“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした ~わたしの夢は、優しい年上男性に夢の国で告白されること~
第10章 観測結果の共有

―予測可能な事象です―


ゆめが扉を開けると、すぐ傍に郁人は立っていた。
手に持っていた検査薬を、そっと手渡す。

彼は何も言わず、手の中のそれに視線を落とすと、そのまま反対の手でゆめの手を握った。
しっかりと絡めて握られたその力強さと伝わる体温が、彼の心の様だった。

リビングに戻り、郁人の母にも結果を共有する。

彼の母は、その結果の是非を裁くことはなかった。

「病院受診をお勧めするわ。
 ……必要なら付き添うけど……二人で大丈夫そうね」

彼女の目線は、握りしめられた二人の手に向けられていた。

「ああ、問題ない」

ゆめだけは、そんな母子の会話を、どこか遠くの出来事のように聞いていた。


◇

学校からは少しだけ離れた病院を選び、予約を取った。
事前にオンラインで問診票を記入し、それを送信する仕組み。
思ったよりもずっと記入欄は多かった。
そして、書きにくい質問もあった。

だけど。

論文を抱えながらも、逃げることなく隣に彼がいる。
郁人の今という時間の重さを、ゆめは嫌と言うほど理解している。

それだけで、十分だった。


「郁人、忙しいでしょう?
 わたし、一人で行けるよ」

ゆめの言葉に、郁人は迷わず首を振る。

「二人で行く必要があると判断した」

きっぱりと言い切る郁人に、ゆめは頷きだけを返した。


最短での受診日。
朝一の時間を選び、二人揃って病院の玄関をくぐった。
想像よりも、若い男性の姿が多く、少しだけほっとする。

ゆめの心細さを見透かすように、家を出るときから左手が握られていた。

(ああ……、この人は、本当に……)


名前でなく、番号で読み上げられるシステム。
番号が呼ばれると、ゆめは一人で診察室へと呼ばれる。
男性が入れるのは、すべての検査が終わった後らしい。
握られていた手が、すっと離れる。

一人で座るエコー室は、温かいピンク色や落ち着いた茶色で溢れていたのに、モニターや医療器具がそこらにあるからか、どこか無機質に感じた。

でもそんな不安は、映し出されたモニターを見た瞬間にすべて消えた。

エコーを調節して映し出されたその姿は、まだほんの小さなもの。
それでも説明される前から、心臓が動いているのがわかった。


「説明をしますので、お父さんと一緒に隣の診察室にお入りください」

廊下に出ると、郁人が立ち上がり、並んで診察室に座った。

「おめでとうございます。
 心拍も確認できましたし、今のところは順調ですね。
 サイズもおおよそ六週相当。
 これは最終月経日から計算しても矛盾しません」

「はい」

「次回は四週間後くらいに来て下さい。
 妊娠届をお渡しいたしますので、こちらの書類に従って、次回受診時までに母子健康手帳を取得して下さい。
 取得と同時に検診のチケットが渡されますので、次回から使用可能になります」

書類には、出産予定日も記載されていた。
その未来の日付が、特別な意味を持ってゆめの前に示された。

最後に、今日のエコー写真が渡される。
直接は見ることができなかった郁人が、じっとそれを見つめている。

「まだほんの小さな姿なのにね」

少しだけ口角を上げて零されたゆめのその一言には、たくさんの意味が込められている。

その意味を一つずつ噛みしめるように、郁人がゆめを見つめて頷いた。


「ああ、小さい。
 だが、生きている」


ただの検査結果ではない。
子の姿を初めて見たことで、ゆめは確信する。

(わたしには、最初から“諦める”なんて選択肢はなかったんだ)

ちらりと、隣に座る郁人を見る。

(郁人にも、きっとない……だからこそ)

ゆめが目を逸らしかけたそのとき――


「二人で背負う。
 一人では背負わせない」

ゆめが、目を見開く。

「これは、“間違い”ではない。
 それを、証明する」

迷惑を掛けるとか、博士論文があるのにとか。
そういう言葉は、決して無くならない。

でも、この人は本当の意味で自分の役目から逃げない。
ゆめの人生から、降りようとはしない。

なら、ゆめも自分で選んだ以上は逃げるわけにはいかなかった。


それが、この子の親としての最初の一歩だから。


◇

リビングの外から、話し声が聞こえてきた。
漏れ聞こえる単語から、恐らく電話相手はゆめの両親だ。

電話が終わると、すぐにリビングの扉が開かれた。

「ゆめ、ご両親に直接お会いして話そう。
 今週末なら、時間をいただけるそうだ」

ゆめは言葉もなく頷いた。

「俺の母親にも同席してもらう。
 ゆめを決して一人で立たせない」



土曜日の昼には、新横浜駅にたどり着いていた。
そこから横浜線で、ゆめの実家の最寄り駅である相模原駅まで向かう。
電車の車窓の景色が、段々と実家付近に近づいていくのを、ゆめは無言で見つめていた。

駅からはタクシーを使い、ゆめの実家へと向かう。

見慣れた区画へたどり着いたとき、ぎゅっと郁人がゆめの手を握りしめた。
絡められた指が、離さないと伝えてくる。
不安がないわけではない。
だけれど、それでも逃げない。
今起きている出来事を受け止めた上で大丈夫になるようにするという、郁人の意思を感じた。

(郁人も、親になろうとしているんだ……)


玄関のチャイムを押すと、すぐに母の声が聞こえてきた。
扉が開くと、そこにはいつも通りの母。
その後ろには父も穏やかな笑顔を浮かべて、そこに立っていた。

「いらっしゃい。
 遠いところ、わざわざありがとう」

母が挨拶すると同時に、ゆめの隣に立つ郁人が、深々と頭を下げた。
それと、ほぼ同時に彼の母も、郁人に並び頭を下げる。

「この度は、お忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます。
 直接、ご報告したいことがあり、伺いました」

「郁人くんもお母様も頭を上げて下さい。
 そんな風に頭を下げなくても大丈夫ですよ。
 大切なお話なのでしょう?
 まずは、中へ入って下さい」

母は笑顔を崩さなかった。
父は、嬉しそうに郁人にまた来てくれてありがとうと声を掛ける。
郁人が彼にしてははっきりと気まずさを出した表情で、頭を再度軽く下げた。

リビングに通されると、改めて郁人が彼の母と並んで頭を下げる。

「改めて、ご報告させて下さい。
 今回は結婚のお願いに参らせてもらいました。
 先日、三月に伺わせていただくお約束をしたにも関わらず、前倒しをしてしまいすみません。
 ですが、前倒しにしなければならない“事情”ができました」

郁人とその母だけに、頭を下げさせる訳にはいかない。
ゆめも、同じように頭を下げた。

「今、ゆめさんのおなかの中には私の子どもがいます。
 ご両親に認めて貰っていないにも関わらず、このような状態になり、結果としてゆめさんの人生に大きな影響を与えることになり、申し訳ございませんでした」

郁人が言葉を切ったタイミングで、彼の母も話し始める。

「はじめまして。
 郁人の母でございます。
 この度は息子が、本人も自覚する通り、ゆめさんの人生――特に研究者としての未来に大きな影響を残すこととなり、大変に申し訳ございません。
 二人の選択を、私も親として責任を分け合い支えていきたい所存でございます。
 どうか、よろしくお願いいたします」

「本当に、お二人とも顔を上げてください。
 そんな、頭を下げることではありませんから。
 子どもを授かるのは、一人では不可能なことなんです。
 どちらの責任でもなく、二人の責任なのですから」

母は相変わらずおっとりと笑い、妊娠について聞かされても眉一つ動かさなかった。
父も、優しい笑みを浮かべたまま、穏やかな声で話し始めた。

「ゆめ、郁人くん。
 まずは、おめでとう。
 僕はね、一番に声を掛けるなら、“おめでとう”であって欲しいんだ」

「……ありがとうございます」
郁人が再度頭を下げる。

「……うん。
 お父さん、ありがとう」

ぎゅっと、郁人が握る手の力を少しだけ強める。
それに応えるように、握り返した。


「ゆめ、体調は大丈夫なの?」

母の言葉に、ゆめは頷く。

「うん、今のところは。
 つわりもそこまではひどくはなくて……少し匂いに敏感になったり、眠たかったりはあるけれど、何も食べられないとかはないよ」

ゆめの言葉に、安心したように両親が笑みを浮かべる。

「良かった。
 母さんの時は、つわりがひどかったからね。
 まぁ、三つ子だったのもあるかもしれないけれど……」

父の言葉に、郁人の母がゆめの方を見る。
そういえば話したことは、無かったかもしれない。

「母さん。
 ゆめは三つ子の中の末っ子だ」

「そうなのね。
 それは……ご両親も、大変な思いをされて育てられたことでしょう」

郁人の母の言葉に、ゆめの母はいえいえと笑う。

「同時に三人に泣かれた時は、もう無理!って思うこともありましたけど。
 その分幸せなことも三倍でしたよ。
 子どもを一人育てるのも三人育てるのも、結局親はいつだって大変です」

郁人の母が、笑みを浮かべた後、手元の風呂敷を解いて桐箱に入ったお菓子を差し出した。

「こちら、どうぞお納めください」

「まぁ……気を遣っていただいてすみません。
 ありがたくいただきます」

少しだけ空気が解けたところで、郁人がノートPCを取り出した。

「こちら、以前ご心配いただいた生活面について整理したものです。
 目を通していただけますか」

その様なものを郁人が用意していたことを知らなかったゆめは、目を丸くする。
両親の目も同じように丸かった。

「あ……はい。お願いします」

一瞬早く立ち直った父が郁人に頷くと、郁人の指がキーボードに触れる。
見やすさを意識して作られたスライドが、始まった。

スライドは、二人の以前の問題点から始まり、今回の選んだ家の選択ポイントや家事動線などに段々と移っていく。
様々な工夫が映し出されたあとに、最後の締めはお手洗いだった。

世界一きれいな周期表がびしりと貼られたトイレが映し出され、消えていく。


「……トイレの貴公子と女王様の影響か」

父がぽつりと呟いた言葉に、ゆめとゆめの母は小さく吹き出した。


「郁人くん……これは、“説得”をするためのものというより、“共有”するためのものなんだね」

父の言葉に、郁人は頷く。

「はい。
 生活は日々流れていくものなので。
 どのようにこれから暮らしていくのかを、共有したくて作りました」

「ご両親からしたら、足りないところはあるかもしれません。
 ですが、私も二人の生活を支えていくつもりです」

郁人の母が、郁人の言葉に付け加える。

「いえ、十分です。
 正直このような形で示して貰えるとは思っていなかったの。
 郁人くん、ありがとう。
 ゆめも……二人とも頑張ったのね」

やさしい母の笑顔に、ゆめの心のこわばりが、ふわっと解けた。
滲みそうになる視界を、必死で耐える。

郁人の手が、やさしくそれを支えてくれた。


さっそく婚姻届について両親が話し始めたところで、郁人が役所の封筒を取り出す。

中には未記入の婚姻届が三枚入っていた。

「お許しいただけるのでしたら、記入させて下さい」

両親が、もちろんと頷く。

みんなが見守る中、郁人らしい、少し固めの綺麗な文字が並んでいく。
彼が書き終えると、ゆめが今度は記入した。

「まなの時と違って、デフォルトの婚姻届なのがまた二人らしいね」

そう言いながら、父が証人欄に署名する。
郁人の母も、そこに名前を書き連ねた。

できあがった婚姻届を丁寧に見直して、封筒に入れた。

「本当言うと、ゆめが一番行き遅れそうと思っていたんだ……。
 生活能力も無いし、勉強の方ばかりに興味がある感じだったし。
 なおやまなと違って、男の子を連れてきたことも無かったしね。
 そんなゆめが、まさか一番に母親になるだなんて……不思議だね」

父の言葉に、母が笑う。

「そうね。
 こうして妊娠報告するの、陸くんとまなだとばかり思っていたから。
 ちょっと予想外だけど、でも幸せなことだわ」

両親の言葉に、郁人とゆめは苦笑いしながら顔を見合わせる。

「ありがとうございます。
 ですが、大変なのはこれからだとわかっています。
 ゆめさんには来年度学校を休学してもらうことになります。
 一旦研究から離れることの重さを理解した上で、また戻れるよう場所を整えます」

郁人は最後にもう一度、頭を下げた。


◇

そのまま京都にとんぼ返りをして、役所の休日窓口に婚姻届を提出した。
日付についても、郁人から確認はあった。
どこか違う日を選び直すよりも、みんなに認めて貰えた今日の方が良かった。
それを伝えると、彼も頷いてくれた。

祇園の街で、郁人の母も交えて三人で食事をし、そしてお礼を伝えて別れた。

関東への往復で疲れているはずなのに、どこか足下がふわふわしたような高揚感があった。

「指輪。適当なものにしたくないから、しっかりと選ぼう」

「うん、そうしよう。
 だけど今は郁人も忙しいから……。
 論文が終わったら、時間を掛けてお気に入りになりそうなものを探そうかな」

「わかった」

郁人の手が、しっかりとゆめの手を握る。
もう、彼氏彼女じゃなくて夫婦なんだ。
そう思うと、不思議だった。

まだ平坦な腹部へと触れる。

ここに、二人の子どもがいる。

郁人の言うとおり、これからは二人共に甘くない現実が待ち構えている。

だけど、逃げない。
それだけは、二人は譲らなかった。


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