“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした ~わたしの夢は、優しい年上男性に夢の国で告白されること~
―飽和した努力を結晶に変えましょう―・中
買い物を無事に終えて、車がたどり着いたのは、桜島が少し見えるアパートだった。
「せっかく鹿児島に来たなら、桜島が見える場所が良かったんだよね」と二人が笑い合う。
そういう視点もあるのか、と二人は静かに頷いた。
「あと……見てわかるかな。
RC造で木造を避けてる。
やっぱり生活音が漏れるんじゃないかと、木造だと気になってしまって」
陸の言葉に、郁人が静かにメモを取る。
その姿は、研究室で見るような真面目なもので、ゆめの心が少しだけ跳ねた。
生活も、研究と同じで仮説と検証なんだな、と思った。
三階部分にたどり着くと、まなが玄関の鍵を開ける。
陸と郁人がそれぞれ荷物を運んでくれる。
玄関を開けると明るい雰囲気が広がる。
廊下の先には磨りガラスが入ったドアがあり、直接リビングが見えない。
靴箱の上には、ちいさなネコの置物が置いてあった。
片手を上げて、招くポーズをしている。
その置物が乗せてある和紙の上には『ご飯ちょうだいにゃぁ』と書いてあって思わず笑ってしまった。
「それ、かわいいでしょう?
古民家風レストランでご飯食べたときに、そこで売っていたからつい買っちゃったの」
「うん、かわいい」
二人が背伸びせずに生活を楽しんでいるのが、玄関からすでに見えていた。
こういう余白を、郁人と一緒に探していきたい。
郁人の方を見ると、相変わらず荷物を腕に下げたままメモを取っていた。
広めの1LDKで、特にリビングとダイニングは明るく広いイメージだ。
三人掛けのソファーとローテーブル、ダイニングテーブルは四人掛け。
二人で並んで作業も可能そうな、広めの作業台のあるキッチン。
冷蔵庫は大きめのものが置いてあった。
「冷蔵庫って、やっぱりこれくらいのサイズが必要なのかな……」
ゆめがそう呟くと、まなが笑いながら「二人暮らしには、オーバースペックだよ」と言う。
「私が、色々作ったりしたものを入れておきたいから、これにしたの。
趣味と仕事を兼ねた冷蔵庫って感じかな?」
「仕事……?」
郁人がメモを取りながら、尋ねる。
「陸くんの健康管理が、管理栄養士としての私の一番のお仕事なの」
その言葉に、陸が幸せそうに笑った。
リビングのチェストの上には、ネコのあみぐるみが二つ並んでいる。
片方は黄色いリボンで、もう片方は赤いリボン。
何の気なしにじっと見ていると、まなが照れたように陸を見る。
陸の方も同じような表情をしていた。
二人だけの世界が、確かにそこにあった。
寝室を見るのは気が引けるなと思っていたのだけれど、二人ともが全部見ないとわからないよねと許可をしてくれた。
できるだけ荒らすことがないように、そっと扉を開ける。
落ち着いた明るめの木目が、落ち着いた茶色を貴重としたカーテンと調和していた。
家全体に言えることだが、観葉植物が多い。
緑が、優しい色合いを生活に添えていた。
「……やっぱり、観葉植物は置いた方が良いのかなぁ……?」
ゆめが尋ねると、まながそれに答える。
「それは好き好きだと思うよ。
あると落ち着くけれど、すぐ枯らしちゃう人もいるし、お世話が負担になるって人にも向かないかも。
うちに置いてあるのは、私がというよりは陸くんが好きだからなの」
「子どもの頃から、緑があるのが当たり前の生活だったんだよ。
母がそういうのが好きでね。
だから、世話にも慣れているし、置いてあると落ち着くんだ」
陸がどうして今の彼になったのかが、なんとなく見えたような気がした。
郁人が、メモにどんどん書き連ねていく。
ゆめが一番気になるのは、クローゼットの運用方法だった。
「まなちゃんたちは……お洋服ってどうやって管理してる?
たくさんの服……きちんと畳んでいる?」
「服……かぁ。
これも、正解は人それぞれだと思うけれど、床に山にはしたりしないかな」
「もう!」
まなの言葉に、ゆめの頬が膨らむ。
郁人も、床の惨状を思い出したようで……そっと目を逸らした。
陸がクローゼットを開ける。
そこには、ハンガーに掛けられた服が並んでいた。
「私たちの実家でも、こうだったよね?」
何でわざわざ聞くんだろうと言う風にまなが首を傾げる。
「……それがちゃんとできていたのは、子どもの時だけだよ……。
中学くらいまではお母さんがしてくれていたけど……高校くらいからは……」
「……床に、置いていたのね?」
「……はい」
中学くらいから、めったに姉たちの部屋に入ることも、自分の部屋に入れることも無くなっていた。
ゆめに至っては……部屋の惨状を知られたくなくて、意図的に誰かを入れるのを避けていた。
「……わかる」
小さく、郁人が呟いた。
前なら「ですよね」と嬉しかったところだが、今は本来わかり合ってはいけない部分なのだと思った。
「まぁ、改めて言うほどのことでもないんだけど。
ハンガーで干したものをそのまま掛けているかな。
使わない季節のものは、衣装ケースに入れて畳んでしまっているよ。
コートやスーツなんかは、クリーニングの後に衣装ケースに入れずにハンガーのまま保存していたりするけど。
衣装ケースやクローゼットにはこういう防虫剤も使っているよ」
一つずつ手にとって見せてくれることがありがたかった。
「洗濯も、今まではコインランドリーで乾燥までお任せしてたんだけど……」
「洗濯機と、干す場所も見せようか?
ちなみにタオルとかお風呂上がりに着る衣類は、洗濯機横にある棚に入れているよ。
火山灰の影響で基本は浴室乾燥だから、取り入れたらその場で畳んで片付けているよ」
「ありがとう。
衣類乾燥機もいるかどうか気になっていたんだよね」
ゆめのその言葉に、まなは少し考えた。
「衣類乾燥機って便利だけど、手入れも結構必要なのよね」
それに使えない服もあるし、という言葉に、一人暮らしを初めて最初の頃にしてしまった失敗を思い出す。
白いお気に入りのハイネックセーターは、コインランドリーに乾燥までお願いした結果、幼児サイズまで縮んでしまったのだった。
脱衣所の洗濯機前まで移動する。
縦型の洗濯機はそれなりの量が洗えるサイズだった。
「洗濯機も手入れが必要だからね?
洗濯が終わるたびに、糸くずネットをお掃除してね」
実際に外して見せてくれる。
ゆめは、手入れが必要な事実すら知らなかった。
郁人がメモを取りながら質問する。
「この洗濯機を選んだ理由とかはありますか?」
それに、陸が答えた。
「まずは、縦型かドラム式か、なんだけど。
俺が転勤族で引っ越しが多いのもあって縦型にしたよ。
物理的に賃貸物件で、ドラム式が置きにくい家も多いからね。
洗濯機で家探しの条件が厳しくなるのも……なんか違うかなって」
「なるほど……」
「とりあえず毛布も洗えるのが良いなって思って大きめの容量のあるものにしたんだ」
「確かに、余裕を持って洗えるほうが良い気がしますね」
ゆめはずっと感心しきりだった。
「この家を選んだ決め手を教えてください」
郁人のその言葉に、二人が顔を見合わせる。
あ、このパターンは……と思ったときにはトイレのドアが開けられていた。
「このお手洗いがお気に入りなの」
茶色のトイレカバーとマット、スリッパにはお揃いの黒ネコのデザインが控えめについている。
トイレで一際目立っていたのは一輪差しに生けられた、小さなヒマワリ。
夏らしいシトラスの芳香剤がさわやかに香る。
明るい黄色が、笑顔にさせてくれるような、そんな空間ができあがっていた。
「お気に入りポイントはなんでしょうか?」
「この便器、新しめでつるっとしていて、汚れが付きにくいなって思ったのと……トイレの中にコンセントが設置されていたから。
この温水便座、後付けでメーカーもこだわって着けたものなの」
まなの語りに、陸が満足そうに頷く。
“トイレの女王様”も健在のようだ。
「逆に、内見の時にこれはないなと思った家とかありますか?」
郁人が質問を重ねる。
「扉を閉めたら頭がぶつかりそうなトイレの家はひどかった」
「ああ、あれ!」
陸とまなが思い出して笑う。
この人たちは、さっきからトイレの話しかしていない。
高校時代を思い切り引きずっている姉夫婦に、ゆめは郁人がどう思ったのだろうかと少し気になった。
高校の保健委員について知らない人たちにとっては、ただのトイレ好きの変わった人に見えてもおかしくない。
ゆめは、郁人の手元のメモに視線を向けた。
そこには、トイレ=生活の最小単位と仮定する、という文字が書かれていた。
◇
部屋を色々と見せてもらい、二人で生きていく暮らしが輪郭を持ち始めた頃。
まなが「そろそろ夕飯を作りましょうか」と声を掛ける。
買ってきた食材を冷蔵庫から出し、並べていった。
「今日は黒豚を使った生姜焼きと、豆腐の味噌汁と、キャベツの千切りを付け合わせにしましょうか」
千切り……家庭科の授業で一度だけしたかな、というレベルだったので背中を冷たい汗が伝う気がした。
それを察したまなが、今回はこれを使うから大丈夫と出してきたのがフードプロセッサーだった。
「キャベツの千切りをこれでも作れるって紹介したかったのもあって、このメニューなの」
まなは笑みを浮かべながらフードプロセッサーをセットしていく。
「その前に、手でやるとどれくらいの効率か、見ていてね」
まながキャベツの葉を丸めた左手で押さえると、リズミカルに包丁を動かして千切りを作る。
「私がやって、今の時間でできたのがこのひとつまみ。
……入る大きさに整えてここに入れて……はい、できあがり」
スイッチを入れると、あっという間に入れた分のキャベツが綺麗に刻まれた。
「アタッチメントを変えるだけで色々なことができるよ。
洗うときは刃に触れないようにだけ気を付ければ、包丁よりも怪我のリスクは低い」
郁人も、ゆめも、ただじっとその調理器具を見つめる。
「……これは、“ちゃんとできている”ことになるのかな……」
呟かれたその一言が、ゆめの性格を表わしていた。
それを正しく理解している三つ子の姉は、にこりと笑って背中を押す。
「保育園の給食室でも使っているし、離乳食作りのお母さんたちの中にも利用する人は多いよ。
普段の食事作りに活用している人も多いし、私も使う。
私にとっての“効率”ってこういう意味かな」
「作り手の技術に依存しない。
ゆめが作っても、俺が作っても同じになる。
再現性が高まることは、確かに効率的だ」
郁人が頷く。
「ゆめも郁人さんも、どちらも大切な指先だから。
どちらかがリスクを必要以上に負うことない。
機械ができるところは、頼ることが長続きの秘訣だよ」
まなの説明を聞きながら、郁人は熱心にペンを走らせていた。
ゆめはいつの間にか“自分が頑張らないと”と、抱え込もうとするような考えに至っていたことに気がついた。
結婚を認めて貰うためには、自分が頑張らないといけないのは事実。
だが、頑張り方を間違えないでとまなは伝えている。
(……わたし、ここに来た意味、ちゃんと見つけた気がする)
刻んだキャベツをザルに入れて、更に冷水にさらす。
まなは五分くらいさらすとシャキシャキになるよと良いながら、次は味噌汁を作るために鍋を取り出した。
そこに水と出汁パックを入れる。
「出汁の取り方は色々あるけれど、今日は簡単に出汁パックとそのままもう火に掛けちゃうね。
中火にして、沸騰直前で火力を弱めて数分煮出す。
その後はパックを取ってね」
ゆめは中火の感覚がよくわからずに、真剣に火を見つめながら調節をする。
「火力の調整とか、掃除のしやすさとか考えたらIHキッチンの選択もありだと思うよ。
もちろん、ガスの方が便利な部分もあるけど……これも好き好き、かな?」
「俺が一人暮らししていた時の家はIHだったよ。
タイマーもコンロに内蔵されているから便利だったけど、専用の鍋を用意する手間はあったかな」
陸の補足に、二人は頷く。
IHの方が自分には向いているのかもしれないと、漠然と思った。
「出汁もね、出汁パックを使ってもいいし、昆布と鰹節とかで丁寧にひいてもいいし、市販の出汁の粉末でも私はいいと思う。
私が一から丁寧に作るのは、それが可能なときだけにしているよ」
出汁を取っている間に、入れる食材を準備する。
お豆腐やエノキをカットし、すぐに入れられるようにしておく。
出汁が取れたら、そこへ投入。
火が通ったら、味噌を入れる前に火を落とした。
「味噌はいつ入れるの?」
「少し温度が冷めてから、かな。
沸騰させると風味が飛ぶなんて言われていたりもするし、ワンクッション置いてから私は入れているよ」
その間に、今度は豚肉を取り出す。
小麦粉をお肉の表面に付けるやり方として、密閉袋に肉と小麦粉を入れて振るやり方を教わった。
ゆめが袋を振ると、思ったよりも綺麗に小麦粉がまぶされたお肉ができあがった。
それをフライパンで焼いていく。
「油はねを防ぐ為に、こういうアイテムもあるから、使ってみて」
まなに渡されたのは、油はね防止スクリーン。
フライパン周りの汚れを防げるし、ちょっと跳ねる油が怖かったゆめにはありがたいアイテムだった。
焼いている間におろしたしょうがとしょうゆ、砂糖、料理酒を小さなボウルの中で混ぜ合わせる。
しょうがをおろしながら、まながこれも市販のチューブしょうがでも大丈夫、と声を掛ける。
ごま油の良い香りが、キッチンに立ち上っていた。
綺麗にお肉両面に焼き色が付いたら、ゆめは先ほどのボウルに混ぜたたれを一気に流し入れた。
それを絡めて、全体がつやのあるしょうゆ色になったら火を止めた。
ゆめがまなの指示を貰いながら何とか焼き終え、お皿に盛ったキャベツと合わせていく。
最後に味噌汁の仕上げをして、夕ご飯はできあがった。
四人でテーブルに着き、手を合わせる。
「いただきます」
温かいご飯。
ごま油としょうがと焦がしたしょうゆの風味が、ふわりと口に広がった。
味噌汁も、やさしい味の中に、出汁の奥深さを感じる。
特に鰹の風味がよい。
「この出汁……」
「あ、あの出汁パックね、実は私の手作りなの。
お茶パックに好みの分量で配合していて……枕崎産の鰹節、日高昆布……って感じでちょっとしたこだわりだったから、気がついて貰えたならうれしいな」
まながニコニコと笑う。
「でもね、これが企業努力ってことなんだろうけれど……市販の粉末の出汁もなかなかの味なの。
だから……正直自己満足の世界になってくるんだけどね」
「そんなことないよ。
まなのこだわりには“愛情”もたくさん入っているから、俺にはちゃんと美味しい」
陸の言葉に、何故かゆめの方があてられてしまう。
ゆめの少しだけ赤くなった頬を、郁人がいつもの無表情で見つめていた。
「今、私はパートで働いているからこそ、余裕があるからこうして作れるの。
フルタイムで働くとか、条件が変わってくるときっと同じにはできない。
だからそのときそのときで、二人で見直していこうと思っているよ」
「……まなちゃんと陸さん……ちゃんと“夫婦”なんだね」
「「え!?」」
思わずそう口にすると、二人とも驚いた様な声をあげる。
「キッチンでまなちゃんが使い終わった調理器具、陸さんがシンクで洗い始めたり、まなちゃんが取って欲しそうなもの、タイミングみて渡したり……自然だった」
郁人もそれを感じていたらしく、頷く。
「……俺たちも、できなくはないと思っている。
実験の時、ゆめはすでにそれをやってくれている」
「――っ!」
ゆめの頬が、今度こそはっきりと赤く染まる。
研究も、料理も。
生活の一部なのだと自覚した。