異世界北海道で美味しいごはん〜夫に捨てられたけれど農業男子の愛が止まりません〜

第59話 テオ、大興奮する

 テオは空になった皿を見つめたまま、しばらく黙り込んでいた。

 フォークをそっと置き、銀縁眼鏡を指先で押し上げる。

 何かを考え込んでいる時の癖だ。

「……上田さん」

「はい?」

 彼は真っ直ぐ私を見つめた。

「一つ、ご相談があるのですが」

「なんでしょう?」

 その声色はいつもの穏やかなものだったが、どこか熱を帯びていた。

「このコーンスターチの製法を、広めるつもりはありませんか?」

「広める……ですか?」

 思いもよらない言葉に、私は首を傾げた。

「ええ」

 テオは頷く。

「デントコーンは十勝でも大量に栽培されています。しかし、その多くは家畜の餌として使われるだけです」

 彼はテーブルに指で円を描くように続けた。

「もし、この粉を安定して作れるようになれば、新しい料理が生まれます。菓子にも、料理にも応用できるでしょう」

「そう言われれば……」

 私は昨日作ったいももちを思い浮かべた。

 とろみを付ける料理にも使える。

 餡かけも作れる。

 唐揚げだって、きっと美味しく仕上がる。

 可能性はまだまだある。

「でも、一つ問題があるんです」

「なんでしょう?」

「作るのが、とても大変なんですよ」

 私は苦笑いした。

「デントコーンをすり鉢でするでしょう?それから何度も水に晒して……沈殿させて……」

 両手を見せる。

「昨日だけで腕がパンパンになっちゃって」

「でしょうね」

 珍しくテオが笑った。

「私も話を聞いただけで気が遠くなりました」

 二人で顔を見合わせ、小さく笑う。

 テオはすぐに真面目な表情へ戻った。

「だからこそ、です」

「え?」

「ギルドで請け負えないか、相談してみようと思います」

「ギルドで?」

「はい」

 彼は静かに頷く。

「農家からデントコーンを集め、粉砕し、精製する技術を確立できれば、多くの農家の新しい収入源になります」

「そんなことまで……」

「もちろん簡単ではありません」

 テオは慎重に言葉を選ぶ。

「ですが、私は挑戦する価値があると思っています」

 胸がじんわりと熱くなった。

 異世界で思いついた料理が、町の役に立つかもしれない。

 そんな未来は考えたこともなかった。

「嬉しいです」

 思わず笑みがこぼれる。

「もし本当にそうなったら、みんなで作れますね」

「ええ」

 テオも優しく微笑んだ。

 私は腕を組みながら考える。

「でも……すり鉢だけじゃ限界がありますよね」

「そうですね」

 その瞬間、ふと一つの光景が頭に浮かんだ。

「あっ」

「どうしました?」

「水車って使えませんか?」

「……水車?」

「川の水で大きな石臼を回すんです」

 私は身振り手振りを交えながら説明した。

「水が流れる力で石臼がぐるぐる回って、穀物をどんどん挽いてくれるんです」

 テオは瞬きを忘れたように私を見つめた。

「水車で……石臼を」

「そうです」

「それなら、人が一日中すり鉢を持たなくても済む……」

「はい!」

 私は勢いよく頷いた。

「水の力を借りるんです」

 テオは椅子から立ち上がった。

「それだ……」

 いつもの落ち着いた彼からは想像できないほど興奮した様子で部屋の中を歩き始める。

「十勝川から引き込んだ水路。あそこなら急流に壊れることなく十分に回せる……」

「テオさん?」

「石工に頼めば石臼は作れる。木工職人なら水車も……」

 ぶつぶつと独り言を呟きながら考えを巡らせている。

 銀縁眼鏡の奥の瞳が、少年のように輝いていた。

「上田さん!」

「は、はい!」

 彼は私の両手を思わず握った。

「これは実現できるかもしれません!」

「あっ……」

 温かな手だった。

 私も思わずドキリとしてしまう。

 テオはようやく自分の行動に気付き、慌てて手を離した。

「し、失礼しました」

 耳まで赤く染まっている。

「すみません、つい興奮してしまって……」

 その姿がおかしくて、私は吹き出してしまった。

「ふふっ」

「笑わないでください」

「だって、いつも冷静なテオさんがそんな顔をするなんて」

 テオは照れくさそうに咳払いをした。

「……農業というのは、こういう新しい発見が一番嬉しいんです」

「そうなんですね」

「ええ」

 窓の外では、ヴェダーたちが葉っぱを揺らしながら水やりをしている。

 シマエナガは白樺の枝からこちらを見守るように「ジュリッ」と鳴いた。

 私はそんな穏やかな景色を眺めながら微笑む。

「一人じゃ思いつかなかったです」

「私もです」

 テオは優しく頷いた。

「上田さんは料理を考える人。私は育てる人。それぞれ出来ることは違います」

 彼は少し照れながら続けた。

「だから、一緒ならもっと面白いことができる気がします」

 その言葉に、胸の奥がふわりと温かくなる。

「はい」

 私は笑顔で頷いた。

「一緒に、美味しいものをもっと増やしましょう」

 テオも穏やかに微笑み返した。

「ええ、約束です」

 朝の陽射しが窓から差し込み、二人の間に柔らかな光を落としていた。
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