見積もりには書けないもの
第二十四話 『羊革のスリッパがいない』
約束の時間に、なんとか間に合った。
午後五時。
あの日以降、たわいもないLINEのやり取りはしていたものの、お互い無意識に、お盆休みは家族と過ごしているのだろうと、そっと壁の後ろに身を潜めていた。
だから、約束の日がお盆明けの最初の日になったのだ。
少し小走りで車からインターホンへ向かう。
ピンポーン。
インターホンを押した。
ん……。
なんか違う空気が流れている気がした。
ガチャ。
旦那さんだった。
「こんばんは。どうぞ」
そう言って案内された。
羊革のスリッパは、そこにはいなかった。
無言のままリビングへ案内され、椅子を引かれて、いつもとは違う場所に腰を下ろした。
「改めまして」
俺は席を立ち、名刺を渡した。
旦那さんは、
「ふーん」
と小さく頷きながら、無造作に名刺を机の上に置いた。
「森下です。宜しくお願いします」
挨拶を済ませ、席に着く。
「早速だけど」
ご主人が話し始めた。
その間、森下さんは気まずそうに二人分のコーヒーを用意し、机に置いてくれた。
背が高く、キリッとした旦那さん。
仕事ができそうだな。
そんな雰囲気を漂わせていた。
話を聞くと、ご主人はやはり壁に納得していなかった。
お互い大人なので、言葉には敬意がある。
嫌味な話し方もしない。
ただ、
「何のメリットがあるのか、説明して欲しい」
そう冷静に言われた。
いやいや。
契約書を持ってきたのに、そりゃないよ。
そう言いたくもなった。
でも、チラッと森下さんに目を向けてみた。
ごめん。
そう言うように両手を合わせ、首をすくめていた。
「妻から話を聞いても、さっぱり意味が分からなくて……」
そう言うご主人に、俺は自信を持って説明した。
壁の意味を。
熱く語った。
もしかしたら、踏み込み過ぎている俺の気持ちまで見透かされたのかもしれない。
そう思うくらい、熱く語った。
ただ、その熱量は充分だったと、俺は我ながら感じていた。
「そうでしたか……」
ご主人が呟いた。
「そこまでの妻の思いは知りませんでした」
そして森下さんに目を向ける。
「それなら、そう言えよ」
「だって、メリットとか無駄とか、そういうことしか言わないじゃん」
森下さんが返した。
「私の思いなんて、メリットの次だから……」
少し寂しそうに続ける。
「今日だって急に戻ってくるし……」
「やっぱり納得いかなかったから、自分で話をしたくなったんでしょ」
寂しそうに、ご主人へ訴えていた。
そして俺には、なんとなく、この経緯を理解してもらおうとしている思いも同時に伝わってきた。
俺は改めて、ご主人に向き直った。
「壁は確かに圧迫感も出ます」
「今まで無かったものを、ただ遮るだけで、立てる意味が理解できないのも当たり前だと思います」
一度、森下さんを見る。
そして、言葉を続けた。
「ただ、奥様のお気持ちを考えると、壁が一番の解決策になるのかなと思います」
「この壁が、奥様の今と過去を、ちょうど良く区切ってくれる」
「私は、そう確信しています」
最後に、念を押すように伝えた。
しばらく沈黙があった。
「分かりました」
ご主人はそう言って、納得してくれた。
そして、契約書にサインをしてくれた。
午後五時。
あの日以降、たわいもないLINEのやり取りはしていたものの、お互い無意識に、お盆休みは家族と過ごしているのだろうと、そっと壁の後ろに身を潜めていた。
だから、約束の日がお盆明けの最初の日になったのだ。
少し小走りで車からインターホンへ向かう。
ピンポーン。
インターホンを押した。
ん……。
なんか違う空気が流れている気がした。
ガチャ。
旦那さんだった。
「こんばんは。どうぞ」
そう言って案内された。
羊革のスリッパは、そこにはいなかった。
無言のままリビングへ案内され、椅子を引かれて、いつもとは違う場所に腰を下ろした。
「改めまして」
俺は席を立ち、名刺を渡した。
旦那さんは、
「ふーん」
と小さく頷きながら、無造作に名刺を机の上に置いた。
「森下です。宜しくお願いします」
挨拶を済ませ、席に着く。
「早速だけど」
ご主人が話し始めた。
その間、森下さんは気まずそうに二人分のコーヒーを用意し、机に置いてくれた。
背が高く、キリッとした旦那さん。
仕事ができそうだな。
そんな雰囲気を漂わせていた。
話を聞くと、ご主人はやはり壁に納得していなかった。
お互い大人なので、言葉には敬意がある。
嫌味な話し方もしない。
ただ、
「何のメリットがあるのか、説明して欲しい」
そう冷静に言われた。
いやいや。
契約書を持ってきたのに、そりゃないよ。
そう言いたくもなった。
でも、チラッと森下さんに目を向けてみた。
ごめん。
そう言うように両手を合わせ、首をすくめていた。
「妻から話を聞いても、さっぱり意味が分からなくて……」
そう言うご主人に、俺は自信を持って説明した。
壁の意味を。
熱く語った。
もしかしたら、踏み込み過ぎている俺の気持ちまで見透かされたのかもしれない。
そう思うくらい、熱く語った。
ただ、その熱量は充分だったと、俺は我ながら感じていた。
「そうでしたか……」
ご主人が呟いた。
「そこまでの妻の思いは知りませんでした」
そして森下さんに目を向ける。
「それなら、そう言えよ」
「だって、メリットとか無駄とか、そういうことしか言わないじゃん」
森下さんが返した。
「私の思いなんて、メリットの次だから……」
少し寂しそうに続ける。
「今日だって急に戻ってくるし……」
「やっぱり納得いかなかったから、自分で話をしたくなったんでしょ」
寂しそうに、ご主人へ訴えていた。
そして俺には、なんとなく、この経緯を理解してもらおうとしている思いも同時に伝わってきた。
俺は改めて、ご主人に向き直った。
「壁は確かに圧迫感も出ます」
「今まで無かったものを、ただ遮るだけで、立てる意味が理解できないのも当たり前だと思います」
一度、森下さんを見る。
そして、言葉を続けた。
「ただ、奥様のお気持ちを考えると、壁が一番の解決策になるのかなと思います」
「この壁が、奥様の今と過去を、ちょうど良く区切ってくれる」
「私は、そう確信しています」
最後に、念を押すように伝えた。
しばらく沈黙があった。
「分かりました」
ご主人はそう言って、納得してくれた。
そして、契約書にサインをしてくれた。