不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった――こぼれ話
小話③:風邪を引いた日
夕方近くになり、アリスは何となく体のだるさを感じていた。
リリスと夕食を作り終わり、食卓についたが食欲がない。
「アリス様、どうかなさいましたか?」
いつも通りアリスと一緒に食事をとっていたリリスが、食事が進まないアリスへ声をかける。
「少し、体がだるくて……。食べたくないの。今日はもう休むわ」
「お顔が赤いような……」
リリスが近づき、アリスの額へ手を当てる。
その表情がすぐに変わった。
「熱いですね」
自分でも額へ触れてみる。
確かに熱いような気はするが、手も熱を持っているせいかよく分からない。
「熱を測らないと」
リリスは独り言のようにつぶやき、慌てて体温計を持ってくる。
測り終えるまでの間にも、だるさは増していった。
やがて体温計を確認したリリスが目を見開いた。
「……四十度近くあります」
「四十度?」
数字を聞いた途端、更に具合が悪くなってくる。
「すぐにお医者さまを呼んでいただきますね」
「えぇ、お願い」
アリスはそう言ってから、ゆっくりと立ち上がり、寝室へと入っていった。
―――――――――――
塔の外にいた二名の護衛騎士は、リリスから事情を聞き、すぐに一名が王宮へ医師を呼びに向かう。
その頃、ウィルは一日の仕事を終え、王宮の食堂で簡単な夕食を済ませたところだった。
屋敷へ戻ろうと廊下を歩いていると、後ろから足早に近づいてくる気配に振り返る。
「団長」
騎士の表情を見て、ウィルは足を止めた。
「どうした」
「塔の護衛騎士から報告です。アリス様が発熱されました。四十度近い熱があるそうです」
ウィルの表情が変わる。
「医師は?」
「すでに塔へ向かっています」
「分かった」
ウィルもすぐに塔へと馬を走らせる。
塔に着き、二階へ上がっていくと、丁度リリスが階段を降りてくるところだった。
「ウィル殿下」
リリスは軽く頭を下げる。
「アリスの様子は?」
「とても辛そうにされています。熱が高いので、先ほど熱さましを飲まれました」
「医師はなんと?」
「はい、風邪だろうとのことでした。ただ、今夜は熱も高いので、二時間おきぐらいには様子を見るようにと言われました」
ウィルは頷いた。
「会いたいが、構わないか?」
「はい」
リリスは階段から降り、ウィルへ道を譲る。
――――――――
寝室へ入ってきたウィルを見て、アリスは驚いたように目を瞬く。
「ウィル様……?」
「具合は?」
「少し、だるいですが、ただの風邪ですから大丈夫です」
「そうか」
ウィルはベッドの近くまで来る。
「もう……お帰り下さい。風邪を移したら大変ですから」
ウィルはアリスの額にそっと触れてから、少し眉をひそめる。
――やはり、高いな。
「いや、風邪には子供の時以来かかっていない。オレの心配はしなくていい。今日は、ここの応接室に泊まらせてもらう」
「そんな……お疲れになりますから」
「いや、問題ない。それより、リリス一人では大変だろう」
アリスはぼんやりとした頭で、確かにそうかもしれないと思う。
「――甘えてしまってもいいのですか?」
「あぁ、当たり前だ。このまま屋敷へ戻っても心配なだけだからな」
「あの……本当はお顔を見られて嬉しいです」
アリスは本音をもらす。
その様子にウィルは口元を少しだけ緩める。
「時々、様子を見に来る。寝ていろ」
「……はい」
アリスが目を閉じるのを確認し、寝室を出ていった。
寝室を出ると、ウィルは応接室に泊まることをリリスへ伝えた。
「毛布をご用意いたします」
「いや、手間だろう。必要ない」
「すぐに、ご用意できますから」
「では、頼む。後は放っておいてくれて構わない」
リリスは頷くと、一階の物置にある箪笥から毛布を出してきて、応接室のソファーへ置く。
「すまないな」
「とんでもありません」
それから、ウィルは夜間の看病も申し出た。
「今夜はオレが見る。もう、休んでくれ」
リリスは驚いて振り返る。
「そういうわけには……。明日もお仕事へ行かれるのですよね?」
「二時間おきに様子を見るくらいなら問題ない」
「ですが……」
「明日も高熱が続く可能性はある。日中の看病を頼む」
ウィルは二階へ続く階段へ視線を向ける。
「何かあれば必ず声をかける」
リリスは少し迷ったあと、頷いた。
「……分かりました。アリス様をよろしくお願いします」
「あぁ」
リリスは、夜間に必要になりそうな物の場所を一つずつ伝えていく。
寝汗をかいた時のために、替えの寝間着も寝室の椅子の上へ用意してあった。
「もし、お一人でのお着替えが難しいようでしたら、私を呼んでください」
「分かった」
「それでは、お休みなさいませ」
「ゆっくり休んでくれ」
リリスは二階の自室へ戻っていった。
それからウィルは二時間おきに三階へ上がった。
一階で冷やしておいた氷枕を取り出し、水差しには新しい水と少量の氷を入れる。
寝室の前まで来ると、起こさない程度に控えめに扉を叩く。
返事がなければ少し待ってから中へ入り、水差しと氷枕を新しいものへ交換する。
二回目に寝室を訪れた時だった。
氷枕を交換するため、アリスの頭を持ち上げる。
「……ん……」
アリスのまぶたがゆっくりと開いた。
「……ウィル様?」
「起こしたか」
「……いえ」
だるさがあるのか、声にも力がない。
ウィルは新しい氷枕へアリスの頭を戻した。
「具合は?」
「だるくて……熱いです」
額へ右手を当てる。
熱さましの効果が切れてきたのか、先ほどより熱い。
「……また上がったな」
アリスは額に触れる手の冷たさに、気持ちよさそうに目を細めた。
「ウィル様の手……冷たくて、気持ちいいです」
その言葉に、ウィルは一瞬アリスを見つめる。
そして右手を額に当てたまま、空いていた左手を頬へ添えた。
「こちらもか?」
ひんやりとした手のひらに包まれ、アリスは目を閉じる。
「……はい」
しばらくすると、触れていた手にもアリスの熱が移り、次第に温かくなってきたため、ウィルは両手を離した。
アリスの視線が、ほんの一瞬離れていくその手を追った。
ウィルはベッドの傍にある椅子へ腰を下ろす。
「水は飲めそうか?」
「はい……少し」
アリスはゆっくりベッドから起き上がる。
新しく持ってきた水をコップへ注ぎ、アリスへ渡した。
「冷たくて……おいしいです」
ウィルは鏡台の上に置いてあった熱さましを手に取った。
「熱さましを飲んでおいた方がいい」
「はい」
薬を飲み終え、アリスは再び横になる。
その後も、アリスが眠るまでの間、時折短い言葉を交わした。
けれど、次第にアリスの返事が短くなっていく。
やがてウィルが言葉をかけても返事がなくなった。
見ると、アリスはいつの間にか目を閉じて眠っている。
しばらく寝顔を確認したあと、ウィルは立ち上がり、寝室を出ていった。
――――――――
早朝。
アリスは寝汗の不快感で目を覚ました。
体を起こしてみると、先ほどまでの倦怠感がかなり軽くなっている。
――熱が下がってきたのかしら。
寝間着が汗で湿っていたため、椅子に置かれていた替えのものを手に取る。
着替えている途中、扉がごく控えめに叩かれた。
「……ウィル様ですか?」
「オレだ」
「あの……今、着替えているので、少しだけお待ちいただけますか?」
「ああ。ゆっくりでいい」
アリスは時間をかけて着替えを済ませる。
「もう大丈夫です」
声をかけると、ウィルが新しい氷枕と水差しを持って入ってきた。
アリスの顔を見て、
「大分、下がったみたいだな」
「はい。随分楽になりました」
ウィルは氷枕と水差しを交換する。
「水は?」
「いただきます」
冷たい水を飲んで、アリスは息をついた。
「あの……お疲れではないですか?」
「ああ、大丈夫だ」
アリスはまだ少し心配そうだったが、それ以上は言わなかった。
「もう少し、寝ていろ」
「はい。おやすみなさい、ウィル様」
「ああ。おやすみ」
ほどなくして、アリスは再び眠りについた。
三階から下りてきたウィルは、二階から出てきたリリスと顔を合わせた。
「おはようございます。アリス様はいかがですか?」
「ああ。大分、熱は下がったようだ。今、また眠ったところだ」
リリスはほっと息をついた。
「よかった……」
二人で一階へ下りる。
「殿下、朝食になさいますか?」
「いや、大丈夫だ。王宮で食べる」
「パンとスープだけですが、私もこれから朝食をとりますから。私と同じものでよろしければ、後ほど応接室へお持ちします」
ウィルは少し考えてから頷いた。
「……そうか。なら、頼む」
「はい」
リリスが用意したのは、柔らかく煮た野菜と少量のベーコンが入った温かなスープとパンだった。
ウィルはそれを食べ終えると、もう一度三階へ上がった。
アリスが眠っていることを確認し、起こすことなく塔を後にした。
――――――――
次にアリスが目を覚ました時には、朝もだいぶ過ぎていた。
昨夜に比べれば、体は随分と楽になっている。
リリスが体温を測る。
「三十七度台まで下がっていますよ」
「よかった……」
アリスも安心して枕へ体を預けた。
「ウィル様は……?」
「もうお仕事に行かれましたよ」
「そう……」
少しだけ寂しいと思ってしまった。
――これ以上は、甘えすぎね。
「昨夜は、殿下が二時間おきに様子を見てくださったんですよ」
アリスは目を瞬いた。
「……二時間おきに?」
アリスが覚えているのは、目を覚ました二度だけだった。
――私が眠っている間にも、何度も来て下さっていたのね。
申し訳ない気持ちよりも、嬉しさの方が勝ってしまった。
けれど、すぐに別の心配が浮かんだ。
「……風邪、うつしてないかしら」
「殿下にですか?」
「ええ。何度も来てくださって……」
心配そうなアリスに、リリスは少し笑った。
「きっと大丈夫ですよ」
「そうだといいのだけれど……」
そう答えてから、今度はリリスを見る。
「リリスも、もうそんなに何度も様子を見に来なくて大丈夫よ」
「ですが――」
「もう熱も下がってきているし、寝ていれば治るわ」
アリスは枕元の水差しへ目を向ける。
「子供ではないのだし、何かあれば呼ぶわ。リリスにまでうつしてしまったら大変でしょう?」
リリスは少し考えてから頷いた。
「分かりました。でも、お食事とお薬の時間には伺いますからね」
「ええ。ありがとう」
ふと、昨夜、額と頬に触れたウィルの手を思い出した。
熱を持った肌には、その冷たさがとても心地よかった。
アリスは幸せな気分のまま、再び目を閉じた。


