見積もりには書けないもの

第三十三話 『これも食べて欲しかった』

作業が終わった。

いつも以上に丁寧に、細かくチェックしながら作業していた気がする。

それでも、終わってしまった。

午前十一時を少しまわっていた。

「お疲れ様っ」

森下さんが、二杯目のアイスコーヒーを淹れてくれた。

ダイニングに腰を下ろし、アイスコーヒーを口に含む。

少し間を置いて、ごくりと飲み込んだ。

「お昼、食べてく時間あるの?」

森下さんが、不安げに俺を見る。

「良いの? なら是非」

俺は、寂しさを吹き消すように元気に答えた。

「じゃー、ちょっと休んで待っててね。すぐ用意するから」

キッチンから背中越しに、時折振り返りながら森下さんは俺を気にしていた。

俺もアイスコーヒーを見つめながら、時折目線を合わせ、それに答えた。

何かを紛らわすように、お互いたわいもない会話をした。

いつものように。

普通に戻ろうとしていたのかもしれない。

でも、その空気感は紛れもない事実として、そこにあった。

ただ俺は、終わりを受け入れられそうになかった。

何度も口に出そうになった。

もう少し、ここにいたい。

もう少し、あなたと話していたい。

でも、理性という一線。

現実という壁。

その二つが、わずかながらに勝っていた。

料理が運ばれてきた。

アジフライ定食。

もう……おしゃれな定食屋さんレベルだ。

よく見ると衣に砕いたナッツがまぶしてあり、その横の白い小さなカップには、自家製のソースが入っていた。

見た目ですでにやられた俺は、勢いよくアジにかぶりついた。

「いただきます!」

手を合わせたその手には、すでに箸が引っ掛けてある。

手を下ろす流れのまま、そのままアジを掴み、口に入れた。

もう。

もう、これ以上加点を増やさないでくれ。

「美味しい」

より先に、その言葉が浮かんだ。

それから森下さんを見つめて伝えた。

「めっちゃ美味いよ……」

少し間を置いて、

「過去一のアジフライかも」

お世辞ではなく、本当に過去一のアジフライだった。

「またまた〜」

満更でもない顔で笑った森下さんが、急に表情を変えた。

そして、口を開いた。

「これも……原澤さんに食べて欲しかったんだ」

その声は、さっきまでとは少し違っていた。

「なんだろう……もっと……」

森下さんは言葉を探すように、一度息を飲んだ。

「もっと色んな事、知って欲しいし……」

少しだけ俯いて、

「もっと知りたいって思っちゃうの」

箸を置いた。

壁を見つめながら、声を詰まらせているようだった。

俺は何も言えなかった。

森下さんが、静かに続けた。

「わたしだって、わかってるよ」

一瞬、言葉が途切れた。

「壁が必要なのくらい……」

森下さんの頬を、

一粒の涙が、

溢れ落ちた。
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