなったわけではなくて、元々そうだったの。
だから、“効率”をわかっている人だって……価値観が同じことが嬉しかった」
ゆめの苦笑に、郁人も自分も同じだったと答える。
「……山になっていると、例えば踏んでしまったりとか……どこに何があるのか把握しにくかったりとかは……ないの、かな」
控えめな陸の確認に、郁人が淡々と「日常です」と答える。
その回答を聞いて、言いにくそうに、だけどはっきりと「直そうと思えて良かった」と陸が呟いた。
「わたしの家か、郁人の家か、どっちにものがあるのかわからなくなりました。
今はそれを正すために、拠点を一つにすることをまずは目指しています」
「次に、洗い物は少なくする、生ゴミを出さない。
それから自炊は時間効率が悪いという理由から、しないと決めていました。
コップも洗いたくなくて、基本はペットボトル。
買ってきたお総菜なども、買ってきたパックの蓋の部分まで利用して分け合っています」
「さすがにペットボトルだけは……自分で麦茶を作るように改善しました。
お湯を入れるだけだし……そこにお金掛けるのは違うって気がついた」
ゆめの話を聞いて、そっか、とまなが頷く。
「郁人さん、ゆめ。
お総菜を利用することは“悪”ではない。
価値観の問題ではあるんだけど……忙しい日に、それすらも自分に許可できないのは、私は苦しいと思う。
だから……絶対に利用したらダメとか、極端な方向に考えることはしないでね」
まなの言葉に、陸が頷く。
「一人で頑張らせることはしたくないからね。
まなが忙しそうな日は、俺が作ることもあるよ」
「陸くんこそ、ゴミ出しとかお風呂掃除とか、色々抱えすぎだよ。
私がやろうと思ったらだいたいいつも先にしてくれるから、申し訳ないなって……」
二人の微笑ましいやり取りを見ながら、なんとなく生活のイメージを掴み始めたような気がした。
車が海沿いに来たとき、はっきりと桜島が見える。
郁人もゆめも、初めて見る桜島の姿に静かに息を飲んだ。
たなびく雲は、灰色。
その雲の下の方が、ベールをかぶせた様に薄く濁っていた。
「あれが……噴煙……」
郁人の言葉に、ゆめは驚いて、あれが噴火!?と窓の外に注目する。
「そうだね。
噴火した直後は、規模にもよるけど噴煙が立ち上がって見える。
今みたいに少し時間が経っていると、下に灰が降り注ぐ様子がわかるような……そんな靡いた雲って感じになるよ」
「ああ、風向きが海の方で良かった。
市内方面だと、ちょっと辛かったね」
陸とまなの言葉は、二人はここで生きているんだなと自然に胸に落ちてきた。
車が市内に入ると、まずは買い物からと商業施設へ向かう。
地方による物価の違いはあるだろうが、食事を作るためにだいたい何がどのくらい必要なのかを把握したい。
「郁人さんは、好きな食べ物ってありますか?」
まなに尋ねられ、郁人はしばらく黙った後に、正直に言葉に出した。
「……食事を、好みで考えたことがありません。
いわゆる好き嫌いは少ない方だと思います」
淡々とした郁人の声。
ゆめがそこに思い出したように、付け加える。
「あ、でも郁人は“その場所ならでは”の限定品が好きだったよね?
鹿児島なら鹿児島らしいものが好き?」
「……まぁ、そうだな。
好き嫌いが少ない分、価値があるかどうかで選択肢を選びがちかもしれない」
「なるほど、ならお肉料理が鹿児島らしくてお勧めかな」
まなの声に、よろしくお願いいたします。とゆめが答える。
そのやりとりに、まなが笑った。
「でも本当に不思議。
あんなにかたくなに、家のこと何もしなかったゆめなのに。
なおも逃げ回っていたけど、あの人はできないわけじゃないからね……。
最近は、さすがに手伝えってお母さんと並んでお料理しているらしいよ」
「なおちゃん、食べるの好きだから。
一旦やりはじめるとこだわるもんね……」
◇
商業施設の中に入る。
「買い物の前にお手洗いに行っておきたい」と告げたところで、陸とまなの目が輝いた気がした。
二人が、自信を持った表情で頷き合う。
「郁人さんも……行きませんか?」
陸のその誘いに、少しだけ逃げ腰になりながら……郁人が押し切られたように、頷いた。
一階のトイレに入った瞬間から、そこは別世界だった。
よくあるトイレとは、全く違う。
ダウンライトの数と灯りの強さは、過不足なく。
間接照明が、壁を柔らかく照らしていた。
所々に置かれた観葉植物は、見る人の心を和らげる。
トイレの壁は、よくある乳白色ではなく、暗い木目調。
扉も高く、よくあるトイレの扉よりも安心感が強かった。
ちゃんとドアノブがあり、スライド式の鍵ではなくサムターン式。
個室の中には、荷物掛けが複数箇所に設置されている。
洗面で手を洗うときには、反応の良いセンサーでさっとお湯が出る。
洗面台に置かれたボトルのハンドソープは、明らかに安物ではなく、手にとって洗うとやさしいラベンダーの香りがあたりを満たした。
このトイレ全体に漂うラベンダーの香りの正体はここからなのかな、と思ったところで、どこか自信満々で嬉しそうなまなが出てきた。
ハンドタオルで手を拭きながら出てくると、トイレの外にはすでに郁人と陸が並んでいた。
二人からも、同じラベンダーの香りがする。
「お待たせしました」
「いや、大丈夫だよ。
ここ、落ち着ける良いトイレだったでしょう?」
陸は嬉しそうに話す。
(あ、これは……語り出すフラグかもしれない)
ゆめは、素早く郁人の腕を取る。
少し慌てたような郁人の声がするが、敢えて無視をした。
無自覚なトイレの貴公子は、語り始めると長くて熱くて恐ろしいと、高校一年の時のクラスの保健委員が言っていたのを思い出して。
「ゆめ、本当に郁人さんが好きなんだね」
腕にしがみつくゆめの姿に、まなが笑いながら言う。
「……そうじゃなきゃ、結婚するなんて言わないよ」
否定することはないが、堂々と言い切るのも恥ずかしくて、小声になってしまった。
「郁人さん、ここの男子トイレ、安心しませんか?」
笑顔で郁人に確認する陸に、話を変えられなかったことを悟る。
「ここね、私たちのお気に入りの外トイレなの。
ここに来ると、ちょっとだけただのトイレの時間が、リラックスする時間になるねって陸くんと話しているの」
まなの言葉に、この夫婦は“トイレ”という素材を通して、二人で同じ価値観の世界を共有しているんだなと感じる。
「……まぁ。
清潔だなと、思いました」
郁人の答えに、陸が嬉しそうに続ける。
「このトイレ、的があるから汚れ方が違うんです。
汚いトイレはさらなる汚さを呼びますから。
清潔だと思わせることは、安心して利用出来るトイレの絶対条件なんです」
「的……?」
陸の言葉の中にあった想像できない単語に、ゆめは首を傾げる。
「……気にしなくていい」
郁人はいつもの淡々さで、そう答えたのだった。
◇
陸は、自然な動作でカゴを取ると、それをカートに乗せて押していく。
それを真似してゆめがカゴを取ると、郁人がカートを持ってきてくれた。
普段の二人のお買い物ではカートを使うような量を買わないので、新鮮だった。
「郁人さん、これだけは食べられないってものはありますか?」
改めてまなが確認すると、郁人は少しだけ目を逸らして答える。
「……ホルモン系……牛タンとかは食感が苦手です。
あとは……ローストビーフも、実は……」
「なるほど、ありがとうございます。
じゃあ、そういうのは避けて、時間がそんなに掛からないで作れるものを選びましょう」
まながにこりと笑うと、郁人が安心したように息を吐いた。
ゆめは郁人に苦手な食べ物があったことを、初めて知った。
精肉コーナーで生姜焼き用の国産黒豚のパックを取る。
まなが取ったのと同じものを、二人も入れる。
「この値段、鹿児島だから安いの。
同じものを東京で買うと、下手すると二倍だからね……」
「なるほど……。
その地域にあった食材を使うのが、節約にもなるのかな?」
ゆめの言葉に、陸が笑いながら「地産地消、理に適っているよね」と言う。
郁人も静かに頷いた。
「京都だったら、京野菜とかいろいろあるのかな?
修学旅行で食べた湯葉とか、万願寺とうがらしも美味しかった記憶があるよ」
まなの話に、ゆめもそういえばと思い当たる。
「それ、確かに飲み会でよく出てくるかも」
「久我教授の好物だからな」
郁人の言葉に、そうだったんだと笑う。
そんな二人を、まなが優しいまなざしで見つめる。
「私たちの共通言語は“トイレ係”だけど、ゆめたちの共通言語は“研究室”なんだね」
「……いや、保健委員だから」
陸のツッコミをまなはスルーする。
まなに認められた、二人の共通点。
その事実が、心をそっと温めた。